第二百九十三話 国盗り業、検め
仄暗い部屋の中。窓は一つ。外の様子は伺えるが、外からこちらは見えない。そういう部屋で、私は尋問を受けている。捕えられて。罪を犯した訳でも…―いや、こうやって、制圧されたことが、罪か。任されている国を、私は失ったのだから。
世界は嘗てよりも、遥かに分断されて存在している。嘗ての国家は、存在していられない位小さくなり、嘗て、自治体と呼ばれるような単位毎に、国というのは存在するようになった。
だから、一部の人口密集地を除き、嘗てほど、国盗り、というものは難しいものではない。
一数百人を率いれば目がある。数千人を率いれば確実。万にも及ぶならば、もうそこが新たな国と成り替わる。
そして、ここは、10万を超える人口を持つ都市。統治者としての貴族家が置かれており、その辺に捨て置く程に無数に存在する、小さな村とは訳が違う。
嘗て、カラジャスと呼ばれた地方。それがそのまま現在の国名となっていた国。鉄鉱石の大産出地として知られ、その相場基準となっていた、今の時代であっても資源が取れる場所。
他の都市と比べても、重要度は指折りで。だからこそ、常備の軍もいる。武器もある。お偉方の安全保障もなされている。だというのに、たったいま、そこは、賊軍の手に堕ちた。
嘗て、雄名馳せた者によって。
「おぅ、爺さん。これで全部か、本当に? 違ぇだろう? まだ、ある筈だ。そろそろ楽になったらどうだ? んん?」
私は囚われている。縄に縛られ、動きは封じられ、口から情報を吐き出さられている。目の前にいる男は、私が渡した、採掘場の設備などが置かれている重要箇所へのマスターキーを、くるくると回しながら、私にふざけて迫るかのように聞いてくる。
街に火があがっている訳ではない。灰色で長方形な、土煉瓦と岩の建造物に破損は見られない。
おかしなことだ。
こんな方法で制圧されるとは。乗っ取られるとは。
彼らの目的は、壊すことではないのだ。ごっそり手にすることが目的なのだ。恐らくは――各貴族家に伝わる、嘗ての文明の断片。一つですら強力なそれは、複数手にすれば、まさに、世界を手にするに至るだろう。
この賊の頭は、知っているのだ。どうやったかは知らないが、知っているのだ。生まれながらに、権利を持つか持たないかは殆ど決まっている。各貴族家の頭になった者だけが知る、各貴族家に分担配分された、前文明の断片。
なぜ、知っている? 確かにこの男は、英雄だ。島・海人。英雄だった。そう。嘗ては。今では、唯の悪だ。
どれだけ優れていようとも、唯人。生まれながらに選ばれた者ではない。
……。なら、前提が間違っている?
嘗て姿を見たときと、一切見掛けが変わっていない。年をとっていない。若作りなだけかも知れない。モンスターフィッシャーというのは得てして、こちら側に片足突っ込んでいる連中だ。
「おい。別に俺は、あんたら統治を邪魔するつもりは無ぇ」
賊の長、島・海人は、わざわざそう言うのだ。私だけのことで終わらせてしまいたいのなら、と暗に言っているのだ。
「……」
「いちいち言わせんのか? まぁいいけどな。その様子だと、あんたは俺の知りたいことを知らねぇってことだ。はぁ。結構いいセンいってると思ったのによぉ。はぁ」
と、残念がる、島・海人。
嘗て、モンスターフィッシャーのアイコンとしての彼と見掛けも、雰囲気も変わらないというのに、何というか、熱が無いというか、冷めているように見える。
嘗ての彼と、何が違うのだろうか。
「君は……どうして、変わって……しまったんだ……」
そう、まだ壮年であった頃、入港を歓迎した彼と、大事な中身が変質してしまったような。それが残念でならなかった。
確かに、今回彼は、この街の人々を鏖にすることはなかった。それどころか、軍務に就いている者たちですら、捕縛術の類による、せいぜい打撲や擦り傷程度の制圧。そして、私含め、この街の政の上層部は、ただ、捕らえられて、尋問とは程遠い聞き込みをされただけ。それも、衆目監視の元で。聞かれた質問に答えなくとも解放されていた程だ。
市民に、彼らが食糧の供給を約束したからというのが何よりも大きいだろうか。そして、彼らにはそれができる。恐らく、モンスターフィッシャーの集団であろう彼らなら。それどころか、目の前の彼一人ですら、それ位難なくやってみせる。
そして、私だけが、こう別室にいる。そんな規格外。それも、以前とは違って何をしたいのか、何を考えているのか分からない相手と共に。
「はぁん、なるほどぉ。あんた、俺のこと知ってんのか。ま、確かにここに立ち寄ったことはあるっちゃあるからな。あぁ! 思い出したぜ。あんた、あんとき、俺らの出迎えで出てきた一番偉そうだった奴じゃあ無ぇか。確か名前は……。すまん。流石に覚えて無ぇわ」
一見、以前の彼とは変わらないのだ。こうやって、無礼に豪快に笑い飛ばされても、不思議と悪い気はしないという不思議。
「どうせ直に寿命を迎える筈の私の名前何ぞ、君のような大人物が覚える必要は無いよ」
だから私は、心底素直にそう言った。
「そうか。なら聞かねえよ」
そう言って、島・海人は、縄を解いた。
「……。何の……つもりかな」
「終いだ終い。鍵は開いてるからもう好きにしていいぜ」
そう言って、島・海人は私を通り過ぎて、窓に立った。穏やかそうに、しかしどこか物憂げに、外を見ている。今の彼は、一体、何がしたいのだろう。どうも、半端に思えてならない。
「どうもあんたから強引に聞き出したくは無ぇなって思っちまったんだよ。そういうのは、やっぱ、外道相手だけで良い。あんたは善政を敷いている。なら、俺が仕方なく代わりにやる必要なんて無いのさ」
確かに、それは彼の本心だろう。けれども、核心では決してない。そして、幾ら尋ねようとも、恐らく、彼は胸の内を、明かして何ぞはくれないだろう。
「そうしょげた顔をするなよ。漁獲量から一定量の供給。約束したからにはちゃんと守るぜ。最悪、俺がいなくなって、あいつらだけになっても、それ位はできるよう仕込みは終わってるからな」
そう、彼が言うのは、彼が連れてきた、やけに動きが素早く、なだらかで、浜辺で、市民のうち希望者に泳ぎと危険察知と回避の手法を教えている、私たちほど真っ黒な肌理ではないが褐色に日焼けした者たちのことだ。
「そうじゃあないよ。恐らく君は、知り過ぎている。何れ、理に抹殺されるぞ」
そう。私は知っている。それだけの長い時、生きて居る。私欲に走った前任者が、その悪政と、反乱の責として、非公式に処刑される場に、私はいたのだから。
前任者の政に反論した、次期頭首であった私は、元・次期頭首と成り果てて、牢に繋がれていて、そこでやがて事切れる筈だった。だが、出されて、連れ出された場所で、他の自身の一族らと共に見せられた光景に戦慄することとなった。
言葉通り、理不尽な、恐らくは前文明の技術の複合によって、前任者の側近は音も無く蜂の巣にされ暗殺され、その再現であろう動く光の像を見せられた。そして、恐怖に震える前任者が何やら、一本の注射で、ゆっくりと溶けるように灼けて事切れるのを、私は見さされて、直視しつつも、気絶したりその場から逃げ出そうとしていなかった私を、姿をはっきりとどうしてか視認できない、理不尽を振るった者たちが、次の頭首と指名し、今に至る。
そんな理不尽を振るった者たちと、この島・海人や、やはり違う。私は理不尽を知っている。だからこそ、彼のような、結局は悪ではないように思えてならない者が、無為に散るのは見たくないのだ。
理不尽な者たちは、理の運行を重視し、そこから外れたものを除去する。そう。知っているからこそ――こうやって、大規模な悪戯をしただけに終わった彼らを、理不尽に遭遇させたくはない。
「おいおい? どうした爺さん。さっき色々聞いてたときよりもずっと顔色悪ぃぞ?」
そう、しょける彼を止めたい。どうしてそう思ってしまうのか説明なんてできないのに、強く、そう思ってしまう。
「あぁ。そうか。爺さん。あんた遭ってまってるってことか」
「!」
「こうやって俺は生きてる。そして、俺がアレらを知ってるってことは――もう、答えは分かるよな。俺は、負けねぇよ。負けられねぇから、よ。絶対に」
そう、彼が見せた冷たい表情。覚悟の決まった目と、言葉。絶対なんてありえないと知っているような生き方をしている彼が、決意を以ってそう言ったのだから、もう、私にできることは、もう、無かった。
私はただ、彼を置いて、部屋を後にした。




