第五十三話 リールの事情
少年と一緒の部屋にいなかった晩、リールが泊まったところ。それは、町の北東にある大きな屋敷だった。その屋敷の2F。そこにある大きな一つの部屋。南向きの窓を持つ、一際大きな部屋。部屋の中央のクイーンサイズのピンクのお姫様ベットの上にリールは寝そべる。
「あーあ、私なんであんなこと言っちゃうのかなぁ……。」
そう独り言を呟いた後、リールは自身の顔を枕に埋める。少年が困っていたことは明白だった。だからこそ、自分が少年の相談にしっかりと乗らないといけなかったのに、冷酷に現実と正論をぶつけ、少年を攻撃してしまったのである。そして気まずくなって、二度と使わないと心に誓ったこの屋敷を使用してしまったことを悔やむ。
実は、リールはある資産家の令嬢である。しかし、閉鎖的なこの時代での、資産階級の暮らしというのは様々なものが制限されて大変窮屈なものだった。中世に逆戻りしたように。何もかもが家の事情で決められ、当人の意思は一切反映されない。だから、リールは家出していたのだ。とはいっても、家からこのような援助のある中途半端な家出であるが。
それは、リールが非常に優秀な令嬢であり、いつでも嫁に出すことができ、その相手も高望みすることが可能であるほどの社交的な才能を見せていたからである。しかし、リール自身はそんな自分が嫌だったのだ。家から離れて自身の力で何か大きなことをやってみたいと思っていたのだ。そして数年前の家出のときに釣人旅団にうまく紛れ込み、モンスターフィッシュを釣り上げて見せてしまったのだ。彼女が幼少から大変懐いていた家令の一人がモンスターフィッシャーであり、その手ほどきを受けていたのが成果を出したのだ。
それほどの、優秀を通り越して、天才の域に到達しそうな才能を見せ付けたリールに対して、両親は大手を振って反対することができなくなってしまったのだ。これほどの才能を持っているのなら、家を出て独りになったとしても、必ず大成できるだろうと確信できてしまったからである。
それもその才能がリールの家の家業に大きく関わることであったことも関係して、少し長めの鎖をつけてある程度自由にさせようという方針が採られた。リールが釣り上げたモンスターフィッシュは全くの新種であった。それも相当危険な部類の。その成果からして、船長や少年のように、モンスターフィッシャー証明世界級を貰える資格があった。しかし、リールの実家からの要請によりそれは却下されたのだ。彼女を国内に縛り付けるために。彼女を国外に連れていけそうな船長は説得できる自信が彼女の実家にはあったのだ。最悪、船長の持つ資格を失効させることができるだけの力も持っているのだから。
リールは自身の立ち位置をしっかりと把握している。自身が今一見自由に振舞えているのは、家の手綱を緩められているから。それはいつどう絞められるかは全く予想がつかなかったのだ。実家を継ぐという形か、結婚して他家に嫁ぐという形か、家に閉じ込めようという方針転換という形か。いつか終わりが来ることは分かっていたが、それがどのような形になるかは彼女には全く分からなかった。
『私は籠の中の鳥なのよね。それも、仲のよかった子たちが死ぬことで揺らぐほどしか釣りへの決意を持てていないのよね……。なんで死んだあの子たちのことよりも、自分のことを考えてしまえるのかしら……。もう寝よう。そして、明日ポンちゃんに謝ろう。ひどいこと言ってごめんね、って。』
彼女が少年に言ったことは彼女にとって八つ当たりでもあった。釣りは、家を出るための一つの手段としてしかはじめは見ていなかったのだ。それが、実際に大物狩りに挑戦し、一度目で成功し、その熱に打たれた。そして、のめり込んでいった。まるで、自らの現実から逃避するかのように。なぜなら、その釣りをしたいという決意は、仲のいい誰かが死ぬだけで折れそうになってしまうものだったのだから。大半の他の船員たちは誰が死のうと釣りを続けていくだろうと彼女には理解できていた。だからこそ、自分が不甲斐なかったのだ。ただもやもやしている自分が。
自身の抱えるもやもやをぶつけることができそうなのは少年しか居なかったのだ。少年に自分のことを察してもらい、慰めてもらいたかった。しかし、相手の方が慰めを求めてきたのだ。少年はまだ子供である。リールもまだ実は成人していない。大人びて見られるが、まだ彼女も子供、少女なのだ。家の事情で相手のことを察することには長けていても、まだ子供なのだから、二人ともまだ子供なのだからこうなるのも無理はなかったのだ。
…ン、……。
トント……ン。
トントントン。
「……ぅん、はぁい。」
リールは扉がノックされる音を聞いて目を覚ます。もう朝になっていたのだ。リールの返事を聞き、家令の上品な老人がその部屋へと入ってくる。その老人はリールに釣りを教えた家令だった。そしてその老人は告げる。
「旦那様からの言伝があります。」
通常とは異なる、重い空気が漂う。リールはそれを敏感に感じ取った。
「わかったわ、言いなさい。」
気品があり、力強い声。その振る舞いはいつものリールとは違い、資産家の令嬢のそれだった。




