第三百二話 彼方の意図
彼らの解決手段は単純明快だった。確かに、材料は揃っていた。なら、できない訳ではない。人手はあ
る。問題は設計であったが、彼は何のことなくこなして見せた。
船を――作った。
「流用だがな」
と、謙遜気味にではあったが胸を張る彼こと、船長のその多才ぶりに、改めて驚かされる市長。
「旧時代のようなスクリューエンジンまではいかねぇが、まぁ、及第点だろう」
海岸から一段上がった場所。石積みの埠頭。そこに二人は立っている。他に人々はいない。パニックを起こされては困るからとの、厳戒令が効いていたのが不幸中の幸いだった。
家々の窓からも、この海の様子は目にできるのだから。毒の海上を走り回る船が、そのまま人々の希望として映ってくれているかもしれないが、本当のところは分からない。
海岸から離れた海上。風向きを無視するかのように自在に海を走る船。その船には帆は無い。木製ではなく、鉄でできた船。海面と接する面が少ない、流星状。まるで、細い細い三日月を海に浮かべたような船であった。
そして――その船が走り回る海域から海岸までの間には、紫毒色の帯のような領域が広がっていた。加えて、打ち上がってきている、毒々しく変色した数多の魚の死骸。
「確かに――これしかなかったでしょう。毒の帯を越えて、食糧を得る方法は。急がないとなりません。どうでしょうか……。間に合う見込みはどのくらいありますか?」
市長には分かっていた。あの船は、狩ることによる食糧確保を目指してはいない、と。だからこそ、先の展望が、本当に、約束通りのものであるのかどうかが、気掛かりだった。以前のようでいて、以前とは大事な何かが変わってしまったこの男が、こちらを切り捨ててしまわないのかを。
「さぁな。分からねぇよ。ただ、あんま宛てにはできねぇな。手段の一つってとこだからよ」
飄々《ひょうひょう》と答える船長を見て、市長は思う。一体この男は何を考えているのか、と。自身も含め、仲間の半分をこの島に残すということは、どうにかできなければ、待っているのは、惨たらしい終わりに違いないのだ。人々に無意味に責められ、無意味に苦痛を与えられ、こと切れるという終わりが届くところに来ている。
「恐ろしく、無いのですか……? …っ! ……」
と、市長は聞くつもりも無かったことを聞いてしまう。
「全く。失敗したら終わりなんてのは慣れっこなんだよ。それによ。あの船がちゃんと毒の帯を越えれたってことは、最後の手段はちゃんと使える形で残ったってこった。もう、不安に思うことなんて何も無ぇ。それに、どうあったって死ぬときゃ死ぬんだ。誰だって、な」
船長はそう、意味深な笑みとともに答えた。
もはや、聞くまい。そう市長は思い、沈黙することにした。問い質してもきっと答えは得られない。こんな状況になった以上、彼らに頼る他ない。生殺与奪の権を真に握っているのは彼らだ。彼ら以外にこの状況をどうにかすることはできないのだから、と。
「不幸中の幸いと言うべきか。アレを食用に回す選択肢は最初から無かったからな。煮ても焼いても食えねぇ訳だが、特性は残っていた。もう少し大きかったら消えていただろうが、幸い残ってくれていた。使い道があったって訳だ。アレはなぁ、火をくべてやりゃあ、燃え尽きるまで、真っ直ぐ進んでくれる。ばらしても、問題なく、な。出力は落ちるが。止める時は海水をかけてやりゃぁいい。小分けにしたからできる芸当だ。俺らがいて、ホント、良かったな。爺さん」
今度の言は、少し胡散臭い、と市長は思う。この男なら、鉱毒を使わずとも、アレを何とかすることができたのではないかと思えてきたからだ。そんな特性聞いたことはない。もう少し大きくなった、なら? まるでアレが成体でないとでも言うかのような言い方。つまり、アレについて非常に詳しく知っている、ということ。
「爺さん。あんたがバカじゃなくてホント助かるぜ。話が早い早い」
「……私の忍耐にも、限度があります……」
「約束は守る。絶対にどうにかしてやる。食糧の用意はどうにかできなくても、あんたらをこっから逃がしてやる算段はできたも同然だ。これでも、その矢先を俺に向けるのを止めるつもりは無ぇのか?」
「……」
「それでいい。あんたが死んだなら、この島から出れたとしても、島民たちに先は無ぇからな」
「……。私は、皆に荷物を纏めるよう、言ってきます。貴方の部下も借りますが構いませんよね」
そう、何かを堪え、飲み込むように、市長は言って、船長の返事を待つこともせず、石の埠頭から立ち去っていった。
船長は、ただ、海上を走り回る船を眺めている。その胸に抱くのが何であるのか。それは当人にしか分かりはしない。
――時間遡って、船が仕上がって、試しにと乗り込んだ狭い船内で――
「さて。お前ら。こっからがしんどいぞ。先日のよりずっと命懸けだ。確認するぞ。手筈は?」
暗い船内。数十人の収容のために、誰も彼もが、寝転がるように伏せる必要がある狭い船内。声が通るのは、意思疎通が必要になるからだ。主に燃料となる、センカンソシャクブナの稚魚の断片の制御が為に。
「兎に角逃げる。戦おうとはしない。兎に角、どこでもいいから上陸する。海に落ちても、兎に角諦めない。燃料を抱えて。自分は燃えはしないから」
低い男の声がそう答えた。
「大丈夫なようだな。現実逃避もして無ぇし、嘘もない。次!」
その合図と共に、
「兎に角逃げる。戦おうとはしない。兎に角、どこでもいいから上陸する。海に落ちても、兎に角諦めない。燃料を……抱えて。自分は燃えはしないから」
また別の、太い声の男の声が、同じように答える。
「一回触っとけ。それで不安は消える。やらなきゃ、もしもの時確実に死ぬだけだ。よし、次!」
それは、彼らが事を遂行できるかどうかの確認だった。食糧は取ってこれない。かの毒のせいで。そしてその毒は、本来海には存在しない、陸の毒。だからこそ、知恵のない大半の魚たちはそれを危険と退けはしない。
石油塗れながらも、センカンソシャクブナの未成熟個体の死体から流れ出た濃厚な栄養の汁という、ダシにつられて、打ち上がってきている魚の数々もそれが理由。
石油塗れであった、というのも事を厄介にしていた理由であった。油は油に溶ける。油は水に散りにくい。だからこそ、養分は薄く広く、確かに広がり、残り続け、それは、食用にできない魚という、どうしようもない結果を積み上げ続けている。
魚たちにも、陸の毒の脅威は理解できなくとも、大量の同胞の死という脅威は理解できる。判った種から順に、この海域に、暫く、若しくはずっと、近寄らなくなる。
この、複合的な脅威が表面上消えた後も、影響は尾を引くように残り続けることは明白だった。だから、彼らは、魚の釣り方を教えることも、ここで魚を釣ってやることもせず、街の人々を、魚のいる場所に連れていってやる、という手法を取ることを選択していた。
その意図を街の人々へと伝えないでいるのは、人々がそれに素直に賛同する筈がないと分かっているから。しかし、こうなった以上もう手はなく、人々に十分に分からせる時間も無い。危機をより近く大きく見せて、恐怖によって動かす他無いのだ。そして、それをあくまでの最後の手段として、外からの助けという最善策こそが、本当に用意した策。
援助を引き込む策は、センカンソシャクブナの未成熟個体の断片と、その特性についての知識の抱き合わせでの提供。それを、常人の域は優に越えていて、二流のモンスターフィッシャー相当である彼ら一人一人に持たせる分を含めて積み込ませた燃料兼交渉材料。
それこそが、本命の策。
船長たちは、人々をこの段階で切り捨てるつもりは一切無いのだった。




