第五十五話 船長の覚悟の一歩
リールが少年に何も言わず団を抜けた次の日。昼下がり。船員たちは本拠地の食堂に集まっていた。船長から召集が掛かったからである。悲しい知らせと重大な発表があるということが事前に告げられていた。船長は他の船員たち全員がその場に集まったことを確認した後、その口をゆっくりと開いた。
「まずは悲しい知らせだ。二人の船員が船を降りた。周りを見渡していないやつが二人いるだろ。そいつらが今回船を降りた者たちだ。船を降りた原因は二人とも共通している。今回起こった事故。それが原因だ。つまり俺のせいだ。他にも船を降りたいやつがいたら言ってくれ……。」
覇気なき声で船長は船員たちに呼び掛ける。誰かが降りると連鎖的に降りる人間が出てくることはざらであるからだ。しかし、幸いにも今回はそういった船員はいなかったようである。船長は胸を撫で下ろす。自身が心の中で決めたことを実行するにはできる限り多くの人員が必要だからである。
リールが船を降りたため、その道のりは険しくなってしまったが船長は諦めるつもりはなかった。10人もの船員を犠牲にして釣り上げた因縁のモンスターフィッシュの一匹。それが釣れたことで船長は走り出すと決めたのだ。茨の道を、それを乗り越えて先を目指すと決めたのだから。
「お前たちのその姿勢に感謝する。」
船長は静かに頭を下げた。船員たちは何も言わない。ただ船長を真っ直ぐな目で見ていた。その目に書いてあったのだ、あなたについて行く、と。
「続いて、重大発表だ。これまで俺たちは特に目的もなくただ海をさまよっていた。俺がしゃんとしてなかったせいでな。だが、それは今日で終わりだ。目標を決めた。それを聞いて、受け入れてくれるか知りたい。」
船長の顔には緊張の色が見えた。そう、船長は怖れている。それを口に出してしまえば今を失うことになるのかもしれないから。船長は冷たい汗を流し、乾いた唾を飲み込む。それでも口を再び開いた。
「外洋へ出る。そして、極地へ向かい、未発見のモンスターフィッシュを追いながら、未開の地を進んで行く。これは厳しい旅になるだろう。今回以上の死人が出るのは目に見えている。全滅も有り得るだろう。だが、だが、俺は進みたい。前へ。俺は、何かを犠牲にしてでも、結局まだ釣りがしたいんだ。まだ見ぬ、未開の地で、未開の種を。」
船員たちはそれでも誰も声を上げない。ただ、船長を見つめている。ただその目にはそれぞれ違うものが映っていることは明らかだった。歓喜。悲哀。希望。絶望。相反する思いを船員たちは各々の瞳に浮かべていた。それを見た船長の恐れは大きくなる。重くて鈍くて暗いものが船長の心を押しつぶす。それでも、途中で辞めるわけにはいかなかったのだ。再び口を開いた。
「お前たちを信じて俺は言った。お前らはどうだ。船を降りるといっても誰も咎めはしない。これからの旅は命を賭けることになるんだから。出発は二週間後。それまでに自身の進退を決めてくれ。過半数が俺の訴えに反対した場合、俺は船を降りる。その決も二週間後に取る。わざわざ集まってもらって済まなかったな、解散。」
船長の声は震えていた。それでも、目を赤くして必死に自身の覚悟を表明したのだ。船長は最後まで言い終わると、真っ先に食堂から出ていった。こういい残して。
「俺は……船にいる。何か、ある、やつはそこまで、来てくれ。」
船長が居なくなった後、船員たちは盛り上がっていた。多くの船員は望んでいたのだ。団としての方針を船長が示すことを。それが示されたのだ。船員たちが所属しているのは釣人旅団、つまり、団、集団なのだ。それが烏合の衆ではなく、統制された一つの群体となり、より大きな目的を果たす。そのためには、目的、団としての目的、つまり、方針が必要なのだ。それがなくては全員が同じ方向を向いて進むことはできないのだから。
不安や不満のある船員たちもいたが、その原因は10人が犠牲になった後にこの発表があったという間の悪さのせいだった。方針自体には不安や不満はなかったのだ。彼らもこの船に乗った地点で覚悟を決めていたのだから。ただ、もう何日か喪に服すべきだろうと思っただけなのである。その問題点も、二週間後まで全ては動き出さないことが分かり、解決したのだ。
だから、全ての船員たちの答えはもう決まっていたのだ。ある一人を除いて。
その日の夕方、一つの人影が港にあった。その人影以外誰も居ない港。ただ夕焼けが差すのみで哀愁を誘う。波の音と一つの足跡。それしか物音はなかった。その人影が向かうのは港に停泊しているある船だった。瑠璃色夢想者と、船体前面部分にエメラルドブルーの文字が刻まれていることをその影は確認し、船へと乗り込んでいった。




