---136/XXX--- 時址の灰の演目 ~導きの灰色雲字~
ごくり。
少年はそう、溢れてくる唾を飲み込んでから、
「お姉ちゃん。ここはさ、たぶん、心が弱ったら、灰になってまうっていう場所なんやと思うねん」
口にした。
思っていたよりも、言葉にしてみたら、何とも突拍子も無くて、説明にもなっていないし、説得力も無い。
少年の目の前のリールの、よくわからないけれども、少年の言うことだし、全くのお門違いでも無さそうだし、というような少し首をかしげ、止めて、の戸惑いと繕いの微笑みの表情からも明らかだった。
「お姉ちゃんが気絶してる間にさ、蔵の中でさ、色々読んでん」
勇気を持って、口にしたのに、伝わらない。それがどうしてか少年には分からない。少年には、説明なんてする意味も必要も、あの島から出るまで、碌に無かったのだから。島で面倒見てくれていた、祖父や祖母や、父や母とは違う。
それにまだ――少年とリールの関係には、勝手知った仲にすらなるに至らない。絶対的に年月が足りない。
「……。ごめんね、ポンちゃん。ちょっと、分からないわ……」
そう言われて、やっと少年は、理解した。どう足掻いても分かってもらう、理解してもらう、には届かないのだ、と。
(そう……やんな……。俺だって、言ってて、何言ってるか分からんようなってきてたし……。それに、お姉ちゃんを、こんな心配させて、不安にさせて、俺……何やっとるんやろう……)
リールが、とても言葉を選んで反応したことが、とてもよく伝わってきたから。
「……。とにかく、さ。気をつけよ、お互い。不安なったら、言お。それだけやねん」
少年は、そういうこと、にして無意味な時間を終わりにした。
「ちょっとあれ、調べてみよか」
「そうね。それ位しかできること無さそうだし、じっとしてても不安になるだけ……だものね」
少年が、坂の中腹のそれを指差してそう言うと、リールはそれを肯定した。
コトッ、コトッ、コトッ、コトッ――
コトッ、コトッ、コトッ、コトッ――
足並み揃え、ゆっくりと登る。前へ進む。周囲を警戒しながら。
少年がやたらと首を動かして、目を頼りにしていることに気づいて、リールも言われずともそれに倣った。
周囲を見渡しすぎて、そろり、そろり、進むさまはきっと、誰かが見ていたなら不審に見えること間違いなしな感じではあったが、ここにはあいにく、二人以外には、人っ子一人、在りはしないのだから。
コトッ、コトッ、コトッ、スッ。
コトッ、コトリッ。
到達して、少年はそれに手をのばす。リールは足を止めて、ほんの少し後ろからその様子を不安げに見つめる。
同時に触れようとしなかったのは、リスクの分散。言葉交わさずとも自然とそうなった。そういうところは互いに分かるのだから、相性が決して悪い訳ではないのだ。息はとてもよく合う。しかし、それでも、互いをよく知るにはあまりに時間が短い。だから、心の内まで、互いが互いに分かるなんてことは都合よく起こりはしないのだ。
ざらっとした手触り。
唯の、小さな子供がぼそっと自然体で立って、少し上を向いているような、そんな手先も足先も、分かれてなんていない、人っぽいモチーフといった形の、その程度に見えるだけの、唯の石だ。そもそも、足っぽい構造自体ない。立っていることが不自然でも何でもない、下ほどずんぐり大きく広い土台部分である三角オニギリ型の石の上に、遠めから見たら、大雑把に細い小さい子供の形を抽象的に取っているっぽくも見えなくもない程度の、唯の石だ。
不意に音もなく現れた、ということ以外は。
さすり。さらり。ざらり。
手ざわりも岩肌のそれそのものであり、だから、少年は振り向いて言う。
「ただの、石の塊、やな。虚仮脅しみたいやで。はぁ、よかったぁ~。……っ、良くは無いか。ねっ、へへっ」
さすり。さすり。トンッ。
その人のモチーフの頭らしき部分の上を安心しきってさすって、さすって、そのまま動きを止めてそこに手を置いて。そうして思わず零れた少年の笑み。
「そうね。ふふっ」
リールもそうやってに微笑みを浮かべた。それがこの場所に来て初めて、二人が繕うことなく自然に微笑んだ、心を緩めることができた場面だった。
しかし。そうやって和んでいられる時間は、ほんとうにほんの一息の時間だけだった。
ブゥオゥウウウウウウウ、
「! 何やっ!」
風が吹く。それは質感からして明らかに本物な、冷ややかな風。坂の上の方から吹き下ろしてきた風。
「唯の風でしょポンちゃん。ちょっと落ち着きましょ」
リールは穏やかな感じでそう言うが、
「……、いや……、これ、ポンちゃん……」
周囲が途端に暗くなり始める。日が落ちるだとかとは違う。
ブゥゥゥゥウウウウウウウ、ヒュウウウ、ヒュウウウウ、ブゥオウウウウウウウウウウウウウウウ――、ガラララ、ゴロッ、ゴロッ、ビィウウウウウウ――
そう。天候が急に悪化し始める。坂の上から、ここにだけ風は発生していたのではなかった。
二人は殆ど同時に、空を見上げる。
ピピッ、ガ…―
一際大きな稲光が遥か上空で迸しったかと思った刹那、風も音も止まり、起こる筈の煌めきも、無かったことにされたかのように、途切れた。
時が止まったかのよう。そこにいる二人、以外。
「「……。今度は一体、何、なん」」
「やろうな……」
「でしょうね……」
互いの顔を見合わせるように、不安そうに互いに向かい合って、答えのない同じ問いを互いに向けて言う。
そして、
「!」
気づいたのはやはり、少年。
傍の、人の子供の大きさくらいの石の造形が、いつの間にか上を向けて、片腕をを翳していたのが目に入り、それに促されるように、すぐさま上を再び向き、これまた傍のリールの肩を、ポンポンッ、と叩いて、指を立てて上を見るようジェスチャーする。
そうして目に映ったものを少年は重要視して、傍のその人の子の石のモチーフのことは脇に置いた。少年は、この海の底から繋がっていたこの場所に来て、何度も類型を目にしていた。
それは、この場所で事が進む際の典型。そう感じて。そして、それは、今にも揺らいで消えてしまいそうだったから。白灰色で少し見にくい。雲の集まりが意味を成したかのようなそれ。集中して、目に焼き付けようとする。
【此処は過ぎ去りし砂の上の楼閣。一度足を踏み入れれば帰路は無い。順路を進め。遡るか、天地逆転か、はたまた別の路を拓くか。望むが儘に順路は定められる】
灰白くそう、浮かんでいた文字は、風の音も無く、すっと、散るように消えた。




