第三百二十六話 ガラクタの山、捨てられた部屋
そこは、行き止まりだった。但し、下水路の断絶、とかというような意味合いとは違う。そこは、恐らく、巨大な正方形の空間だ。
恐らく。
そう言うしかない理由は、全容が見えないから。暗くて見えないとかという意味ではない。半ば埋もれた足元。その下にも、空間は続いているのだろう。ただ、こうやって埋まって充填されているだけで。
少年やリールたちの上側に開いた、埋まっていない空間の天井は、二人の身長を倍にしても、足りるかどうかという位高かった。
どういう訳か、足元はねっとりとはしておらず、土っぽかった。湿った土。粘土。そういった感じ。だからこそ、不思議と臭いは下水道に溜まった物体であるにしてはましだったし、ホコリも無く、湿気もそう溜まっておらず、寧ろ、涼しさを感じるくらい、さらっとしていた。臭いなんて、足元からよりも、その風からのほうがまだしてくるという位に。
そんなであるからか、今二人はこんなことをしている。
並べられたガラクタたち。水などないから、汚れを洗い流すことなんてできてはいない。それでも、物々の原型はおもっていたよりずっとしっかり残っている。
一つ一つ、並べている。それらの傍に、少年が掘り起こし、気になったらしいものが、つぎ足されていく。リールが、それら一つ一つが何であるかを述べてゆく。
「カップの破片ね」
「広間のカーテンね。破れたから捨てたのかしら」
「足の一本が折れた椅子ね」
「私の部屋のタンス……」
「ご先祖様の肖像画ーーの額縁だけね。ふぅ」
「えっ? 便器…ー! ポンちゃん、それはいいから放っておいて」
手掛かりなど一見何もないかのように、生活用品ばかり。
「何か、紙片とかノートみたいなのは無い?」
リールはそう少年にお願いする。こういった役割分担になった理由は明白だった。
リールは、自身の代わりに汚れていく少年を見て、胸の奥が痛んだ。それでも、リールは少年に任せる他なかった。自身のその片腕では、感触は分からないし力加減を信用できない。
残された片腕で探せばいいように思えても、今度は、義足の片足が問題になる。生身のもう片足と比べて遥かに重いそれは、その緩い地面にたやすく沈み、埋もれるから。
少年は、分かっているのかいないのか、
「あるにはあるけど、多分無駄やで。クシャッとして、閉まってて、くっついてて、もう見ただけでこらあかんって分かるもん。ほら」
変わらず自然な、普段通りだった。少年が掲げたそれは、くしゃっと丸まって、湿気て、滴って、ねばっと汚れがこびりついた、たしかにどうしようも無い代物だった。
「ノートとか本の形で、できれば箱とかに入ったの、あればええんなけど」
少年はしゃがみこんで背を向けて、地面を弄りながら、リールに言葉を投げる。
「そうねぇ……」
変な遠慮。変な我慢。それをリールが自然とやらずにいられるようになる日は来るのだろうか。それは未だ、分からない。
「探すんは別にええんやけど、いつまでやる? こいいうの考えてなかったし、長居し過ぎたし、一旦戻る?」
少年が手を止めて、今度はリールの方を振り向いて、そう言った。
「そうね。いくら探したって、傷んだ家具ばっかりだものね」
リールもそれに賛同し、来た道を引き返そうとその場をあとにしていたところで――
ばきゃっ!
リールは沈む、では済まず、落ちた。
言葉通り、落ちた。落下した。
そこは、最初少年が取っ手を拾った辺り。正確には、もぎり取ってしまった辺り。
少年はこんな汚れまみれの場所であるにも関わらず、今あいてしまった大きな穴な断面と、その淵の近くにある小さな穴の断面が、揃ってまだ新しいことから、自身のミスに気付いてしまった。
罠の如く危険に、気づけなかったのだ、と。
開閉面を地面に凡そ平行に埋もれていた扉。その横っ腹の大穴。空いた大穴から土などが落ちて、露出していた。
少年はさぁぁっと血の気が引いて青褪めて、思考が完全に止まっていて、
どすんっ!
遅れて聞こえてきたその音で、我にかえった。
「お姉ちゃんっ!」
少年は、穴から遥か下方であろう闇色にしか見えないその先へ、身を乗り出し、リールを呼ぶ。
しかし、返事はなく、ごくり。少年は嫌な汗をかきながら、待ち、考える。深いだろうが、潰れる、砕ける音じゃあ、無かった。多分……無事。ならどうして、物音も声も、そらから途切れて、返事もない?
ごくり。
穴の先は見えない。けど…―
少年は覚悟を決めて飛び込んだ。
すたっ。
思っていたよりも浅く、天井のそう高くない住居一階分程度の高さしかなかったし、穴の先はちゃんと安定した地面だった。
ただ、上よりも、暗く、埃臭く、かび臭い。そして、舞い上がったらしいそれらが、目を瞑らせる。
少年は、じっと、待った。
それらが地面へと落ち着くまでは、と、目まで閉じていた少年は、満を持して、うっすらと目を開ける。
薄く見えた。上よりも軽い土質。足跡は残っておらず、壊れた扉の横っ腹の断片も見当たらない。埃に埋もれたのかすら分からない。
それに、明らかに上よりも空気が悪く、長居する訳にはいかなさそうだった。だというのに、戻る手段も用意せず降りてきてしまったし、リールは少なくともすぐ近くにはいなさそうな上、ここの広さも、ここの暗さ故に分からない。
もう少し、目が慣れてきても、分からないままかもしれない……。
少年は危機感を抱きつつも、平静を保ち、目が慣れるのを待った。
真上の場所よりは、結構狭い。けど、縦に、明らかに、長い。
目が慣れ、見えてくる。埃がまだ薄く舞っている。かび臭さと、上から少しずつ流れてきて徐々に強くなっていく下水の臭いが混ざり始めたのを感じ、このままじっとしていても事態が好転することは無さそうだったため、動き始めることにした。
そこは、坂のように斜めになった上に、両端から捻ったような、奇妙な廊下。
そう。廊下。
確かな、見覚えがあった。
少年はその捻じれた廊下を進む。
リールの屋敷に踏み入った時、そこを通ったような、気がした。なら、その先はーー
坂の下のほうになっている場所。扉が床の位置取りだった。取り付けてあったであろう開き扉は、片方がなくなっていて、その先に闇が広がっている。
リールの気配もその先で停滞したまま。
少年は滑り降りるように、そこへ。そのまま、穴の下へと。
すたっ、と、降りた地面が、少し凹み、焦るが、それ以上凹まなかった。壁面の表面はやわだったようだが、裏打ち材がしっかりと貼られていたらしく、それが、床以上にしっかりと足場としての床の役目を果たしてくれた。
リールがいた。ちょうど、少し前方。本来であれば床面である、今は壁面となっているその方向を向いたまま、つっ立ったまま、みじんも動かない。
少年がこうやって追ってきたことにも反応していない。
「……、お姉、ちゃん……?」
そう、少年は恐る恐る声を掛けた。
きっと、少年にとって、トラウマになりかけていた。下手をすれば、もうなっているかもしれない。
少年はこの短い間に何度も何度も見る羽目になった。その、自分よりもしっかりと凛々《りり》しく優しく大きな彼女が、その心が何度も折れて、潰れそうになるのを。グラグラと不安定に揺れ動くのを。
そんなものを何度にも渡って見さされる羽目になった。
今回の光景に対しても、少年はこれまでと、とても近いもののような予感を感じていたから。不安で不安で仕方ないのだ。不安を通り越して、それはつきまとう恐怖のようで。けれども、だけども、少年は声を掛けたのだった。
沈黙が、支配する。その空間を。
その、床な壁面には別に何か掘られたり、貼られたり、描かれている訳でもない。まるで、虚空を見つめているかのように無意味に見えない何かを見つけているかようにな動かないリール。
少年も、続く言葉は出ない。正面に回り込んで覗き込む度胸をひねり出そうとしているのに、そのための最初の一歩すら踏み出せず、上と比べて風も吹いておらず、生暖かいくらいなのに、寒い。
心が、怯えていた。
沈黙がずっとずっと長い時間続いているように感じ続けて――
「ここね、私が過ごした部屋なの」
不意に聞こえた声。リールの声。振り向くことなく。
穏やかな、声、だった。リールから続く言葉も、次の動きもないまま、また、沈黙が漂うだけだった。
少年は、それに呑まれるように、なにもできなくなった。
時間だけが流れた。
何もできぬまま。




