第三百十六話 守りの旗を翻して
「えっ? 本当にたったそれだけでいいのか?」
ぽかん、として表情で、青紫色の蛸が少女ケイトに再三問う。
「本当に、か?」
「そうよ」
「本当に?」
「だからそうだって言ってるでしょ? こっちから打って出るのよ。相手に何もさせず、灼き尽くすの」
そう。こっちから攻めればいい。だって、相手は準備が整ういつか、まで攻めてこないのだから。遥か遠方の相手まで、こちらは届かせられる熱線を行使できるのだから。
それは、考え方の違い。視野の違い。
奪われる側である彼らには、守るという概念はあっても、攻めるという概念は無い。
だから、こんな当たり前の発言だけで驚いた反応を示すのだ。
「引っ張った状態に固定して、次々に刺していって。奴らの全て、とはいわなくても、大半はやってしまえるんじゃない? 後は簡単よ。やってきた打ち漏らしは幻に包まれる。後は囲んで棒で殴る。奴らの一匹でも踏み込んできたのなら、その実例を以てして、他のみんなからの協力も簡単に得られる。そうなれば後はもう、どうやったって、勝ち、よ」
至極当然の結果が目に見えている。あの虹色殻の蛸がいるのだから、その辺りの扇動は間違いなく上手くやってくれること請け合いなのだから。
目で合図して、腑に落ちた様子で、青紫色の蛸に安堵と希望の兆しが見えた。
もう、その後は決まりきった結果を辿るだけにしかならない。
相手側に総指揮官はいない。
あれらの大群は、自律して行うのは、隊列の維持と役割の全うであり、ああやって、上位指揮系統を司る存在を焼却しても、こちらへ攻めてくる気配すらないのだから。
それも、大群としてのある種の要所に何度も何度も何度も焼却という攻撃をされているにも関わらず。
だから、中身はきっと、下士官すらいない。いたとしても酷い無能。
こちらを殺せる圧を持とうとも、更に上位からの命令がなければ絶対にそれを行使しない、考える頭の無い兵隊なんて、一体何が怖い?
そういうことである。
まるで、嘗めている。こちらを。
こちらが攻めるという概念を知らないから大丈夫、と思っていたか? そんなもの、攻めるという概念を教えてしまえば、容易にひっくり返る。
そんなことも思いつかない筈もなく、だからこそ、終始、嘗められているのだ。
所詮、下等生物とでも、驕ったか?
「――おい。ケイト。そんな顔してどうしたよ? ここは喜ぶところだろう? あんたは成し遂げたんだからな。俺たちを導いてくれたんだから、な。俺たちに無い考えという奴を提示してくれたんだから、な」
事が終わって、ほんの一握りの打ち漏らしが、有効範囲に足を踏み入れて、前後不覚なくらい幻にどっぷり包まれたところで、棒で殴って。
恐らく目の前のそれが、散発的にやってきた打ち漏らしたちのうちの多分最後の一匹。打ち止め。
もう数の暴力も暴力だった。数多の蛸が、自分よりも遥かにデカい、ダイオウイカくらいにデカいそれを、蛸たちが触手を時に鞭のように振るって、時に縄のように巻きつけて締め潰して。
それは、少女ケイトが、もう一つすら気配が無いと、宣言を終えて、歓喜が始まって、やがて、勝利を祝うためと準備のためと蛸たちが散り散りになっていった後の光景である。
残ったのは、青紫色の蛸と、少女ケイトだけ。
「上手く行き過ぎて怖いってことは置いといて。大変なのはこれからよ。きっと、怖くなるくらいに大変だから」
「どういうことだ?」
「今回の事の悪影響」
「そんなもん無いだろ? ん? もしかして、子供たちを守るために御老人たちが数十人天に召されたこと、か? それなら大丈夫だぞ? 俺たちの死は軽い。あんたたちのよりもずっと」
「そうじゃなくて。貴方たちは、攻めるということを覚えてしまった。だからこそ、やり過ぎない為の心得も習得してもらわないといけない。今は私が教えることで何とかなるかもだけど、貴方たちは、それを子供たちに、更にその子供たちに、攻めと自制のどっちも伝えていかないといけないから」
「まあ、そうなるだろうな。だが、そんなに難しいことか? それは?」
「もしも、だけれど、ある日、貴方たちの近くに、ヒトデの群れが引っ越してきたとしましょう。そのヒトデたちは貴方たちほどじゃあないけれど、賢い。貴方たちに近くに棲ませて欲しいと交渉しに来るくらいには。そして、ヒトデたちは貴方たちよりも長い寿命を持つ。だいたい十年くらい。長いものだと数十年。短くても五年は生きる。貴方たちよりもずっと長い」
「ふうん。それで?」
「そんな彼らの血肉は、新鮮な彼らの血肉は、貴方たちが口にしたら寿命を延ばす効果がある、と色々と偶然が重なって判明しました」
「っ!」
「もしも、よ。もしも。私は貴方たちの寿命を延ばす手段を持たないし、その手立ても知らない。ヒトデを例に出したことにも意味は無いわ」
そう、少女ケイトは釘を刺した。
「けれども、言いたいことは分かったわよね? 喉から手が出るほど欲しいものがあったとして、これまでの貴方たちは、それが転がってくるのを待つか、転がってきやすいように砂を積み上げて坂を作るくらい。けど、攻めることを覚えた貴方たちなら―…」
「奪い取る、か……」
「ええ……。多分、その発想まで行きつくのが結構いるでしょうね。で、それ、抑えられると思う?」
「無理……だな……。俺やアイツなら未だしも。俺のとこ来てるガキたちでギリギリ。他の奴らなんてもう、十中八九我慢できないだろうよ」
凡そ想定通りの答えを青紫色の蛸が口にした。
少女ケイトはあの一堂に介した彼らを見て、彼らの持つ傾向というものを輪郭として掴んでいて、それに、攻めるという要素が加わったらどうなるかを正確に想像してしまっていたから。
「甘いわね。下手すれば今日にでも、思い立って、動き出す人が出るかもしれないわよ?」
「……何を、だ?」
「命をのばす方法。藁をも掴む思いで、何から何まで試そうとするでしょう。答えが出るまで待つこともできず」
掌を横にして、首の前を横に動かす。
首を切る。命を奪う。そして、離れた首を、掴んで、口にほうばるジェスチャー。
烏賊の足から上を灼き尽くすという行為と、その後の烏賊たちの行動。何度も観測したであろうそれ。伝わらない筈なんてなかった。これ以上ないくらいに説得力のある言葉のつぶて。
ヒトデなんていう、関連のない例を出して油断させておいての、人間らしい悪辣な手管で、少女ケイトはそんな風に、実感というやつを青紫色の蛸に押し付けてみせた。




