第三百二十一話 命の終わりを捧げる相手
侵略を、乗り越えた。
多大なる犠牲を払って。
多くの同胞を、築いた街を、蓄えて個々に蓄積された高度な知識を。
そして――後始末が、残っている。
ここまで酷いことになるなんて……。
傷だらけになった少女ケイト自身のことではない。生きて居るし、四肢の欠損も無い。この場に於いて、生き残ることができた身体的には無傷な半透明な、けれども疲れ切ってぐったりした小蛸たちに次いで、損傷が少ない。
そこは、瓦礫の山の上。
水に溶けた酸素は、未だ薄くだが残っている。そこは、まだ辛うじて稼働している装置の近く。流されていた少女ケイトを運んだのは小蛸たちだからだ。
というのも――
「貴方は成し遂げた。最悪を避けられた。何か、言い残すことは、ある?」
頭部の半分を焦がし、触手の一本だけを残した青紫色の蛸が、少女ケイトの膝の上に横たわっていた。
「あいつは……、どう……なった……?」
弱々しい声でありながらも、はっきりと聞き取れた。
「あぁ……やはり、もう見えてないのね」
きっと、音以外の何も、識別できないくらいに弱っているのだと少女ケイトは把握した。そして、青紫色の蛸が気づいていないということを、幸福に思った。
「……」
青紫色の蛸は答えを返すことなく黙りこんだ。
「でも、かえって、良かったかもしれない」
少女ケイトは悲しそうに返す。後ろを、見た。ここは街の中心部だった場所であり、だからこそ、幻影の装置もまだ動かせていて、そして、少女ケイトは、言われた通りにそれを再展開した。
その寸前までに目視した、虹色殻の蛸の様子を、強く、覚えている。
意識が飛びそうなくらい目が血走っていて、食い入るような目で、青紫色の蛸の残った一本の腕を凝視していた。本当に、ギリギリのところで踏みとどまっていた、かのような。
虹色殻の蛸、もとい、彼女は少女ケイトに懇願した。
『我慢……するから……。死ん……でも……。どうか、どうか、彼を、遠くからでいいから……看取らせていて……欲しい』
受けた傷。襲ってきた側の多重なる仕込み。その底の底。診た少女ケイトは確認し、通告した。それは、本能に塗り潰される病だ、と。
『貴方……、彼を襲わずにはいられないでしょうね。その顛末は、事後に彼を平らげての、離別。言われなくとも、もう、分かっているでしょうけど。そして、貴方は知性を失う。人のような蛸から、唯の蛸に還る。それはそういう病気。敵の狙いは貴方たちの捕獲ではなくて、殲滅、だった、ってこと。次代が続いたとしても、教育を施せず、当然先祖の記憶の継承もできない。そう。御終い。私たちは、読み負けた』
負けたのだ、と通告したのだった。
「ケイト。ケイト。だいぶ、息も楽になった。やはり、見えん。あいつは、どうなったか、教えて、くれる……か?」
人間とは生命力が違った。分類するなら確実にモンスターフィッシュの類に入れるべきであろう存在だから、というだけではない。
少女ケイトは既に知っている。彼らの命の蝋燭は、短くとも、太い。そういう風になっている。だから、欠損しても、死ねはしない。彼らは寿命で死ぬ生物として設計されているから。
「言わないでおこうかなと思ってたけど、そうね、言った方がいいかしら。迷うところだけど、うん、こうしましょう。多分だけど、貴方、知れば、死ぬでしょうね。自死するってことじゃあないわ。貴方が、殺されるの。本能に、食い殺されるの。代わりに、子孫を残せる。貴方の生きていた意味を人生の最後に一つ、積める」
「……。あいつの前に、俺を据えてくれ。それと、あと一つ、頼まれてくれないか」
「ええ」
「あいつらと、生まれてくる子供たちが、自立できるように、教えを説いて欲しい。責任もって導け、だなんて言わない。あんたが、やってもいいと思えるところまでで、構わない、から」
「言われなくとも、そのつもりよ」
「そうか。まあ、あんたならそう言ってくれるよな。狡かったか。はは。……。そろそろ、頼む。あいつもそろそろ、抑えきれない頃合いだろうから」
「見た、のね……」
「ああ。行き着いてしまっている奴らを何組か、見たんだ……。はやり……、逃れられ……なかったか……あいつも……」
「貴方は正気じゃあないの?」
「はは、正気だから、こそ、だ。これは、本望だよ。終ぞ、素直になれなかったのだからこそ」
こくん、と少女ケイトは頷いた。小蛸たちに、遠く離れた、青紫色の蛸の家があった辺りを指差し、離れておくようにと指示した。
そして、小蛸たちが離れていって。少女ケイトは、もう自分で動き回ることのできない、青紫色の蛸を、膝の上から優しく抱え上げた。そして、すいっと泳いでゆき、言い残し、背を向けて、その場を後にした。
「相思相愛ね。お幸せに」
激しく足をばたつかせ、後の何も聞こえてこないように、少女ケイトは、青紫色の蛸の家の方角へと、その場を後にした。
 




