---130/XXX--- 来た道など疾うに無い
ザッザッザッザッ、
少年は早足で歩を進める。疲れなんて、気にする訳にはいなかかった。体力は……そんなものは、意地で補う。そのつもりで。
日の光は、微かに夕焼け色に変わっていた。つまり――猶予が形になって、迫ってきていた。
二つの意味で。
何故ならそれは見えている。夕日と共に。大きさも定かではない、まだ遠くでぼやけて浮かぶような、街は、確かに、先ほどまでよりも大きく見えるようになっていた。徐々に、ほんの少しずつだが、確かに、徐々に徐々に、大きくなって。
夜が訪れるとすれば、それが何を意味するか。安全が担保されていないと見るならば、朝夜の遷移には意味がある。
それはきっと、都合のよいものの筈がない。きっと、それは、見るまでもなく、危険だと、予感。
ザッザッザッザッ――
リールを背負って。未だ眠ったままのリールを背負って。
起こさない、と決めたのだから、と頑なに起こさないでいた少年であったが、曲げるべきではないか、と思い始めていた。
走れない、のではない。走らない。少年はできないのではなく、選択していたのだった。早歩きに留めている。
走らないのは、日記から感じた警告から。不安や失意。それが一時的なものであろうが抱けば、きっと心の防御は崩れる。
少しした動揺程度の筈だったのだが、まるで、詰み上がった積み木の塔が揺れる如くの揺れ幅だった。
そして、不安の核心すら認識できないままに、分からない何かとなったそれにどうしようもなく塗り潰され、そのうち、それすらも自身の自我と共に、消え失せるのだ、と、体験も踏まえて、少年はそう結論付けていた。
リールをここにきてすら、急がないといけないこの今ですら、起こすことを躊躇しているのは結局、そこだ。
少年は想像していた。想像してしまっていた。リールが自身の目の前で、取り乱して、泣き狂い、絶叫するかのように、それすら幻覚であったかのように、何も無かったかのように、自身の瞬きの合間に、消えるその前後に焦点を当てた一部始終を。
折れそうになった。心が。それでも、折れない。折れられない。どうしても。どうしても。背に負ったリールが為。自分が錯乱させてしまったのに、謝りもなく、何も言わず、即断で、気絶させたリールが為。行動と選択。そして、のしかかる、責任。
決して悪いことだけではない。もし、少年一人だったならば、ここで終わっていたのは明らかなのだから。
ザッザッザッザッ、
(一体、どれだけ歩けば、ええんや……)
少年は曲がりくねった道を行く。小さな丘がいくつか折り重なって続くような道を。足元はぬかるんではいなかった。いつの間にか。
乾いていた。乾ききっていた。踏みしめる地面の音は、冷たく、堅い。
リールを気絶させた時点で屋敷から見えた先の道に見えていた家々はもう、一軒も現れていなかった。つまるところ、幻だったかのように、見かけない。
そういう風なものであるのか、あれらの幾らかが先がまともに続いていることを望んだ上での幻影であったかは定かではない。
ザッザッザッザッ、
何もないはずの道ですら、巨大な罠の一環であるかのようで、疑いを向けるとそこは泥沼に変わり果てる。そして、自分たちは今まさに、穽陥の深穴の真上、砂の被さった布の上を、落ちるな、落ちるなと祈りながら歩いているようなものなのだ、と。
先ほどまでよりも、より赤く強くなった夕焼けと、蜃気楼のように歪む、まだどこか薄い街の遠景。
灰色の石造りの街に近づいているかすら定かではない。
それでも信じる他はない。
ザッザッザッザッ、
揺らいだ少年は、街の輪郭が姿として見えたことを意識できて、いなかった。しかし、その影響は恐らく、あった。少年はその途端に、やけに後ろが気になったから。それは、実のところ、正面にある光景以上に、変化していた。
それでも少年は向かない。振り向かない。振り返らない。足を止めない。
ザッザッザッザッ、
(……あかん。後ろは、振り返ったら、あかんのや。きっと、何も、ない……)
汗は、もう、出ない。喉はいつの間にか、がらがらに乾いていた。
(なら……! いや……。……。ちょっと……だけや……。完全には、振り向かへん……。止めへん。足も……)
耐えきれず、しかし、それでもブレーキを踏むかのように、中間を取る。目の端で、自身の背中のリールの足を、見た。夕焼けの斜光。つるりとしたリールの肌。なら、期待できる映り込み。
ザッザッザッザッ、
(……。そう……か……。そう……やん……な……)
それは唯の答え合わせにしかならなかった。目で感じた尺度と距離との違い。そして、リールに覆われていない、足の裏側の部分、膝裏から下辺りで感じる、熱の無さ。触れた空気が物語っていた。
今、後ろなんて、ありはしないのだ、と。




