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モンスターフィッシュ  作者: 鯣 肴
第?部 最終章 それはXXXの時間の檻
431/493

---148/XXX--- 時址の灰の演目 ~形而の境界~

 少年は、まゆをしかめ、目を細め、ほんの数メートルの距離しかないのだからくっきりはっきり見えているであろうはずの、壁の文字を凝視する。


 壁の文字を見ながら、時折、振り返るように白磁の少女像を見つめる。


(この子が書いた……訳ないやろな。俺よりもちっちゃい子みたいやし。けど……、何て書いてあるか全然分からん……)


 知らない文字でつづられた、文。ただそれが、時折、繰り返しのような一致をところどころに含んで並んでいることから、それが模様ではなく、文字であると判断していた。模様だとするにしては、柄が、まばらに散り過ぎている。


 分からない文字。そこから引っ張ってこれる情報は、ほとんどない。唯の印象、くらいしか得られない。


(この子が書いたんじゃなくて、この子の親が書いたんやろか? 兄ちゃんや姉ちゃんがいて、書いたっていうのもあるかもしれん。こんだけ長くつらつらと、しかも、血文字やろ? 怖なかったんかな、この子?)


 離れて、部屋、中央。扉寄りにあるそれの年頃は、明らかに、自身よりも幼い、と少年は把握していた。大して背丈は自身と変わらないというのに。しかし、それの表情を形作る起伏が、ひとえに、少年が知る自身の生きる時代の子供たちが刻む眉間みけん辺りの皮膚のしわといえるような度合いと比べ、著しく浅く、薄く、少なかったから。


(無理、やろう。やって、この子、俺よりも小さいんやろ?)


 顔のしわの無さ。それが鮮明で、現実をきっとそのまま映し、刻んだようであるが故に。


 その石に成れ果てた少女は、あまりに、苦労を知らないように見えた。きっと、苦しみを知らない。きっと、こうなる寸前が、きっと、この少女の最も苦しんだ時間であり、きっとそれは、短く、自分たちが苦難だ、苦痛だと思うことと比べるときっと、ぬるい。


 こんな死にざま。石になってしまうという死に方。それはきっと、大概のモンスターフィッシュによる牙が命に届いてしまうのよりもきっと、ぬるい。


 きっと、ろくに苦しんでもいないのだ。訳も分からないまま死んだか、肉体的に痛みは無かったか。素体の傷の無さ故に少年はそんなことを自然と考えていた。無意識下で、うっすらと。


 めていた。綺麗過きれいすぎて、嘘染みている。だから、心は、さらに冷たく、冷めていた。


 と、まあそんな風に、色々考えつつも、まとめると、少年は自身よりその少女が、そう成り果てた年齢は、自身の今の齢よりもだいぶ前であったのだろうと少年は思った。


 そして、それは()()()()()()


 その文字はその少女が自らの意思を持って書いたものであったし、その少女の年齢は、少年よりも少し上だった。無理もない。分かる訳がない。少年の観察眼も、推測も、精度が高い、正確なものだ。しかし。前提の部分が、まず違っている。なら、積み上げた情報も、その上に立てた答えも、合うはずが無い。


 少女は、前時代の人間。


 前時代と現代の間にあるずれは大きい。


 その時代にいては、教育によって、少女といえる程度の年齢であれば、特別に優れていなくとも、唯の平凡どころか、それに満たない程度でしかなくても、言葉も、意思も、滞りなく、書きしたためることは他愛もないことなのだ。


 少年ははなからそんなことは知らない。


 知っていなければ分からない。そういう時代が、自分たちよりも遥かに恵まれた、幸せな時代があったのだと知ってでもいなければ、分かりようもない。


 そう。知ってでもいなければ。


「ポンちゃん」


 聞こえた声。石の少女の向こう側に、少年は焦点を合わせた。


 リールが、少し影を落とした顔をして、言う。


「出ましょ。ポンちゃん。ここには何も無いわ。何も」


 その声は、普段よりもきれいでなくて、けれど、冷たく吹く風のようで――


(……)


 少年は寒気を感じた。何だか、少し、その声が恐ろしく聞こえてならなかったから。






 リールも、両親や教育係からもそんなことは教わっていない。現代には既にそんなかつての当たり前は、そんなことまるで無かったかのように遺失しているのだから。今となっては、前時代の輝かしき当然の残滓ざんしは、既に、特別な地位に立つ折にようやく見知る権利が与えられるものとなってしまっているのだから。


 しかし、リールは、答えに辿りついていた。より少年より近く、かすっている。


 しかし、根拠はない。


 しかし、直観が、そう訴えている。


 リールは、少年を見据える。その目つきに耐えかねて、少年は、すっ、と目線を下す。商店は、より手前にずれる。


 部屋の入口とリールの中間、少しリール寄りへとずれていたそれが結ぶのは当然、この部屋、この場所での、直近の惑いの原因。


 スッ。


 そうして、一歩を先に踏み出したのは少年。ギリギリ、とびらがあった位置の直前。


(お姉ちゃんはそう思うんやろうけども……、やっぱり俺は、ここに何かあるんやって思うんよなぁ……。視界が広うなる外の方がずっとずっと、こわい、こわい。それに、)


 そして、リールの方を見る。


(お姉ちゃんは――、)


 リールは、難しい顔をして、首を傾げながらも、何か考え込んでいた。時折、上を向く。そして、しばらくすると前を見る。


(……くそっ!)


 頭をよぎった、ここへ辿り着いてからの失敗。その終わりに、近い未来を想像する。それは、これまでの流れに沿った、悪い予感。鮮明な想像。


 それは奇しくも、あるかも知れない未来を垣間見るかのように想像するという、直観。


 それに、救われてきた。それが、自身を致命的なところからいつもいつも、逸らしてくれていた。結局のところの、少年の最後の最後に頼る、縁。生まれ落ちたその時からある、自身の中の、観念。


(リスクは、俺が、取るんや)


 前へ。


 そろり、そろり、とゆっくり、足音を立てずに。その歩幅と速度を一歩ずつ上げて、歩くような速度となって、少年は躊躇ちゅうちょなく、警戒としていた境界を、越える。


 圏内けんない


 それは、もし、その石の少女の手が動き出したとしたら、容易につかまれてしまってもおかしくない、わずかでも反応が遅れれば、初動で気づけなければ、避けられないだろうと必ず保ち続けていた最低限度の距離。


 視点を変えるため、物理的にも見方を変えてみようというのもあり、すぅっと、身を乗り出すように、それの背後、それの腕の下方からのぞき込む。


(何やぁ。はぁ。やっぱり、気配無いな)


 吐いた息が、その石像の腕に掛かる。


(ただの、石のかたまり、なんやな。生きてなんてないんや。()()()()()()()()()()()()()()()())


 それも、探り。石橋を叩くような駄目押しな慎重。


 そうして、杞憂と決めつけた。やってみると、あっけないくらい、他愛ない。

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