第二百八十五話 きっとそれは、脳内当てのような問い
―戻って、少年たち―
バチバチバチバチ
夜の砂浜。しかし、海はなく、だが、砂漠の砂ではなく、それは海の砂だった。深く漂う磯の匂いがそれを物語っている。
遥か遠くに視認できる、透明のドームの壁面。海と、区切られている。場所に変わりはない。だからこそ、きっと、ここで起こる全ては…―
「……。焼けたか」
豪快な男がそう言った。
火を囲い、二人は佇んでいる。火を挟んで向かい合って、真剣な面持ちをして俯き、影を落とす。
火には、串刺しの魚人が焚べられている。その、青白く銀掛かった鱗が、狐色掛かり始めていた。
串に手を伸ばし、それを持ち上げた男は立ち上がり、それを、少年の方へと差し出す。
人一人分程度の大きさの魚人。頭は完全に潰れており、原型はなく、焼けたことにより、断面の生々しさは失われていた。
鱗も、黄金色から、若干、黒焦げに寄り、元となったであろう魚種も分かりはしない。ひれは焼け落ちて既に灰になっている。
「……」
少年は無言のまま、のっそりと立ち上がり、それを受け取ることなく、背を向けた。
「食わないのか?」
「……」
問い掛けが耳に入っていないかのように、少年は反応しなかった。その心が、先ほどまでの出来事に未だ囚われていたから。
ただ、遠くを、見ていた。
透明な壁面の方ではなく、何もなくなってしまった、遥か遠く、中央の方向を見ていた。
狐にでもつまされたかのような心地だった。
ここはそういう場所だと分かってはいても、見た、感じた感覚は、そうやすやすと、それが虚実であるということを認めせてはくれないのだから。
嘘のように何もなくなっている。
ここからの遠景であった、あの、木片を組み、立て、上へ上へと突き立てた数多の尖塔と、その下にあった、それらのある一帯を覆う、波の無い、海水の湖。存在していた、入り混じった、海水魚ベースの魚人の数々。辛うじて足場としての役割を果たす、底から水面僅か上までの長さの杭と、渡された、平滑な薄い木板。
そんな場所の中央、他の木片とは違い、縦木取りの木片だけで構成された、一際高く、一際丈夫に作られているらしかった塔。
目印か何かのように聳えていたそれ。
迷うことなくそれが一先ずの目的地であろうと分かった。
隠れる場所は無く、だから、駆け抜けるように強行した。打ち倒しながら突き進んだ。それができるだけの腕が、自身にも、連れにもあった。
思っていた以上にあっけなかった。四肢の欠損どころか、重症といえる損傷すら負わなかったのだから。あのときの、海の底の魚人たちが、如何に異常で、異質であったのかを、後々になって、思い知らされた。
突っ切って、止まることなく、その数十メートルをよじ登り、その頂に触れた途端、魚人たちや、周囲の塔、足場である木片の下にあった水が、そんなもの最初から無かったかのように、すっと消えて、磯の匂い残る、平らな砂浜と、その塔だけが残り、自分たちは、その魚人たちの村が消えずにあったであれば外縁部であった辺りに立っていた。
それだけが残ったのだから、こちらに選択肢は無いということは明らかだった。だから、その頂へと、まるで誘いに乗るかのように向かった。
まるで、茶番。誰かの誘導。あのときの海底での流れとどこか同じものを感じて、表出しつつあった苛立ち。
それで――何だ。誰かの掌の上で遊ばされているかのようだ。意味もなく、転がされている。そんな風に思わずにはいられなかった。
ぶるっ、ぶるるる、
「おい、どうした……?」
妙に静かで、消沈しているようで、何か考えているような様子だったのが、ちょっと様子がおかしくなった少年を見ていた豪快な男は、何かやばげなものを感じ取って、不安げに声をかけた。
しかし、その声は届いていない。
のそり。
少年は返事を返すことも、振り向くこともなく、立ち上がる。そして、
「あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"――!」
息の続く限り、長く、長く、虚空へ向けて、虚ろな目をして、獣のように叫び続けた。
―再び、某所―
「さて。君の小さく幼くも勇敢な恋人の様子。どう? だろうか」
モニタリング。
そのような風習も、概念も、技術も、一般的にはとうに失われた今であろうとも、ある場所にはあるものだ。
加えて彼女は、技術については、一度目の海底に至った際に目にしているが故に、話は早かった。
「……。いつも、通りよ」
思うところはある。けれども、流れを切らず、会話を続けることを選択したようであった。だからこそ、ただそう言うだけに、沈黙が必要になった。
暗い部屋。リールの前に投影される映像。
叫び終えて、虚無な目をして、突っ立った少年の顔が、フォーカスして映し出される。
(私がやるか、ポンちゃんがやるか……)
「答えは決まっているのだろう? どうして迷う。結論は変わらないというのに。君はどうしてか、自身の精度を信じ切れていないようだが」
「……」
闇から響いてくる声が、彼女の耳には届いていない。無視でも沈黙でもなく、反応さえしないのだから。下唇を噛むように、リールは悩んでいた。いや、悩んでいるという言い方では相応しくないかもしれない。答えは決まっているのに、踏み切れないでいた。そういうのがきっとこの場合、正しい。
「ふむ。……。なかなかどうして」
闇からの声は、ぼそり、そう呟いてから、今度は、大きく響く声で、しかし、穏やかに言うのだ。悪趣味にほくそ笑むような味を含めて。
「時は貴重だよ。特に、今の君にとっては。竜宮城へ二度行って、二度戻ったという例は、お伽噺にも、書かれてはいないのだから。だから、君の意を汲むことにするよ」
そして、声は消えて、気配も消える。
彼女は、両の手首足首に、鎖の感触と、ずんぐりとした重さがを付与されたことを感じ、眼前の投影映像と、周囲の闇だけが、残されていた。
観念するかのように、
じゃらり。
鎖の音立て、座り込んだ。投影される、未だ虚無な目をして、突っ立つ少年の姿を、ただ、無表情に、眺めていた。




