第四十一話 かつて得た日
竿を垂らして引きを待つ船長と副船長。その後ろに俺たちは立つ。
「船長。緑青といっしょにモンスターフィッシュ釣っていいか?」
「おいおい、海人。冗談言ってるんじゃねえ! だいたい、緑青はそれでいいのか?」
「船長、僕からもお願いするよ。彼とやらせてくれないか? 僕はもう覚悟はできている。」
いつものほほんとした雰囲気しか出さない緑青から真剣な雰囲気が漂う。それに押されて船長は俺たちがモンスターフィッシュに挑戦することを許した。副船長も同意してくれていた。
「だがな、あくまで仮だ。今回釣れなかったら諦めろ。特に海人。お前にはモンスターフィッシャになれる素質はねえよ。だから今回が最後のチャンスと思え。」
船長は俺たちの方を振り向かず、そう言い放つ。何も言い返せない俺。もう数年船に乗っているが、ここにいる凄腕たちでも俺のパートナーは務まらなかったんだ。
いや本当は、俺がパートナーをつとめる域に届いていなかったんだろうな、今考えてみたら。それに気づけていたら、こいつの申し出を断って、こいつもきっと今も生きていたんだろうな。
「終わらせないよ。君が僕のパートナーになったのだから。」
緑青は、俺にだけ聞こえる小さな声で、だが、芯のある声で俺に言うのだった。
モンスターフィッシュ専用釣竿を垂らし、早速俺たちは釣りを始めた。普通の釣竿よりもはるかに持ち手が太くて長い。だから、二人掛かりで使用するんだ。
通常の魚よりはるかに力の強いモンスターフィッシュを相手にするから当時はこれが当然だった。モンスターフィッシュのことはまだあまり分かってなかったし、その素材を利用するなんてこともなかった。
モンスターフィッシュがただの危険な水生生物、未開の生物、突然変異体と考えられていた時期の話だ。だから、釣人旅団は狂気の集団と呼ばれてたよ。モンスターフィッシュを狩るべき対象として見るのが当然の時代に、釣るべき対象と見ていたからな。
「カイト、さ、早速だけど、引いているみたいだね。か、かなり、強い引きだね。」
緑青は、そのあまりの引きの強さに、噛み噛みになっている。
「ああ、こりゃやべえな、間違いなくモンスターフィッシュだわな、こりゃ。」
俺も熱が滾ったさ。なんせ、異常な引きの強さだったからな。釣竿につけた餌の大きさからして、せいぜい数メートル程度の大きさの魚しか通常の魚だと釣れない筈だからな。それよりも確実に強い引きだったぜ。
その時、遠くでその獲物の姿が。白い巨体を持つ、白銀色の光を放つ細長い魚。そのとき俺は気づいたよ。これは間違いなくモンスターフィッシュ、それも、未確認のやつだとな。
「こ、これは何として、も、釣らないわけにはいか、ないね。」
緑青もそのことには気づいている。その日の天気は曇りで、薄い霧が立ち込めており、獲物との距離は約30mというところか。その距離では本来であれば見えない筈の魚体が俺たちにはしっかりと見えていたんだ。
「一気に引くぞ。いいか、緑青。長期戦になると勝ち目なさそうだからな、これ。」
「い、いいよ。君が、タイミングを。」
かなり苦しそうにしている緑青。こいつはそんなに体力がない。力は俺と同じくらいあるんだがな。だからこそ、早く勝負を決めないと。
「よし、引くぜぇぇっ!」
俺のその掛け声を合図にして、二人同時に引く。この釣竿の構造からして、二方向から同時に引かないと真っ直ぐ引っ張れない。だから合図する必要があったのさ。一方、引かれるときは魚が真っ直ぐには引けず、その引く力を軽減できるようになっている。どちらかといえば防戦用の竿だったのさ。
「おい、こりゃやべえわ。」
もう数分ずっと強い力で引いているのだが、距離が詰められない。それどころか、距離が開いていっているように感じる。
俺は眉をひそめる。なんつう力だこの魚。だが糸は切れてねえ。となると、やはり俺の力が足りないのかも知れないと、苦虫を噛み潰す想いだったぜ。
「う、うん、そのようだ、ね。」
緑青はかなり苦しそうだ。全身から汗が噴出している。全力で数分粘ってるんだ。そりゃそうなるわな。歯を食いしばって、顔も真っ赤だった。
そんな時、俺たちの耳に嫌な感覚が伝わってきた。音とともに。
プツン。
そう、切れたのだ、糸が。俺たちの体力より前に糸が耐え切れなくなったのだ。この獲物の動きが巧かったとか関係なしに、唯、糸がその力に耐え切れなかったのだ。明らかに想定していたよりも巨大だったその獲物に。
「……っ、くそっ。」
膝から崩れ落ちる俺。
「糸、はぁ、切れちゃ、はっ、たよう、はぁ、だね。」
緑青はもう息が上がってしまっていた。
『再び挑むか? いや、糸は切れた。もう一度挑んでも……。』
さらに両手を付いて甲板にひれ伏す俺。俺はそうやらモンスターフィッシャーには成れないらしい。俺は本当に諦めようとこの時思ったんだ。
すると不意に俺は体が宙に浮くのを感じた。そして、体の向きが反転し、目の前には船長の顔。
「おい、海人ぉ! てめえ諦めるのかぁぁっ! お前の相棒は竿に新しい糸付けて再度挑むみたいだぜ。お前がそれでどうするんだああああああぁ!」
鬼の形相。しかし、込められているのは怒りではない。その目は俺を見下していなかったのだから。真っ直ぐで信念を持った目だったよ。
そして、襟元を掴まれたまま上下に二度振り回された。そして、俺の体はあいつへと向けられる。緑青。息を上げつつも、目は、顔は死んでいない。まだ続けるつもりだ。なら、俺が諦めるわけにはいかない。パートナーが諦めてないんだからなあ。
そうして、俺は放り出された。
「海人ぉ、またさっきの新種が引っかかったら俺たちが今度は手伝ってやるから、怖れず向かっていけやあ。」
期待の目。俺をそれが後押しする。船長だけでなく、他の船員たちも俺たちを囲むように集っていた。
そして、再び竿を下ろし、釣れた。なんかすごいあっけなく思うだろ。確かにあっけなかったんだよ。引っかかったのは別の魚だったからな。一応モンスターフィッシュだったから俺と緑青はモンスターフィッシャーになれたがな。釣れたのは、モンスターフィシュ、チョウチンアンコウ。通常のものよりも大きいことは大きかったが。そいつを釣り上げた後、どう見ても緑青がもう限界だったからよ、そこで終わりにした。名残惜しかったがな。
船長一同に、ちょっとがっかりされながら、しかし、大きな声援を送られながら、俺たちの初めての大物狙いはそうして終わったわけだ。
「こんな結果になるとは思ってなかったよな、全くよ。」
「僕たちらしくていいんじゃないかなと思うけどね。そういうことで、カイト。これから共にがんばっていこうか。」
医務室のベットで横たわりながら、緑青は俺に手を差し出した。俺たちはそうしてパートナーとなったんだ。
「どうだ、ボウズ。これが、俺がかつてパートナーを得た日の話だ。」
儚げそうに、船長は少年の方を向いた。
「……。」
少年は何も言葉にならない。濃厚な船長の感情が語りから伝わってきたからだ。その整理がまだついていない。下を向いて無言。
「ちょっと重かったか、話が。」
そうして二人その場でしばらく佇む。
「続けてくれや、おっさん。」
下を向いたままぼそりと、少年は呟く。この話は悲しい終わりで幕を閉じると分かっている。しかし、その中には船長の考えるパートナー像があるのだ。聞かないわけにはいかない。
少年のその声と共に、その後の話、緑青との別れについて語られる。




