第四十九話 遺灰と水葬
このような事態に陥ったことはこれまで一度や二度ではない。この時代の海を征く者であれば誰しもが経験していることである。だから、誰しもが隣にいる誰かが死ぬということを覚悟している。
海に落ちた船員たち。ローテーション外の船員たちが救出用の道具を取り出す。この道具は、モンスターフィッシュ、ダイオウタコの吸盤にロープを取り付けたものである。このタコの吸盤は触れるだけで強力に吸着する。針などを刺すことによって吸着状態を解除することができる。それが海に向けて投げられて、海に落ちた船員たちは回収された。その体には大量の痣と打撲痕が刻まれており、赤黒ずんでいた。
モンスターフィッシュとの戦いは、海に落ちた地点で終わるのである。腹の中の島のような事態が特別だったのだ。これがこの世界の普通なのだから。
少年が目を覚ます。そこは船の上ではなく、港だった。夜の港。少年はその霞んだ頭で周囲を観察し始めた。町の人々が船員たちを遠巻きにしており、数十mの輪を形成していた。船員たちは悲しそうな顔をしていた。たくさんの人が集まっているにも関わらず、誰もが声を上げない。静寂。そこには一切の音がなかった。波の音すらなかった。
しばらくして、少年はあることに気づいた。空気が淀んでおり、周囲一帯からそれは発生しているようだったこと。それがある一点に向けられていることに。輪の中央。そこにあったのは、モンスターフィッシュ、竜宮の死体。それとその犠牲となった船員たちの亡骸だった。その下には竜宮と船員を覆うほどの大きさの巨大な黒茶色の布が敷かれていた。竜宮の死体には大量の刺し傷が刻まれていた。船員たちの亡骸には白い布が頭に被せられていた。
「……ポンちゃん、目が覚めたのね。船長、ポンちゃん、目を覚ましました。」
憂いを帯びた声で周囲に少年が目を覚ましたことを伝えるリール。少年がいたのはリールの膝の上だった。その合図を受けて、何かを打つ音が周囲に響き渡る。
少年は立ち上がり、その発生源の方向を向く。そこには火の付いた松明を持った船長だった。
「……じゃあ、やるぞ。別れの時間だ。」
船長は輪の中央へと向かっていき、松明を投げた。竜宮の死体にそれは当たった。
ポトリ。
ブゥ、ブォォォォ!
ボオオオオオ……
狩られた竜宮と海に落ちた船員たちは火葬されたのだった。そこにいる誰もが発するむせび声、喚声。ここにいる人々で、船員たちとの繋がりのない者は一人もいなかったのだから。しかし、波の音も含め、それらは燃え盛る炎にかき消され、周囲にはその炎の音のみが響くのみだった。
屋外には祝いの席が設けられていた。祝いとなるはずだったその席はすっかり静まりかえっていた。あらかじめ用意されていた食事を、祝いの食事を町の人たちと船員たちは静かに平らげていく。酒も飲んではいるが誰も声を発しなかった。
誰もが悲しみに耽っている。この町周辺では釣人旅団による、大物狩りの機会は一度や二度ではなかった。しかし、これまでは一度の例外もなく、常に無傷での成功を収めてきたのだ。それが今回は一転した。一体のモンスターフィッシュに挑んだだけで十人もの死傷者を出してしまったのだから。本来、モンスターフィッシュに挑むことは命がけなのだ。高度な釣りの腕と、幸運を持ち併せていた釣人旅団の構成員たちからは、その常識が薄れてしまっていたのだ。どうせ誰も死にはしない、と。いつかこうなるのは必然だったのだ。それがたまたま今回だけだったというだけで。
淀んだ空気の中、食事は終わった。
「……」
次の日の朝。港。人々の醸す空気とは裏腹に辺りは太陽に照らされて晴れ渡っていた。誰も何も発しない。人々はただ船員たちを見送っている。船員たちは、犠牲者の灰を海へと巻きに行くところだった。灰を入れた木箱を船長が一人で船へと運ぶ。数度往復してその全てを船へと積み込んだところで船は出港した。
沖へと出たところで船は止まる。全船員が甲板へと集まった。船長が前へ出る。船員たちは船長の方を向いた。
「別れの時だ。黙祷!」
船長のその声に合わせてそこにいた全員が暫く目を瞑った。その後、積み上げられた木箱に船長が手を掛ける。そしてそれを海へと投げ入れる。すると、その木箱はみるみる海へと沈んでいった。灰と共に錘を入れていたのだ。死後の船員たちが大好きな海にいつまでも居られるようにと。
通常、この時代、海に死体を投棄することはない。海は恐怖の象徴となっていたのだから。かつてのように人々は自然に科学技術で対抗していけはしないのだから。モンスターフィッシュが海には居るのだから。武器を失った人は無力なのだから。
それでも海が好きな船員たちは、その全員が自身が死んだときは海に葬って欲しいと望んでおり、こういった事態の後に残された船員たちによって水葬は為されてきた。
全ての木箱を投げ入れた後、船長は叫んだ。
「全て俺のせいだぁぁぁ、す……ま……ぐすぅ。」
崩れ落ちて跪いた船長。後ろの船員たちも抑えていた涙を押さえ込めなくなっていた。その周囲一帯には嘆きが響き渡るのだった。




