第三百二十四話 この地は旧世界の構造物の上に建っている
「ほぉ」
少年は落ち着かなく周りを見ていた。それは、慌ててなどではなく、好奇心に振り回されてのものだ。 リールは呆れて、少年を放っておいているが、遠巻きに少年を眺めながら同時に別のことを思う。
「ん〜」
それは、これまでと変わらない子供らしさに見えて、違った風にリールには見えていた。
「へぇ」
ぐるぐる見渡したり、手が汚れることなんて気にせず、ぺたぺた触ったり。そんなところはこれまでと何ら変わらない。好奇心に振り回されることには変わらないが、そこに思考というものが明らかにあることが見え隠れしていた。
「なんか似てるなぁ、あそこと。どう思うよお姉ちゃん」
前より考えながら動くようになった気がする、というのか。ただの少年というよりは、青年という位に感じるような? というような微かな違い。けれども、大きな違い。
こんな風な遣り取りなんて、これまでにはよくよく考えてみると、無かったかと思う。追いついてきたというか、対等に近づいてきたというか。
あそこ、というのはあの海の底のドームの中のこと。腕の接続点が疼くように少し、傷んだ。腕を組み、自然と、そこを押さえるように、
「どうかしらね?」
そう、リールは、はぐらかすように微笑んだ。
そこは、下水路というにはあまりにも広大だった。天井は見果てぬほど高く、左右はどこまでも続くかに見える、薄汚れていながらも、ところどころ金属質な質感と金属の組み合わさった結合や縫合、突起や窪みかどが覗く、壁である。
ざぁぁぁぁ、と、雨天時や、その次の日などはうるさいそこは、枯れかけの河川の如く、微かな水が、巨大な溝構造の底部を流れている。
「分かってるとは思うけど、落ちたら助からないわよ」
リールは一応、そうやって少年に釘を刺した。
「?」
少年はそうは思えないようであり、首を傾げる。この程度の高さから落ちただけで、毒が流れているわけでもなく、モンスターフィッシュが待ち伏せているわけでもない、ただの建物数回分程度の高さなど、自身を殺すには遥かに足りないと明らかだった。
そう思って、足元を踏みしめたその時だった。
がこん、と地面が凹み、傾き、まるで、その巨大な溝に向けて、自身を落とすような動きを見せた。
少年は地面を蹴り、難なく難を逃れるのかと思いきや、つるっ!
そう。まるで狙いすまされたかのように、そこは滑りやすくなっていた。露出した金属部分につぎはぎはなく、一枚板で、平ら。張り付いている、苔も、当然のように、上滑りするかのように剥がれ落ちる。それに、足元をもっていかれるかのように、少年の足はとられた訳だ。
がしっ。ぐわんっ!
リールの鉄腕が、少年を難なく掴み上げ、少年転倒からの流れの軌道とは逆方向に振り回す。
乱雑に床に叩きつけられる。着地なんてきれいにできる筈もなかった。
「しっかりしてよ、もうっ!」
そう、ちょっと怒った風にリールは言った。
「分かってたなら言ってよ!」
少年は悪びれもせず、そう飄々《ひょうひょう》とした感じで言った。ふざけているのか、浮かれているのか。こんなだから悩むのだとリールは心の中で愚痴を吐く。
「そこのは知ってたけど、私の知らない似たような仕掛けなんて、ここじゃあいくらでも転がってるわ。本当に、気をつけて欲しいの。でも、ポンくんはしゃいでたし、口で言ってもだめだったでしょ?」
(ほぉら。私は最近、キミのことが分からないのかもしれない)
リールの顔を、無表情に見て、そして、
「……」
少しばかり視線を落とす。少年は、何も言い返さなかった。
歩調は慎重過ぎるくらいゆっくりになり、リールの説明を聞きながら、二人、ゆっくり進む。
「多分、道は変わってないわね。ここまで記憶通りだもの」
「よく、覚えてるよ、ほんと……。もう俺あかんわ。何回曲ったかさえもう、分からんし」
「慣れよ、慣れ。あっ、止まって」
そこは大きな分岐だった。所謂T字路。そして、
「お姉ちゃん、あれ……」
「まだ、新しいわね……」
右の方向。壁面。張りついた苔が抉れて、金属の肌地がきれいに露出している。強く、引っ掻いたような、新しい、跡。
「正しい道は左。右は私も行ったことがないわ。……。どう、する……?」
リールは真剣な面持ちをして、少年に尋ねる。
少年は即答した。
「右」
「どうして?」
「あの傷がついたのっていつだと思う? 多分、一日経ってないと思う。この湿気と臭さやし。あんな傷、三日もあれば跡形ないやろう。下手したら、ほんの数分前、だなんてこともあるかも知れん。そうやったら、もう、確かめへんなんてあり得んやろ」
「そう?」
「お姉ちゃんは行くべきやない思うとる訳やな」
「だって、わざとらし過ぎるもの。それに、水さえたくさん流れたら、自然にああなる可能性だってあるわ。ここって、そう長居したい場所じゃないし。でも、ポンちゃんのいう通りにしたいの」
「……」
「だって、ポンちゃんは私と違って、本当に間違ったらいけない時、絶対、間違わないもの」
「……。分かった。けど、もう、やめてな。そういうのは、もう。絶対なんてないんやから」




