第二百八十四話 勧誘、狡く悪趣味な思惑
―少年たちの居場所離れて、某所―
「――、御目覚めかな?」
渋く、低く、ざらりとした声。イントネーションはあるのに、やけに平坦に、感情が篭っていないように聞こえる、知らない声。
良くない事態。
鳥肌立つ感覚。
未だ視界は殆ど真っ暗だったけれども、結論を出すには十分だった。
「っ!」
ギィィッ!
「繋がせて貰ったのだよ」
(っ! 鎖……? 右手、左手、左足、右足……。首は……、ついてない)
ギギギギ、ギチチ、ギィッ!
「諦めろとは言わない。が、一旦、落ち着いてみても悪くは無いかと思うのだが」
(こいつ……何……? 何も……感じない……。いる。目の前に。そうだって、言い切れる。でも……見えない……。感じない……。ぼやけてすらいなくて、ただ、見えない……。黒。闇。まっくら。私と、その周りだけが狭く、照らされている。けど、だから見える筈なのに……。鎖ははっきり見えてるもの。鏡みたいにぴかぴかで。……、でも、私と、この青色のベットしか、映ってない……んだもの)
得体の知れないモンスターフィッシュにでも対峙しているかのような感覚。脅威は感じられても、実体を捕捉できない。
モンスターフィッシュという類似を知っているからこそ、すぐ傍にいる筈のそれを、えもしれない恐ろしいものということを認めてしまい、目を逸らすことはもうできなかった。
だからなのか。絶望でも諦念でもなく、手と足から、すっと、力は抜けた。
「宜しい」
相も変わらず、聞こえてきた声に、熱も揺らぎも、無かった。そこにいて、いないような、何か。口を塞ぐでもなく、首を束縛するでもなく、逃亡だけを奪ったような、半端な拘束。
「……」
(多分、全力を出せば切れるでしょう。けど、後が続かない。隙を、つかないと。悟られないように)
リールは、気配の方向である、自身の頭方向へと首をのけぞらせるという、曲芸染みた姿勢を取って、強く、睨みつけたのだった。
睨み、睨み、睨み、向こうの反応を待って、待って、待って、そして、――
バチン。バチン。バチン。バチン。
「えっ?」
予想だにしなかった返答にリールは驚き、腑抜けた声をあげた。
「何を驚く? ただ、君の四肢の戒めを解いただけじゃないか?」
その声を聞いて、かくん、と力が抜けて、へなへなっと脱力するリールだったが、気配が遠くなっていることに気づいて、凡そを理解した。
とはいえ、その結論は不可解なものではあったが。
リールは体を起こし、ベッドの上に座ったまま、気配の方向を睨みつける。
「何がしたいの」
冷たい声で、そう言った。それは、ずずっと浸透するような、冷たく鋭い、感情の乗った声。相手の、虚無であるが故の、情報量が極端に少ないが故の冷たい声とは全く種類の異なるもの。
「答え合わせでもお望みかな? 君の想像した通りだろう。返すまでも無い。無意味な遣り取りだ。それだけの精度を持つ君なのだから」
(こいつ……。駄目ね。話が通じないわ)
リールはすっと立ち、跳び、地面へ。
そして、気配のする方を向いて、言うのだ。
「もう一度だけ、大人しくしておいてあげる。もう一度だけ、訊くわ。何がしたいの」
ゆっくりと姿勢を低くしていく。両手をゆっくりと地面について、尻を突き出して、足を前後に出して、曲げて、溜めて、準備を終わらせる。相手の答え次第で、動き出せるように。
この足になってからは試していない。けれども、生身だった頃のそれよりは突き抜けて強力になっているであろうそれの為の準備を整えて。
試してないからこそ、札として、自身が持っているものの中では、自信を持って、切れるのだ。加えて、出し惜しむだけの余裕もない。
切り時である。
「君の牙が届く距離から離れる為に拘束しただけに過ぎない。ついでに調査と観察が為に近くで見たかったというのもある」
びくっ!
リールは姿勢を解いて、びくんと、背筋を伸ばして立ってしまう。寒気がしたのだ。薄ら悪い寒気。寒イボが立つ類の寒気。のけぞりそうな勢いで。
そうして、自身の二の腕を、反対の手で掴み、胸の前で組むようにして、その寒さが体から抜けるまで耐えた。
そして、力を入れて、しっかり立つ。それでも二の腕抱えて組んだまま。
「まさか……」
「そのつもりだったら拘束を解くことはあるまい。それに、君の精度なら、意識無き間のことであろうとも、誤魔化せはしないだろう」
「さっきから何なのよ。もういい。言わせたいんでしょう。私から言わせたいんでしょう。知ってるもの。そういう物言いをする人。身近にいたのよ。貴方ではないけれども。だってあの人は……。いや、無駄な遣り取りね。さっきから貴方が言う、せいどって何なの?」
相手の名前を聞くでも、素性を探るでも無く、リールは相手の望みをただ汲んだ。
「宜しい。聞かせてあげよう」
そして、足裏に触れた、固い何かの感覚。
「腰を掛けるかどうかは君に任せる。短い話になるかどうかは君次第なのだから」
リールは組んだ腕を解き、後ろのそれに手を回す。
そして、乱雑に、尻を、身体を、それに向けて放り、預けた。
「……」
足を開いて、うなだれたかと思うと、やさぐれた目で、気配のするだけの虚空を見た。
「随分と早い決断だことだ」
「こういう時は、決まって長くなるものだから。私のせいどがそう言ってるもの」




