第三百十五話 薄皮の下に心を見た
「何……アレ……」
少女ケイトは少し震えを含んだような声で青紫色の蛸に尋ねる。きっと、声を発するその唇は青紫色に色褪せているだろうと思わせるくらいに。
「ケイト。あんたは見ていて怖いよ。大事を任せるには不安定過ぎやしないか? 気負いすぎてるんじゃないかって思うんだが」
「……。まるで他人事みたいに……。貴方たちのそういうところ……分からない……」
(こんなこと言うつもりじゃなかったのに。言っても意味なんてないのに。むしろ害悪なのに。けど、引っ張られる。この呪われた姿に……)
「何処までいっても俺たちは蛸で、あんたは人間だってことさ。根本が多分違うんだよ。俺らは命短く生き急いでいるし、後ろは向かないし、足も止めない。それが当然だって、ここにいるチビたちだけじゃあなくて、街のみんなも、あの頭でっかちなあいつですら、きっと同じことを言うだろうよ」
(あいつというのは、あの虹色殻の蛸のこと。やっぱり、相当仲良いみたい)
「それに、どうだ? あの烏賊たち。奴らも違っただろう? 俺らとも。あんたとも。ん? 違うか? あんたは奴らに何か近しいものでも感じたのか? 見てた感じだとそうじゃあ無かったが。ま、人間ってのは俺らよりずっと千差万別だかんな」
会話できているようで会話になっていないような。
根本が違う、というのはそういうこと。大事な前提が違っているかのような。それが、命の長さの違いだけとは到底思えない。
「どっちも怖い。奴らは、私たちの世界でいう、軍人っていう奴らと同じ。貴方たちの祖先を創った奴らにも深く関わりのあった奴らよ。動き方がそれなのよ。烏賊の体に引っ張られてるところもあるみたいだけれど」
「まるで、一つで大きな生き物みたいに動く奴ら。個々の意思なんて無いみたいに。そういう奴らがいたってことを、俺らはご先祖様から学んでる。で、だからこそ、慌てているのに、慌てずいられている。あれらは攻めてくるときすらご丁寧に隊列を組んでやってくるの違いないと理解してるからだ。ただ、ここにいる俺らは、街の奴らとは違って、もう既に危機感を強く持ってるってことだ。いや、あいつは例外か」
また、会話の節々から顔を覗かせる虹色殻の蛸への言及。特別と見ているような。
「ん? それとも、もしかして、いきなりあんたにあんなことをやらせたことか?」
職種の一本で、今もなお引っ張られて映っている、横に伸びた楕円の中の遠景。触手はまた、すっ、と中央を貫いて、ゆっくりゆっくりと、引き抜こうという動きをしながら、
「早く慣れて貰いたかったからさ」
そう言って、一気に引き抜いて、破裂音が響いて膜に映る景色が弾けた。
「はぁ。もっと早く言ってくれよ。あんたの言う遠慮とか配慮とかは、俺らにはきっと、理解なんてできない。例外なあいつですら、多分半分。俺なら欠片くらいやっと、てくらいか」
思い切って、『貴方たちの中でも特に貴方が、理解の外過ぎて怖い』とストレートに言った少女ケイトだったが、帰ってきた反応は、成熟した大人のような対応であって、少女ケイトはますます、今の自身の幼稚な感情に嫌気がさすのだった。そうして、
「はぁ……。そう言ってくれるならありがたいけれども。ま、私も余裕が無い訳だし、もう変な自重はしないわ」
仕方ないと開き直る。諦めて開き直る。そう。それだけは得意だから。ずっと昔から変わらずに。皮肉くさく、そうやって自分を固めた。
そうして、自然に口元を緩められた。
「ちょと、楽になったかも」
「やっぱ、やればできるんだな。俺らの中でもそんな無理な切り替えができるのっていえば、俺とあいつくらいなんだがな」
そう言われて、何だか息も軽くなって、頭も回り始める。
「相手がイカをやめているんだ。じゃあ、俺たちも、もう、蛸のままではいられない。同胞たちは理解してはくれない。こいつらとアイツ以外は。それでも、ただみすみすと、やられてやるなんて絶対に、嫌なんだよ」
そんなことを言って、青紫色の蛸はぷるるる、と震え始める。そして、
「未来を……、この命終わるその時まで、諦め切れる訳がない」
絞り出すように言うのだ。碌な支えも無いのに、震える足で立ってみせる、とでも、自信ないのに無理やり言いきるかのように。
強がりを見た。決意を見た。願望が、実感が、そこには体現されていた。
「俺は強がっている。アイツと俺だけが、本当に危機だって思っている。アイツはあんたを連れてきた。どうしようもないからと、外に出てまで連れてきてくれた。なぁ、奴らが怖いんだ。怖くて、怖くて、仕方ないんだ。ガキたちはまだ恐怖を知るには幼な過ぎる。俺は直視してしまった。あいつも直視したが、現実逃避しないでくれた。奴らの中で上の方にいそうな奴を、あんな惨く、どこからともなく突然焼き払っても、乱れもしてくれない。それどころか、まるで決まっているかのように次が据え置かれて、何も無かったかみたいなんだ。本当に、本当に……、くそっ……。あんな得体の知れない奴らに蹂躙なんて、されて、たまるかよ……」
そう。薄皮一つ。その下は恐怖しながらも奮起し、折れず闘士を燃やす、まるで理解できるような人格。
「あぁ、すっきりした」
と、ぽんっ、と吐き出し終えて元通りといった次第な青紫色の蛸は、ぽかんとしている周囲の小さな半透明な蛸たちに言う。
「あぁ。ガキども。見せるのは初めてだったな。まぁ、分かるようになるさそのうち。恐怖について。ご先祖様たちの遺してくれたそれをお前たちはもうすぐ学ぶことになるんだからな。机の上で、な。奴らからではなく、な。 ん? 分からないか。はは。それでいいんだよ。取り敢えず、奴らは悪いやつだ。物凄く悪い奴らだ。でも、みんな気づいてなくて。だから俺らで何とかするんだ。最初よりもよくなった」
そして、
「な。このケイトさんというとっておきが俺らにはついているんだから、なぁ」
と、とってつけたみたいにだが、言ってくれるのだから。
(気遣いなんて分からないって、とんだ嘘ね。そう。優しい嘘だわ)
 




