第三百四話 御上からの鉄槌 後段
――元いた島が豆粒程度の大きさにしか見えなくなった頃――
「さぁて、お前ら。踏ん張れよ。分かっていたことだ。俺は覚悟できている。お前らも、そうだろう?」
鉄の小舟のうちの一つ。他は遥か遠方へ。狙ってきている者が者だけあって、全員で逃げるなんて選択肢は奪われていたから、至極当然のように、その選択肢を船長は採った。
その小舟は、囲われていた。海の上で。モンスターフィッシュたちに。その殆どは、モンスターフィッシュ『コロニーピラニア』。
ナイフを抜いて、船の淵側を向いて構える船長と船員たち。その船には市民は一人も載せてはいない。市長も他の鉄の小舟の方へ乗っている。初めから想定していて、こうしていたのだ。
あれだけで済む筈が無い、と。
(想定の中でも、厭らしい方向で来たな)
船長は思う。
何が合図か。それすら分からないが、一斉に飛び上がって、こちらへと向かってくる『コロニーピラニア』や、それに混ざる『ウイングエラガントユニコーンフィッシュ』などを、次々に切りつけて、落としてゆく。甲板ではなく、確実に海へ。
それらは毒を内包している。あの、油と混ざった鉱毒を。通常の魚よりも遥かに強いモンスターフィッシュ。だからこそ死んでいない。だが、毒が効かない訳ではない。それは本来海に存在しない毒。加えて、『コロニーピラニア』が、そうやって他の魚種と共にいる。しかも、数が集まっているというのに、群体の姿を取ってすらいない。そんな異常な状況から読み取れるのは、それらが通常の通りとは思わない方がいい、ということ。
最悪、手を加えられている、と見ていい。というか、そう見るべきだと、嫌な結論が船長の中で固まりつつあった。
(女王を殺して仕舞いにすることはできねぇだろうな。そもそも、女王がいるかどうかすらも怪しい。そんな根本から弄られている可能性も十分にある。最初にけしかけてきたのが、『センカンソシャクブナ』の未成熟個体だったことからして、想定の殲滅規模は、相当だ。俺らだけじゃなく、協力者まで、街単位で、いるなら始末。そんなところが妥当だろう。だが、そこかで外しを入れてるなら――……いや、考える意味は無ぇか)
一人、また一人、と、傷を負い、毒が回り、海へ落ちていく船員たち。一人が落ちてからは早かった。あっという間に、船長一人だけになっていた。
それでも、船長は対応できてしまう。連れてきていた彼らとは違って、船長だけは、真にモンスターフィッシャーとして一流であったから。ついてこれる仲間は今、居ない。
海から飛び出す起こりから確実に捉え、八方から次々に迫ってくるモンスターフィシュたちの混成集団の攻めを、弾くように切りつけながらやり過ごし続けている。
毒はこちらにだけでなく、敵にも効く。傷口からはより直接的に毒は効果を及ぼすのだから。
(また……人集めからやらなきゃな。折角目的の物を手に入れられても、そこに置く人員を失ったんじゃあ、当然維持もできねぇ。本当に、狙ったようなタイミングでの邪魔。何度目だ、もう……。だが、積み重ねれば重ねるだけ、止める訳にはいかなくなる。無為になんて、できなくなる。奴らにはきっと、分からねぇんだろうな)
そうして――もう、海面から飛び出してくるものは無かった。他の舟はもう、見えない。八方に陸は見えず、唯一人、舟の上で、立ち尽くす。沈む日を、見届けたながら。
「――てぇ、訳だ。で、ケイトォ。お前、一体、どこにいやがる?」
「見ての通り」
通信機の画面に映る、点滅する点。それは、本来ある位置、かの海から生えた木々の場所から、離れるように動いていく点。
「やらないといけないことができたの」
そのしっかりとした声と共に、背景音として聞こえる、波切り音。船長は察した。現状、唯一自身に本当の意味でついてこれている仲間である、最も古い仲間である彼女が、自身から離れてしまったことを。
「そうか。なら、遣り遂げろよ」
そう、船長は言った。いつか来ると思っていたその時が来ただけなのだから。そして、彼女は彼女が為に選択した。誰に邪魔されるでもなく、彼女が為に彼女はそうしたのだと、船長は汲み取ったから。
彼女の声に、一切の嘘も迷いも、無かったから。たとえそれが、何者かの差配による結果であろうとも、彼女にとってそれは、何の強要も無く、やるべきことだから選んだだけ。
だから、止める意味も、理由も、資格も、無い。
思うが儘に今している自身だからこそ、自身に敵対する訳でもない他者に対して、強要する、その資格は、無いのだから。
他者の意思による強要ではないと、選択の主が自らが認めている、嘘偽りに依らない選択。それを遮らないことは、船長にとって、最後、唯一曲げる訳にはいかない、自身に残された芯であるから。




