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モンスターフィッシュ  作者: 鯣 肴
第一部 第四章 船長の覚悟と新たなる目標
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第五十四話 リールの帰郷

 老人が手紙の封を切り、その中身をリールの前で読み上げる。リールに直接渡しても、開封すらせず破り捨てられるのが目に見えていたからである。


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釣人旅団で先日10人の死者が出たそうだな。やはり、あの船での旅は危険だ。お前はいつか命を落とすだろう。親としてもうお前を放置してはおけない。そう考えていたところに、ある家からの見合いの話が舞い込んできた。だから、お前は今日限りで釣人旅団を抜けて家へ帰ってきなさい。そして、結婚して、身を落ち着かせるのだ。

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「以上が、旦那様からの言伝となります。」


 老人からそれを聞いたリールは言葉を失う。彼女の親が言っていることは正論なのだ。だからこそ、もう逆らえない。惑う子供である彼女はそれに従うことにしてしまった。荷造りを済ませた後、彼女は船長を探す。昨日から引き続き船にいた船長にその旨を伝えた。理由は、親しい者が今回の釣りで死んだこととして。船長はそれを受け入れた。


 その日のうちに、ひっそりとリールは船に乗って島を出た。せめて少年に最後に会わせて欲しいと頼み込むが受け入れてもらえない。島の北東部にあるリールの家専用の港からひっそりと出発する。数人乗りの小型艇に乗って。過去の遺物である、ジェット機構付きの、油を喰って動く船。彼女の家が極秘に再現に成功していた品の一つだった。船にいるのはリールと老人と運転手のみ。

 リールは知っていた。家が極秘にしている技術を使うときは、何か絶対に為さなければならないことを為すときのみ。つまり、本気である証であるということを。逆らうことは決して許されないのだ。逃亡を諦め、素直に老人の言うことに従うリール。もう微かな希望もその胸には残っていない。自身の生まれと運命を胸の中で呪うリール。その顔は青褪め、元気さは微塵も残っていなかった。ただの動く人形。家出する前の彼女に戻ってしまったのだ。


 リールは、動き出した艇から島の方を一度だけ振り返り、その後はずっと背を向けていた。顔をしずめ、座り込み、塞ぎ込む。リールが向かうのは東京である。この時代では東京は、東京フロートと呼ばれている。氷河全融解時の海面上昇への対策を23区のみではあったがきっちりと行っていた東京は、海に浮かぶ人工島となり、存続していたのだ。この人工島は23の区から成る。リールの実家があるのは渋谷区フロート代官山地区であった。






 辺りがすっかり暗くなっているのもあり、リールは塞ぎ込んでいるうちに眠りに就いた。艇には強力な光源が取り付けられていたため、夜でも航行することができるのだ。老人は彼女に毛布を被せる。そして彼女が眠りに落ちていることを確認し、懺悔する。

「お嬢様、申し訳ありません。私の力ではもう旦那様を止めおくことはできませんでした。旦那様は焦っておられるのです。怖れていられるのです。あなたを失うことに。しかし、旦那様は気づいていないのです。その行動がお嬢様の精神を殺すことになるということを。」

これまで必死に家令としての振る舞いを通してきた老人の頬から涙が流れる。

「私は、あなたを、家に、つ、連れ戻します。あなたがそれで……、死ぬと、わかっ、分かっていても。申し訳……ありませんでした。私のせいです。無能な私が! 私が! 旦那様を、うっ、説得、できなかったからです。時間は幾らでも、……、あ、……あったと、いう、の、に……。」

老人はリールに頭を差し出し、咽び泣く。断罪を望むかのように。事情を知っている運転手は、その様子を見ない振りをした。運転手は心に誓っていた。ここであったことは誰にも決して言わないでおこう、と。相手が旦那様や奥様であったとしても。






 そして、夜が開けた。朝日が昇っていくところで、艇は東京フロート沿岸に到着した。白い多重積層の平たい、小さな島程度の大きさのある板であるフロートが漂っている。フロートは海面に浮いており、海面からの高さはそうないため、艇の上からでもフロート上の構造物がよく見えるようになっている。そこには、氷河全融解前の水準の建造物が立ち並んでいた。人工的で無機質。そこに整備された自然を載せた島。それが東京フロートなのだ。フロート同士は、数百mの距離がある。場所によっては1km以上も。だから通常は移動手段は船になるが、釣り橋も架かっている。白い糸のようなものでできた釣り橋で全てのフロートは繋がっているのだ。蜘蛛糸水槽と同じ素材でできている橋である。そのため、あらゆる物理的作用に強く、海水で痛まない。

 島と島の隙間、橋の下を通り、艇は目的地へと向かう。渋谷区フロート代官山地区へと。


 リールが目を覚ます。虚ろな目で周囲を見渡す。そして、沈み込む。これは夢ではなくて現実なのだと。自由は終わったのだと。艇が進む先にあったのは、一際大きなフロート。そのフロートにはただ一つの家があるのみ。リールの実家、島野家である。無機質な世界の上に乗せられた、調整された草花。緑の生垣。噴水まである巨大な庭である。その先に西洋風の高級そうな住宅がそびえ立っていた。薄いエメラルドグリーンの煉瓦でできた外壁。それはかつて神戸にあったとされる異人館のような、旧い西洋建築の、暖炉と煙突がそびえた威厳ある家だった。

 艇は進み、そのフロートの港へと向かう。灰色の煉瓦が敷き詰められた港。リールの虚ろな目はそれを見て、涙を流す。これから始まるこの煉瓦のような灰色の日々をその港が象徴しているようだったから。

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