第四話 海を征く者
どんどんと島が小さくなっていく。そして消える。
少年は船の甲板後方からずっと見つめていた。村人への愛着はなくても島への愛着はしっかりと持っていた少年は、両手の拳を握り締める。
「いってくるな、父ちゃん、母ちゃん、爺ちゃん、婆ちゃん……。」
そう呟き、少年は目を閉じ、手を合わせるのだった。夕日が少年の背後から差していた。
「こいつが、今日から俺のパートナーになる釣一本だ。一人でモンスターフィッシュ釣り上げたとんでもボウズだ。」
男は少年のお披露目を行っている。当然付き合わせられている少年。
目の前にいるこの者たちがが男の仲間である。それも、この船の船員なのだから、全員釣り人なのだ。
経緯はこうである。少年は男に連れられ、船長室へと案内される。奇妙なことに、道中誰も見かけなかった。
少年は少し考え、理解した。顔見せまでは、この男以外誰もでて来ないだろうということを。そして、今、お披露目となっているのだった。
部屋全体に敷き詰められた巨大な赤い毛先の長い絨毯と、奥にある船長用横長の執務机と皮張りで四本脚のしっかりとした作りの椅子。
入り口がある壁を下辺と見立てた台形の部屋。上底側の壁中央付近には、人の頭ほどの二つの丸い小さな窓がある。そこからは外の様子が見えるようになっている。
四人。想定していたよりもずっと少ない。執務机の前に横に並んでいる。扉を背にして対峙する。右隣には少年をこの船へ誘った男。この船は、三階建ての巨大なガレオン船である。もっと船員がいないとおかしいのだ。道具で多少の人員は補えるとしてもあまりに少なすぎるのだ。
とりあえず、少年は目の前の船員たちを観察することにした。この男と同様に信じるに値する者たちなのか、見極める。目を泳がせて周囲を見る。
「うわあ、船長やるわあ。すごいわあ。急になんか連れてくるし。ガキだし。それパートナーとか、よくやるわあ。」
中央左寄りの女が煽る。その視線は主に男へと向けられている。すらっとしていて長い。しかし、腕と足には筋肉が見られる。良い釣り人なのだろう。
さらにじっくり観察する。人が多いため、少年は、特徴を頭の中で箇条書きにし、並べて覚えることにした。少年は観察が得意なのである。
赤ボーダー女
・身長180cm程度。
・細い薄藍色ストレートジーンズ。
・赤白のボーダーTシャツ。
・黒髪猫毛のフェアリーショート。
・日焼けした黒い肌。
・やる気ない口調。
・エジプト系? の濃い顔。
赤ボーダー女は、笑いながら目を見開き、男をひたすら指差している。そして、たまに少年の方を向く。顔を斜めにして、片目を大きく開け、顎に手を添え、少年を値踏みしている。
少年は忘れていたのだ。値踏みしているのは自分だけではないということを。むしろ自分がされる側なのだと。少年はきょろきょろするのをやめて、気を引き締めて前を見た。
「おい、フライングすんな。今お前が発言するとこ違うからな。ボウズ、お前も言ってやれ。」
男が赤ボーダーを窘める。そして迎える第一声。
「私は、先ほどの島からこの人の誘いを受けて船に乗りました、釣一本といいます。釣りしかやらないような名前ですが、船の雑用とかあったらやりますのでどうかいろいろ教えてください。よろしくお願いします。」
下手に丁寧に。少年は様子を探っている、渾身の作り笑顔で。
「ま……」
赤ボーダーが話し出そうとたところで早速割り込みが入る。他の面子も言いたいことがあったようで、次々と話し出した。我慢していただけだったのだ。
『全員癖が強い。この男の仲間だけのことはあるなあ。さてさて、おもしろそうな人らやけれど、どうなんかな? じっくり診させてもらうで。』
少年は心なしか前のめりになった。
全員の話を一巡聞いて。それぞれ、五人はこんなことを言っていた。そう、四人ではなく、もう一人、実はいたのだ。
「船長、何を言っておられるんですか? パートナー連れて来たって……。まだ子供ですよね、モンスターフィッシュ釣り上げたっていうのでしたら釣りは上手いんでしょうけれども……。」
左端。眼鏡を掛けた茶髪の青年。男と少年を交互に見て頭を抱えている。釣り人っぽく見えない貧弱そうな、眼鏡を掛けた優男。
眼鏡茶髪青年
・平均的な身長、170cm程度。
・茶色の綿のスラックス。
・真っ白な比翼シャツ。
・細めで薄いレンズの銀縁眼鏡。
・軟弱。
・釣り人っぽくない。
・日焼けしていない白い肌。
・ミディアムショートの茶髪。
・おでこで分けたぼさっとした、八二分け。
・優柔不断。
・日本人顔。平たい。
「僕はいいと思いますよ、それで。船長、人を見る目だけはありますからね。あと釣りの腕と。それ以外だめっだめですけれどね。」
右端。男をからかう、金髪の美少年。きれいなブロンド色、毛並みのよさそうな金髪美少年。特に少年のことをじっとは見つめない。少年んは、この金髪が船で仲良くやっていくには一番手ごわそうだと感じていた。なぜなら、彼の目は笑っていなかったから。
金髪美少年
・年の割には高い身長、160cm後半?おっさんよりやや高い。
・刺繍がついた海軍服?金の刺繍入り。
・首元につけてネクタイのように垂らしている白いスカーフ。
・白くて美しい肌。
・育ちがよさそう。
・金髪。
・毛並みがいい王子様カット。
・少年を警戒している?
・ヨーロッパ系王子様タイプだが目力のある凛々しい美形。
ちなみに、少年の身長は151cm、男の身長は165cm程度である。
「わたしもいいと思うわ。ルーもそう思っているみたいだし、よろしくね。」
姿が見えず、声だけが聞こえてくる。目を凝らして見ると、金髪の後ろにもう一つ人影があった。五人目である。
『金髪の名前はルー、で、その後ろに隠れている少女は、おまけか。』
少年は少し不快に思ったが、抑える。少年の顔には少し縦皺が寄っていた。
「しっかりした子ねえ。あ、照れてる。で、一人でモンスターフィッシュ釣っちゃうトンデモくんかあ。お姉さん、あなたのこと気に入っちゃったかも。船長、この子と私組みたいわ。たまにでいいから貸してくれない?」
中央左寄り。最後の一人。この中では最も少年に興味を持ったようである。
『なんか感じがお母ちゃんに近い? パイナップルな髪型してるからかなあ?このお姉ちゃんの声聞くと少し安心できる気がするで。』
少年はほっとして、緊張していた顔の筋肉が弛緩する。自然と笑顔になった。警戒は完全に解いていたが観察は続けている。
パイナップル女
・白い肌
・黒い、ドレス?
・露出多め。
・赤髪。
・見たところおっさんといっしょくらいの身長。
・手の筋肉がすごい。この人が一番もしかして釣りやってる?
・緑がかったグレイの瞳。
・スコットランド系?
・美人系。自分の母に似ている。
五人全員、ゆっくりと観察した少年。
『結論は出た。みんないい人だ、気を許してもいいだろう。ある程度は信じられる。特に最後の赤髪のパイナップル頭の人はよかったで。』
そして、少年にとっての新たな問題が浮かび上がる。信頼できるのなら敬語ではなく、普段の口調で話したいが、それをいつから実行するかということである。
少年が頭の中でそのことを考えていると、先ほどのボーダー女が口を再び開く。
「まー、船長はいろいろダメ人間だから苦労すると思うけど、何かあった相談乗るよ~。」
先ほどの顔とは全く違う笑顔で少年を励ます。おそらく、何かしら少年から不安を感じ取り、心配してくれたのだろう。
「たぶんすぐ頼ることになりそうですが、その時はお願いします。」
とっさの笑顔。警戒心が解けた少年は、自然と笑顔にシフトできた。
「おい、酷い言われようだな。俺はすごいぞ、釣りは特にな。ボウズ安心しとけ。俺といっしょにこれから大物狩るんだろ。」
会話に割り入ってきた男。笑いながら少年の肩に手を掛ける。
『暑苦しい。おっさんほんと、暑苦しいわ。』
少年の中で、船長の呼び名は"おっさん"に決まった。
そして心に誓ったのだった。
『船長とは絶対に呼ばんで、絶対に。』
「で、何でお前、敬語使ってるんだよ。六甲山島出るときも聞いたけどなあ。お前、俺にだけ敬語使わんてどうなの?そもそも俺には始めから敬語だったよな。尊敬されないってこと、俺?はっはっは。」
少年の心を読んだみたいに、ピンポイントで不安を言い当ててくる。船長は勝手に笑い出した。周りも、船長だし当然とか言いながら笑っていた。同調して笑う少年。
「徐々に慣らしていきます。」
少年は、こう悩んではいるが、その悩みはすぐに消えることになる。もう少し後に。
そして、ふと、あることが少年の頭に浮かぶ。自身の行動。男と共に行くと決めてから今までについて。少年の笑顔は自然と引いてしまった。そして考え事に没入する。
『俺、おっさんのこと聞いただけで、それ以外まだ何も聞いてなかったやん……。いっしょに行くいうてもこんなでかい船とは思ってなかったし、あの旗……。』
船に掲げている巨大なシンボルマーク。いかつい魚と釣竿。釣り人たちの憧れを体現する集団。釣人旅団。
『俺とんでもないやつの誘いに乗ってもたんちゃうか? でも、これ、俺が求めてたもんそのものやんけ。お爺ちゃんお婆ちゃんがしてくれた話。あれで俺も外洋出て釣り人やってみたかったんや。誰にもこれまで言えんかったけどな。』
少年は考えを整理する。とりあえず、この人たちはいい人たちと言えること。この人たちはお互いに信頼関係があること。よって、自分も今日からこの中に入るのだと、少年は結論を出した。
それ以上考え込む必要など少年には必要なかった。そして笑顔に戻ったのだった。
ここ、船長室に集まっているのは、船員全てではない。当然この規模の船を動かすにはそれ相応の人員が必要になる。ここにいるのは、少年に興味がありフライングしても見たかったという奇特な人々だった。フレンドリーであるともいえる。
少年は今、先ほどのメンバーと共に移動している。他のメンバーとの顔合わせのために。さっきまでいた部屋は船長室で、今から行くのはホールらしい。
「さあ、着いたぞ。おい、ボウズ。お前扉開けて先に入れ。」
にやにやする男。男は少年を前に立たせる。少年を紹介するのが楽しみなのだろう。一方、緊張する少年。今さっき会ったのよりももっと多い人の前に晒されることになるのだから。
『これはきっと定番の、定番の歓迎ってやつやろう。本でしか読んだことはないけれど、こういう新しい仲間というのは歓迎されるものらしいけど。』
少年は唾の飲み込んだ。なんとか心の準備を完了させた。
船長が扉を開ける。
すると同時に歓声が起こった。色々な声。どれもが少年を歓迎する声。30人程だろう。着ている服から見て、船を動かす要員だろうと容易に推測できる。しかし、もちろん彼らも全員釣り人である。
『ええなあ、こういうの。俺の身に起こるとはなあ。』
少年は笑顔になる。笑顔のままで、周りの観察を始めた。巨大な机があり、そこに多くの食べ物と、飲み物が並べられている。机の周りを船員たちが囲っていた。
船長が前に出ると、辺りは静まりかえる。
「諸君。船長である、俺、島海人は告げる。今日から新入りが入った。この少年だ。この少年は、単独でモンスターフィッシュを釣り上げている。俺はそれをこの目で見た。」
船員たちは騒めく。
「しかも、使った道具には、対モンスターフィッシュ用のものではないどころか、通常の釣りアシスト機構さえついていないもの。ただの棒と、糸と、骨を削って作った針だけだ。それも、モンスターフィッシュを釣り上げるのは初めてだという。」
先ほど少年が会った船員たちも。船長はこのことをまだ誰にも話していなかった。ここで初めて全員に公開した。船長はまるで自分のことのように、とてもうれしそうである。笑っているというより、興奮している。熱が入っている。
船長は、声を震わせながら、続ける。
「俺も自分が何をいってるかわからない。ただ、それを見たとき、俺は心が騒いだ。こいつだ、こいつこそ俺が求めていたものだ。」
船長の声は、抑揚は、どんどん大きく、感情的になってゆく。
「かつて俺の隣にいたあいつの代わりに俺の横に立てる者。それがこの少年、釣一本だ。で、こいつをスカウトして船に乗せた。俺の大物狩りのパートナーとしてな。」
そこにいた全員がざわめいている。船長と少年以外の全員が。船長は依然興奮している。それを見た少年は、逆に冷静になって周りを診ている。
「今日は記念すべき日。最強の新人がこの船の一員となった。きっとこれからはもっとおもしろいものが見れるぞ。今日という良き日に、乾杯。」
男の締めの言葉と共に大宴会が始まり、一晩中続いた。船長による少年の紹介から皆での関係まで、何一つ問題が起こることなく。
船長は、誰しもが演じることなく自然体でそうしていることを確認し、表情には出さず、心の中で安堵する。
(ま、この調子なら、何も問題無さそうだな。ボウズも、こいつらも)
船長含む他の船員たちは分かって乗っている。少年は元々の住んでいた世界の狭さ故か、そもそも気付きもしない。それは、船長がとった、少年の船員たちへの紹介。
カリスマで船を纏めるタイプの船の長が、船員たちの前でこのように新入りを紹介し、そんなぽっと出の新人のことを、俺の求めていた男だ、と宣言するということ。それは異常なことだ。
取りようによっては、お前たちはパートナーにする器量はないが、こいつは違うと言っているそうとも取られかねない。要するに、船長から彼らへの価値を否定する宣言をしたに等しいと思われてもおかしくない、ということだ。
そんなことをすれば、集団としての統制はどうなる? 当然、瓦解する。今この場で、誰かが反感の声を、嫉妬の感情を発露していても全くおかしくはないのだ。
だが、実際のところ、彼らのうちの誰一人として、微塵すらそういう思いを抱いた者はいない。ここで、どころか、これから先もずっと、この団の一員となると確定した少年に嫉妬することに意味がないと知っているから。
船員たちが船に乗っている理由の最も大きいものが、船長からの評価ではなく、各々に成し遂げたい目的があるから。
これ位のことで暴走するような船員は、もう既にこの船には乗っていない。以前はいた。そのときのこともあってからか、こういう炙り出しは不意に時折行われる。船員たちも言われずとも納得している。何故なら、そういう者の存在は、集団を容易に終わりへと導くと皆知っているから。それに、船長は、そういう心を測ることについて間違えることはないということを彼らは知っている。測った数値の意味を読み違えるということはしても。以前の失敗は、自身に向かない嫉妬と反感というものの危険さを船長は気付かなかったから。
死ねば、そこで終わり。先はない。彼らはそれを痛いほど知っている。こんな時代にこんな生き方、海を渡るという生き方をしていることこそ、彼らにどうしても叶えたい願いがあることの証。そんな生き方自体が好きなのか、それしか願いに近づく方法がない。そういう理由があるからこそ、彼らは、そうやって、生きている。
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宴会が終わって、朝が来て。最低限の人員以外の全員が眠りに就いたのだった。