第五十話 数時間の空白
「おい、ボウズ……。分かった、分かった、話してやるからしっかり聞いとけよ。ただし一度しか言わないからな。」
水葬が終わり、船が港に戻った後、少年と船長は緑青の墓へと向かっていた。モンスターフィッシュ、竜宮のスケッチと、その遺骨の一部を持って。その道中で少年は船長に尋ねたのだ。自身が気を失っている間に起こったことを。
「俺たちは船に積んでいた対モンスターフィッシュ用の装備を持ち出して応戦した。当然、釣りのためのものじゃあないぜ。相手の命を奪うためのもんだ。」
船長の顔が曇る。
「それらの装備の一斉掃射を俺たちは行った。面による攻撃で、竜宮の全身を傷めつけ、弱点を見極めた。頭を庇う動きを見せたからそこを集中的に攻撃して、息絶えさせた。」
船長は、竜宮を徹底的に攻撃して沈め、海に落ちた船員たちを即座に助けることを選択したのだ。竜宮のいる周辺は、複数の渦が波打っており、彼らを回収できる状態ではなかったのだ。その渦が竜宮から発生していることは明白であり、その周囲から次々に渦と強力な圧が発生していたのだから。
「その後に、海に落ちた奴らの救出だ……。救い上げたときには既に死んでいたから、ただ亡骸を引き上げただけになっちまった……。」
悔し涙を流す船長。それは少年にもすぐに伝わった。二人は顔を真っ直ぐ上げられなくなっていた。
「そして、竜宮の死体を曳いて、港まで戻ってきた。陸に亡骸と死体を上げて、気を失ったままのお前をリールが運んだ。……それで仕舞いだ。」
船長が一通り話を終えたとき、二人は墓へ到着した。
二人は墓の前に立ち、祈りを捧げる。そして、船長は、竜宮の遺骨をその墓前に供えた。そっと、丁寧に置いた。
「あのとき俺たちが逃したあいつは大物だったぜ……。とても、釣りの対象にしていいものではなかったんだ。それなのに俺は挑んでしまった。お前のときに学んだ筈だったのに、ぅ。」
そこで船長の言葉は途切れた。怒りと悲しみが混ざり合い、声を出せなくなってしまったのだ。少年は隣でそんな船長をただ見ているだけだった。憂いを込めた顔でただ見ているだけしかできなかったのだ。
そうして、夕方になり、二人はそこから立ち去る。その背中は悲しみに満ちていた。
帰り道の途中で船長と別れた少年。向かったのは本拠地であった。自室へと向かい、扉を叩く少年。
トントン。
「リールお姉ちゃん、おるか?」
「ええ……。」
微かに聞こえてきた返事を聞き、少年は中へと入っていった。リールはベッドに座り込み、悲しげに顔を伏せていた。
「お姉ちゃん、相談したいことがあるんよ。ええか?」
そして、少年は自身の今悩んでいることについて話し始めた。
一方その頃、船長が向かったのは港であった。そして、船へと乗り込んでいく。行き先は船長室。扉を開けて中へと足を踏み入れると、そこには一人の船員がいた。その船員は口を開く。
「船長、俺は今日限りで船を降りさせてもらいます。親友であるあいつが俺の目の前で死んだこと、それを俺は助けられなかったことにもう、しっく……。」
「そうか……。」
船長はただ一言だけ、そう発しただけだった。船員の話は続く。
「船長、なぜ私をあのとき止めたんですか……。私は、なんとしてもあいつを助けたかったんです。たとえ、私が死ぬことになっても……。いや、助けられなくても、私自身が死んでしまってもいいから、何かしたかったんですよ。自分ができることを。答えてください、船長ぉお!」
船長の胸倉を掴み、ひねり上げた船員。それでも船長は一切反抗の意思を見せない。
「すみません、分かっているんです。あなたは船長です。だからああするしかなかったということを。……今日までありがとうございました、さようなら。」
手を離し、泣きじゃくりながら船員はそこから立ち去った。
釣人旅団には昔から伝統的なしきたりがあった。その一つがこれである。船員のうち誰かが欠けた日は、船長が独りで船長室で待機する。船から下りる決意をした船員がそこにやって来て、思いをぶつける。そして、船から下りていく。悲しい別れであるため、船員たち全員の前で別れの挨拶をするでもなく船員は船から降りる。そして、そのことを事後報告という形で船長が次の日に他の船員たちの前で伝えるのだ。
船員たちがいくら家族のように近い距離で接しているとしても、やはり言えないことはあるのだ。死人に引かれて船を降りるということはまさにそれである。決心した船員は、ひっそりと消えようとする。しかし誰かにそのことを伝えずにはいられないのだ。その役目を船長が買うのがしきたりであったのだ。
船長は先ほど少年には話さなかったのだが、飛び込もうとした一人の船員を止めていたのだ。飛びついて。押し倒して。一発殴り。そして告げたのだ。助けるのは後で、獲物を仕留めてから、と。ただ従え、と。命令した船長の顔からは血の気が引いていた。自身の行動の招いた結果に震えていたのだから。しかし、それに流されるわけにはいかず、心を鬼にして指示を飛ばした。これ以上の犠牲者を出さないためにも。
そうして、一人の船員が船から降りることになったのだった。




