第四十四話 決意
「これで俺の話は終わりだ。これが、あいつが、……つけていたイアリングだ。俺は右耳に隠すようにこいつをつけている。」
船長は涙と鼻水でまみれた顔でそれを少年に見せる。少年も同じ状態になっていた。喪失の話。後悔の話。どれだけ願ってももう二度と取り戻せない。
船長は腕で顔を拭った。そして、立ち上がる。少年に背を向けた。
「で、それからお前に合うまでも少し話しておく。緑青の捜索を諦めた俺は、鉢に入れたあの新種のモンスターフィッシュをそのときよく寄っていた協会へ持っていった。俺は未確認のモンスターフィッシュであるそいつを釣り上げた功績から、モンスターフィッシャー証明世界級を与えられた。お前も首に下げているそれだよ。誰にも縛られず、自由に世界中を移動できる権利だ。」
船長の背中は煤けていた。
「こんなもんもらっても何にもならねえんだよっ。あいつがいない世界を自由に独りで渡り歩けって言うのかよ。それでも俺は船長として船に残った。船から下りたら、俺には何も残らねえからな……。」
「そして、自分を偽ってなんとか船長演じてよ。そんなときに出会ったのが、お前だ。俺は希望を見たのさ。恋人は……、もうどうにもならねえ。俺はもう女を愛する気になれなかったからな。世界各地の港で女遊びした俺だったが、それからは全くそんな気になれなかった。だがなあ、パートナーは、見つかった。色んなところが俺と似ているお前をな。」
船長はそのまま後ろを振り向き、少年を見つめる。もう辺りは夕方であった。暁色の光。船長を照らす。逆光。しかし、その目に光る涙はそのぶん際立って少年の目に映った。
「俺とお前は似ている。だから、俺と同じにはならないようにしろよ。本当に大切なもの。それを見つけたら絶対に手放すな。お前の近くにはそれらしいのがもういるらしいからな。」
「うん、おっさん、しっく。俺、しっく、見つけられるかなあ……。」
少年はとうとう耐え切れなくなって泣き出した。船長の言うことの意味はまだ分からないらしい。
「じゃあぼちぼち帰るぞ、ボウズ。」
「うん、しっく……。」
「おい、まだ泣くのかよ。」
「だって、だってさ、おっさん、悲しすぎるやん、それ……。亡くす。それはとても悲しいことなんやで……。俺は四人失っているんやからな……。」
少年はまた泣き出した。夕焼けが沈んでいく中、二人は墓を後にした。少年は最後に後ろを振り返ることにした。
そして、
「おっさん、あの崖の先に立ってみたいんやけど、ええか。落ったらやばそうやから一応見といてくれ。」
まだ涙でぐちゃぐちゃな顔をした少年は踵を返す。そして、ゆっくりと足を進め、崖の先端に立った。
『ここから落ちる。緑青さんはどんな気持ちやったんやろう。』
そんな気持ちで崖下を見ていると、少年の目に奇妙なものが飛び込んできた。海面を泳ぐ、何か。非常に細長い影。
『あ、これ。島に入るときに見たやつちゃうか?』
少年が自身の記憶と照らし合わせていると、それは突然姿を現した。跳ねた、いや、体を鞭打たせるようにうねらせている。崖上から見てもはっきりと見える大きさ。
少年は直感した。これは船長の話の中で出てきた、緑青と船長が共に挑んで敗れた新種のモンスターフィッシュであることを。
『おっさんの話と全く同じ……。白い巨体を持つ、白銀色の光を放つ細長い魚。』
「おっさあああああん、今すぐこっち来て崖の下を見るんやあああああっ!」
少年は船長がそんなに離れたところにいるわけでもないのにわざわざ叫んだ。なんとしても見てもらいたいから、確認してもらいたいから。
少年の思ったとおりであれば、これは船長の心の楔の一つなのだから。それを取り除くチャンスなのだから。
少年の大声を近くで聞かされ耳が痛くなる船長。
「おい、急に叫ぶなよ。頭に響くじゃねえか。耳もきーんとするしよ。」
ゆっくりと崖の先へと近づく。
そして、崖下を見て、
「嘘だろっ、間違いない。あのとき逃してしまった、緑青といっしょに挑んで、しっく、逃げられ……。」
船長は泣き崩れた。
しかし、その表情からは悲しみは感じられない。そこから滲み出るもの。それは、感謝。再び挑戦できることへの喜び。
少年はしばらく間を置いて船長に話しかける。船長の選択を、決意を知るために。
「おっさん、どうする? 今は俺、釣り道具持ってないねん。おっさんもそうやろ。」
「ああ、そうだ。だけどな、諦めるわけにはいかねえだろ。だからなあ、――」
その日の夜から次の日の昼にかけて、船長は阿蘇山島を駆け回り、集められるだけの船員を集めた。そう、訪れた偶然を釣り上げるために。そして、前に進むために。




