第三百話 油吸いの化け魚
ズッ、ズッ、ズッ!
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ズッ、ズッ、ズッ!
ズッ、ズッ、ズッ!
ズッ、ズッ、ズッ!
砂の上を、等間隔で進む音。輪郭を黒い靄で覆った彼らは、その肩に、その背に、様々な物資を背負い、行軍している。
無言で、ただ、進んでいる。
彼らの中に一人として潜む男は、数日続いた行軍の何日か目で、その行先が、村々ではなく、かの油の巨大湖に伸びていることを悟って、考えていた。
一体、あんな、明かりにする以外ない、臭くてどろっとして、燃やすと煙たいあれらを、どうするつもりだ、と。
その答えの一部は、抱えたものを、目的地へと運び終えた後、知ることになった。
自身の後ろの方だいぶ遠くに、自身と同じものを運んでいる者を見掛け、少々青褪めたりすることはあったが、どうやら、騒ぎにはなっていないらしいのだから、大丈夫、とたかをくくることにした。
よく考えたら、名前呼びすらなく、殆どが、ずっと無口で作業を行っている訳で。なら、ここにいる人員の命は安いものだと見積もられていると見ていいだろう。目的と比べて。
主に、白い布にくるんだ何かを運んでいた者たちが、布をほどいて、包んでいた物を組み立て始めたのだ。それは、管であるようだった。長い、長い、灰色の、管。ある程度の柔軟性を持ち、不透明な、管。
どうやら、彼らの一部は、油の巨大湖周りの危機の使い方を知っているようである。それらは、油と砂の混合物をまき散らしながら、轟音を立てて動き始めていたから。
それらと、繋がれた管の片方の先端。もう片方はきっと――肉眼では見えない、あの海岸の方向だ。双眼鏡を出すのは、どうにか我慢した。
ここまで運んできた分の箱は、どうやら、動かす対象の機器の支えとしてらしかった。そして、この油の巨大湖の淵から、海岸までは、微かながら、勾配がある。だから、あの管の中を通っている油は、自然と、海岸へ向かって流れていっているのだろう。
運ばれる先が海岸ならば、居るべきは向こう側だ。
(どうする……)
「そこのお前! その箱は余分だ。持って戻れ!」
何か、偉そうにしている奴が、へばっている一人にそんな無茶ぶりをしているのが聞こえてきた。
(これは――チャンス!)
男は、そこへ向かって駆けていき、等身大の直方体の箱を、奪い取った。そして、早足で、海の方へ向けて、歩き出した。海へと伸びていると確信している管を目印に。
男は無茶をした。相当に。不眠不休で、二日歩いた。本来であれば、休息含め数日の距離を強引に。肉体的には限界近かったが、精神がそうさせていた。
ちょっと黄色くも見える、太陽の光。海は綺麗に青くというよりも、色褪せて青く見えていた。
(はは……。間に合った、ぞ……)
流石にやばさを感じて、箱を置いた。そもそも、戻ってくるための口実として持っていた箱だ。それにきっと、こうやって箱を持って戻る役目なんて、本来、無い。あのむしゃくしゃしていた者の気晴らしのようなものだろう、きっと、と悟っていた。
どうやら、彼らの仕事も一段落ついているようで、熱そうに扇いだりしながら、水を飲んだり、箱などの日陰でだらりとしていたり、といった雰囲気であった。
もしかして、紛れた自分のことがばれているだなんて可能性はもう考えず、男は、手近にいた一人に水を求めた。
「水を分けてくれないか?」
自身の声が、自身の声でないかのように、ノイズみたいに聞こえた。軽率であったようで、結果的にはそうならなかったという不幸中の幸い。
そうして、男は、自身を正常にするための糧を得た。
水を口にし、その者の傍に場所を借りた。
「疲れた……」
もう、独り言も解禁し、警戒なんて捨てていた。
「お疲れさん」
またまた幸いに、完全に、一員だと思われているようであって、男はやっとこさ、脱力できた。そうして、口は軽くなり始める。
「あんな量の油、何になるっていうんだろうな」
ぼかすような言い方である。用途を知っていても、知っていなくとも、一応は通じる物言いである。
「本当、悪趣味だよな。御上様方は」
望んではいない形での答えが返ってきた訳である。仔細が知りたいのだ。こちらは訳知りではないのだから。だが、追及して、怪しまれたくない。彼らにとっての肝が分からないのだ。よく考えれば、いや、そんな碌に考えなくとも、会話という行為自体が自分のボロを出す、危険な行為だということは明らかだろう、と男は、正常に戻りつつあった思考で、後悔した。
「だな」
ただ、同意して、黒い靄で覆われた巨大な船の方を見た。
あれに、油は輸送されているようだったから。管は、海岸からせり出した、敷き詰められた箱の上を通って、船の方へと伸びていっているように見える。管は海へと途中から入っているようで、船との接続部は見えないが、間違いなく、あの船の中へと蓄積していっているに違いない、と男は思った。油を積む船という記述の存在を知っていたから。
ドゴォオオオオンンンンンンンン!
突如、響いた、炸裂音。いや、爆発音、と言うのが正しいかも知れない。それが聞こえてきた方向からの風圧に、背もたれにしていた物品の山が、男の背を発射台にするかのように、吹き飛んでいった。
幸い、男は吹き飛ばなかったが、隣にいた者は、吹き飛んでいってしまっていた。間一髪、運がよかった。
そして、押し寄せてくる波の向こう、船があっただろう位置に、信じられないものを見た。
噴き出す、黒い大量の油と、それに塗れた、巨大な、巨大な、巨大な、魚。
それに、巨大な船を覆っていた靄が、一部纏わりついていたことから、それが、吹き飛んだ巨大な船の中に密封されていたものであったことを男は悟った。
それは、空へ向けて、大口を開けて、全身が露わにならない程度に少しばかり浮かび上がって沈んでゆくところだった。
そして、強烈な波に流されていきながら、男は、見た。
その巨大な巨大な、魚のシルエットをしているが、魚とは思えない巨大な何かが、被った油が、炎をあげて、炎上している。そして、その巨大な魚は、身悶えもしていない。
異様な、光景だった。そして、その魚は――
ブゥゥウオオオオオオオオゥウウウウウウンンンンンン!
まるで、噴射するかの勢いの蹴り出しか何かで、一直線に、地平線の向こうへと、消えていったのだった。
男はそれが、モンスターフィッシュ『センカンソシャクブナ』の稚魚であることを知りはしない。
そこにいた黒い靄の装束の者たちの全ても、知ってはいない。ただ、用意された指示の通りにしているだけだ。
知っているのは、そこにはいない、この大仕掛けの絵を描いた誰か。そのモンスターフィッシュ『センカンソシャクブナ』の、炎熱に対する反応と、それを消さないように維持させる手段。
それは、プログラムされた、機構。そうされれば、絶対にそう行動するという、習性。燃え続けている間は、一切合切を無視し、ただひたすらに、一直線に進む。自身の加速状態での体当たりに抗える何かに衝突するその時まで。
そしてそれは、特定時点へ、一目散に突貫させ、そこを地形ごと亡き物にするという、兵器としての、本来の、想定。




