第三百一話 御上からの鉄槌 前段
―船長現在所在地、元・南米ブラジル地域、カラジャス―
それは、夜明け前の頃合いだった。
伝令が飛び、平時の目覚めよりも早い、夜明け前にたたき起こされた船長、釣・一本。だが、別に苛立ったり不満を抱いたりはしていなかった。感じる、迫る気配の大きさと、質から、凡そのあたりをつけたから。そして、迫ってきているだろう存在からして、たたき起こしてくれたのは、まさに英断であるからだ。
本来、休息の時期。この地域を制圧して、上手く、支配層を掌握し、こちらの人員を混ぜて、ついでの休息。されでも休息。だからこそ、緩み切っていてもおかしくはなかったのに、連れてきた人員たちは、仕事をしてくれたということなのだから。
「間違い無ぇ。『センカンソシャクブナ』だ。それも、自然にじゃ無ぇ。けしかけられてんなぁ、これは」
市長室で、国主たる市長たる老人含め、この街のお偉いさん方を集めて、船長はそう言った。
どうしてそう思う? やら、どうしてくれる! やら、色々と様々に騒ぎ立てる、偉いだけの大多数の役立たずたちに、船長はドン、と喝を入れる。
「どうもこうも無ぇ! 何とかするんだよ! そうしなきゃ、死ぬだけだ。国ごと、全員、よぉ!」
船長はその裏で考える。
(思っていたよりも、ずっと早ぇ……! 奴らのうちの誰かが積極的に動いたか? なら、答えにゃぁ、近づいてる筈だ。さぁて。炙り出す余裕は無ぇな。もう、あいつが傍にいて教えてくれる訳でも無ぇから、な)
船長にとって、この程度、何ていうことがない。この程度、何度も乗り越えてきたこと。忘れる前も、忘れている間も、思い出してから今までも。
だが、それでも、不安を感じずにはいられないのだ。能力的に自身が劣化した訳ではない。手段をもがれた訳でもない。いつものように、当然のように、乗り越えて見せればいだけの筈なのに――見えない不安が、渦巻くのだ。
まるで、それは、破滅の予感。その距離は、定かではないが、確かにそれは存在している。
誰にもばれないように、掌の内に、船長は汗を、握った。
港を穏やかに行き交う人々などはいない。今は平時では無い。屈強な男どもが、あれよこれよと必死の形相で、時に怒号を上げながら、動き回っている。
鉱山掘りで鍛えられた者たち。加えて、船長の連れてきた人員。彼らが行っているのは、海へ向けての、スロープだった。
巨大で、数多の鉄板を重ねて、叩いて叩いて叩いて平滑に仕上げていく。この島の一方向の海岸線、左端から右端まで到達する幅のそれを突貫工事で仕上げている。
「大事なのは強度だ。奴の重さに耐えられなきゃあ、意味は無ぇ」
時間が間に合うかも怪しい。リミットは大波の訪れ。巨大質量が一直線に接近しているのだから、本体の到達より先に波が到達する。
波の到達のタイミングで逃げるよう通達はしているが、それでは手遅れ。助かって半分という程度だ。
しかし、この策を完成させなければ、この島ごと終わる。彼らにはそこまで話してある。だから、彼らは逃げない。
それを持って、策の第一弾は成就したと船長は見做した。問題は次である。いなすだけでは駄目。さいどむかってくるであろうから、止めなくてはならない。
そちらについては、市長に任せていた。
(やれるんだろうなぁ、爺さん。本当に。頼むぜぇ。あんたがしくじったら、結局全滅だ)
島中央北部。鉱山。
立ち塞がる、残り二人の幹部。
「どうかお辞めを」
「それだけはしてはなりません」
彼らは、ナイフを構えて、市長へと向けている。幹部の周りに、数人の幹部が倒れている。血を流して、動かない。
市長は、クロスボウを構えている。
「辞めませんよ。鉱山だけ残る島に何の意味があります? なぜ、ここは街なのですか? 私たちは誰の為に、存在するのですか? やりますよ。これが最後の仕事になったとしても」
「あぁ、馬鹿な……。市長! 貴方は知っているでしょう! あの、島家の当主の……」
「くそっ! 自殺に付き合わされて溜まー…」
意地の説得を続けていた一人の幹部の脇から、もう見切りをつけて市長に襲い掛かったもう一人の幹部は、あえなく、その胸を、肋骨の間からきれいに矢で貫かれ、崩れ落ち、動かなくなった。
「君は、どうするかね?」
「……。もう、止めません。」
そう、自身の腹をかっきって、
「どう……ぞ、お好……き……に」
口から血を吹き出しながら、口にして、事切れた。
「墓標すら、残らない、何も残らないなんて、あんまりだと、私は思うのです。最後まで足掻いて足掻いて、諦めるのはそこからでも遅くは無いのですよ」
老人は鉱山の中へと進んでいった。タイミングは、指示されている。大波の到達がその頃合い。魚は空を飛ぶものではない。身を任せるように跳ねるが限度。だからこそ、それを狙う。
落下地点は、選べない。
鉱山を進み、髑髏の文様の鉄扉の前で足を止めた。
(やると、決めたのです。私が護るべきは、遺物技術ではなく、皆の今です)
足を踏み入れたそこは、壁面にレバーのある、部屋。ただそれだけの部屋。そこに直接、髑髏を司るものはない。だが、それらは、間接的に髑髏を司る。それらのレバーの上下左右の操作によってできるのは、普段であれば閉じている、液体鉱毒の循環炉。それを、船長たちが作っているジャンプ台の反対側の海へ向けて、放出するように回路を組む。
後は、確定の、赤いボタンを押すだけ。
成否に関わらず、海域周辺に毒は廻る。水と食糧の不足による危機が、目に見えて起こる。センカンソシャクブナをどうにかできのうができなかろうが、破滅か、破滅の近似値でしかない。
木の船で、毒の海は渡れない。鉄の船であっても、乗組員は毒の海での息を許されない。
食糧は取れない。持ってこれない。なら、どうしろというのだ。
それでも、微かでも、民を生きながらえさせるのが、自身の義務。
市長は、激しい揺れと、水音を耳に、スイッチを、押した。




