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モンスターフィッシュ  作者: 鯣 肴
第四部第三章 短き命連なる海
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第三百二十話 自走する強い駒、けれども彼女は駒でしかないないのだ

 揺らいでいる。


 渦巻いている。


 穏やかさなんて全然なくて、いつもみたいに涼しくなくて、熱く、痛い――


 目を、開けた。


「……」


 あの、自分たちと頭と蛸共の足を雑にくっつけたようなあの生き物に蹂躙じゅうりんされている。悪手、だったのだ。


 あの奥の手は諸刃の刃だ。自分たちにとって、頭脳に次ぐ、そして、数少ない武器といえる強み。それを使い捨てて、それでも脅威を払えなかったのならもう、抗う手段は無い。


 頭で分かっても、もう遅い。


 たとえ予め何かほかに用意していたとしても、それを使う()はもう無いのだから。たとえ、再生するものであるとはいえ、望んで一瞬で再生してくれるものではない。


 ブッ、ブブッブブ、ビチビチ、バチィィンンン!


「がごごご、ぐ……」


 また同胞が、その脳天の内側を食らい尽くされて、弾け飛んだ。


 逃げることすらもう叶わない。


 むちゅ、ぐちゅっ、ぶちっ、ぐちゅっ、ぶちっ、ぐちゅ、ぶちっ! ぶちぃぃっ!


「あ、ぁぁぁぁあぁああ、あああああああああ、あ"あ"あ"あ"! ……ぅあああああああああ!」


 払う手も無いのだ。また同胞が、かじられ、むしられ、断末魔を上げ続ける。


 目を閉じることはできない。人のようなまぶたを持たないのだから。


 だからせめて、と。


「……」


 声が、出ない……。


 虹色殻の蛸は諦めた。もう自分にできることはない、と。自分にとって、最も信頼できる、最後の寄る辺の姿を思い浮かべた。


(ギネン……)


 ただ、すがるように、静かに、祈った。






 痛みに意識をもっていかれそうになりながら、辛うじて踏みとどまっていた青紫色の蛸こと、ギネンは、たった一本だけの腕を残して、それをふんだんに使いながら、右へ左へと、小蛸たちに指示を飛ばしていた。


「急げ急げ急げ! 早く満タンにしねぇと、みんな死ぬ!」


 げきを飛ばす。


 少女ケイトはそこにはいない。とある役目を青紫色の蛸から託されて。


 


 この場所、青紫色の蛸の家の中心部、網格子状の屋根の下に位置するこの最も大きな部屋に存在する、巨大な、


 青紫色の蛸は覚悟を決めていた。


 それを、まともじゃあない使い方をして、事態を収拾しようと動いていた。もう、手段を選んでいられなくなったのだ、と知ったから。


 全滅だけは避けなければ、と。そんな思想になっていた。






 少女ケイトをここから送り出す少し前のこと。このような遣り取りがあった。


『気配が……消えていくわ……。あぁ……子供たちの気配が、ごっそり……』


 少女ケイトがそう、折れない闘志を目の奥で燃やしつつも、影を落とさずにはいられなかったという雰囲気を強く醸しながら、口にした。ぼそりぼそり、と。展開されていく惨状を報告していた。


『守り切れるのは一握り。手段を選ばなくても、ここから後どれだけ上手くやれても、それが限界』


 少女ケイトが、小蛸たちをさっと見ながらそう言ったことで、青紫色の蛸は、凡そを悟ったのだ。


『頼める……か……?』


『当然。けど、それだとね。初めから、やり直しよ。貴方たちの祖先が、自由と、割に合わない危険に囲まて始まったその時に逆戻り。意味なんてないかもしれない。それに私はきっと、少しの間守ることはできても、きっと、育てていくことなんて、できない。できないの。できないのよ……。()()()()()()、から』


『……。なら、少しでも残せるものを増やすよう動く他あるまい。なら――あいつだ。あいつさえ、生き延びてくれたなら、未だ、俺たちは、未だ…―』


『じゃあ、()()()()()()


『あいつを、頼む。どうか、どうか……』


 縋るように、祈るように、青紫色の蛸は少女ケイトの腕を掴んで、そして、力無く、垂れるように離して、


 こくん。


 ただ、無言で頷いて、少女ケイトは、足をばたつかせて、浮き上がるように、その場を後にした。





 ごぼぼぼぼぼっ!


(生きて、いる。未だ、生きて、いる。彼の気配は他とは違うからよく分かる。他の蛸たちと違って、もっとずっと、人に近いから)


 ごぼぼぼぼっ!


 息がしにくくなっていた。水に溶かされていた空気の量があからさまに減っていた。


 恐らく、残された猶予はそうないだろうことは明らかだった。限度が来たならば、もう、浮上だけを考えて、全て見捨てていかねばならない。


 そう覚悟していた。


 口にはしなかった覚悟。彼女自身の身勝手な覚悟。一人よがりだけれど、それは彼女が生きる理由であって、助けられない誰かと心中することより、未来助けられるかもしれない誰かの数を限りなく増やすため、生きている。


 より多くへの贖罪の為に、生きている。


 気づいてもいない。自覚してもいない。けれども、そう生きて居る。


 もう、追いつかれて食い破られている最中の者はもう手遅れだ。助けられない。そこのもう、食い破られて弾けた後のぴくついているだけの者は言うまでもない。


 ごぼぼぼぼっ!


 辛くもない。苦しく思っても、起こってしまったことは変えられないと知っているから。こうなるかもしれないと想像したときは苦しかったのに、目にしたら、嘘みたいに無味無臭で。


 見渡す。


 見渡す。


 見渡す。


 ……。いた。……。気を、失っているだけだ。死んでは、いない。吸盤の無い、足の一本だけが、残っている。


 あぁ、同性だった、のか、と少女ケイトは思う。そんなどうでもいいことをこんなときに思う。


 隠れていた、強い気配。


 当然、気づいていた。


 砂巻き上げる強い蹴り出しから、一目散に、螺旋渦を描きながら飛んできたそれを、難なく、片手で、片手間に掴み、握り、潰した。


 もう片方の手には虹色殻の蛸を掴んでいた。


 次弾があるかもしれないと、迅速に動いていた。油断なんてまるでなく、どうして、その勘と観察力を先ほどまでまるで活かしていなかったのかと思わせるくらいに。


 実のところ――大きく違う。


 最適行動。最適解。目に見える範囲の。


 それはつまるところ、戦術であって、戦略ではない。


 見切れたのは、詐術までであって、策略までは到底。


 この惨状までもっていかれたのは策略。この惨状下での降りかかる眼前の脅威や不意打ちが詐術。


 詰まるところ、それが、少女ケイトが、独立していなかった理由であった。自身に、長たる、先導者たる資質は無い。中核の一つが、彼女の限界だった。


 嫌な――予感がした。


 嵐の前の静けさのような。


 波が消えた。ごぉん、ごぉんといった淀みが消えた。


 波が、静止した。


 全速力で、足をばたつかせ、必死に泳ぎ始めた。


 ひたすら、外へ、外へ、外へ。


 強い――光を、感じた。


 弾き飛ばされるような、衝撃。それは音であって、自身を突き抜けていって、予感した。動かなくなる体を。


 手にしていたものだけは、抱え込むように、と体を丸めた。麻痺に至って、けれども間に合わせたと安堵する。そして、本命。麻痺の理由。彼女の本能が行った、備え。グゥゥゥンンンンンン!


 水流の壁に、押し流された。

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