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モンスターフィッシュ  作者: 鯣 肴
第?部 最終章 それはXXXの時間の檻
408/493

---125/XXX--- ウェット・ロード・ホームランド 前編

 ヌタッ、ヌタッ、ヌタッ、ヌタッ、――

 ズヌッ、ズヌッ、ズヌッ、ズヌッ、――


 足音は、ある時を境に、ぐしゃりとした湿り気と共にねっとりとしたものに変わっていた。


 二人並んで歩ける程の道幅の、土の道。左右は高く生いしげる草地。道に分岐ぶんきは無く、蛇行しながら、ひたすら先へと続いている。街は、遠い。薄くぼけた、大きさの変わらない街の外郭の遠景が見えるのみだった。


 逆に言うと、目的地を見失うことはない、ということではある訳だが、それは安心を担保するものとしては、場所が場所故に不十分だった。


 二人が行く道は、人の気が無かった。それどころか、動物、いや、虫一匹の存在すら、視認していなかった。この場所に踏み入れたとき鳥の声を聞いた筈なのに、鳥の姿すら微塵みじんも。


 しかし、それは二人の仲で予想できていた範疇はんちゅうのことであったが故に、別にどうということはなかった。逆に、こんな、本当は海の底な筈なこんな場所に、うじゃうじゃ何かいたりしたらそれこそ良い意味でも悪い意味でも落ち着いてなんていられない。


 この場所の一つ前、あの海の中の回廊かいろうの中で出会った男のこともあって、人一人くらいは見当たるかも知れない位には思っていたが、それも二人はほとんど期待してはいなかった。


 そもそも、こんなところに誰かいたとしたらそれがまともな類であるはずはない。寧ろ、そういうのは出てこないでくれ、とすら思ってしまっている。


 ところどころ、打ち捨てられた風車であったり、半壊した納屋や家屋といったものが見受けられた。それらは到底中に入れる状況でなかったので二人は通りすがら眺めるだけで立ち入ることはしなかった。


 そうして、だいたい道なりに進んでいたが、そんな道はところどころぬかるみを含んでいた。どろ水溜みずりができている、などという訳ではないが、二人の歩みが、ねっとりとした音を立てる位には地面は湿気ていた。


「あの看板が立ってた辺りから、ずっと、こう、よね……」

「やね……。鼻、慣れた? お姉ちゃん……」

「だいぶ、ね……」

「慣れるもんなんだね……」

「そう……よね……」


 二人がこの場所に降り立ってすぐではなく、それは、降り立ってしばらく進んでから起こった変化であった。


 丘の上で吹いていた風。それが弱まって、やがて止んだのは、歩き始めて数十分位経った頃。そして、道の脇、膝丈以上ひざたけいじょうの草のふちの前に建てられた看板が見えたとき、それは、始まった。


 【bioptope No.Ⅴ:homeland】


 あの看板、と言う、木でできた看板に、黒で書かれた文字列の意味を二人は知らない。そこ言葉を構成する単語が秘める、きな臭い意味を、真意を、知らない。


 しかし、それは二人の今に関わることでは無いので今はまだ触れない。


 分からないということだけがただ分かっていて、だからこそ、その文字列をメモだけして、むやみやたらに考え込むことはせずに、二人はすぐさま歩き出した。


 そして、数分足らずで、


 ヌタッ、ヌタッ、ヌタッ、ヌタッ、――

 ズヌッ、ズヌッ、ズヌッ、ズヌッ、―― 


 足音は妙に湿っていた。急にそうなった、という感じではなかった。二人の感覚に引っ掛からなかったのだから、それは、徐々に徐々に、起こっていった変化であった。


 きっと、看板に辿たどり着く前からそれは起こっていたのだろうと二人は推測していた。根拠は、臭い。それだけが違っていた。それだけは、不意に現れたのだから。風がそれを覆い隠していたのだから、風が止めば、それは現出する。


 強烈な堆肥臭たいひしゅう、つまり、草と土とそれらの混ざり合って熟成したどろりとしたにおいとして立ち込めてきた。


 二人にとって、それは未知の異臭だった。類型は知っているが、それと比べてずっとずっと、強烈だった。だから二人は、その臭いを知らない。それは、磯や、魚の臭さとは別種の臭いなのだから。


 それが、毒、などとは二人の判断がいかなかったのは、リールがその臭いについての形容の一つを聞いたことがあったからだ。座曳から偶々聞いたことがあったからだ。


 堆肥の、臭い。生物と草の、混ざり、熟した、臭さとは裏腹な豊穣ほうじょうにおい。


 今はなりを潜めてはいるが、かつてリールも、少年のように、未知にがれた者だったのだから。外のことは、何から何まで知ってみたかったのだから。


 その欲は結構満たされはしたが、それにはかたよりがあった。海に関わる事柄にその経験はかたよっていたのだから。


 だから、二人には、漠然とした不安が残る。知識として知っているだけのものと、経験しているのとでは、へだたって違う、ということを二人共に知っているのだから。


 せいぜい、知らないよりはまし、程度でしかない。


 ヌタッ、ヌタッ、ヌタッ、ヌタッ、――

 ズヌッ、ズヌッ、ズヌッ、ズヌッ、――


 その頃からずっと足音はこれで、土と草のにおいが強く沸き立って、立つ足音は不意にそうなって、船の上のそれとはまた別種のバランスの悪さに手も繋いでいられなくなったが、また数十分が経過して、それにも慣れてきた二人であった。


 しかし、不安はぬぐえない。だから、二人の心は弛緩しかんしない。緊張したまま、次に備えている。予兆も無しに、不意に地面がぬかるんだこと自体には二人は気を向けないようにしていた。そんなもの、考えてもどうしようもないことなのだから。予兆もなく、起こる。何か、起こる。感覚に微塵みじんも引っ掛かるものがない以上、せめて、突如のそれに動じないようにする、すぐさま対応するようにする。


 見るべきは、既に起こった致命的ではないことより、次に起こるかも知れない致命的な何か。一先ずはそうする以外、無いのだから。


 ヌタッ、ヌタッ、ヌタッ、ヌタッ、――

 ズヌッ、ズヌッ、ズヌッ、ズヌッ、――


「さっきの看板の意味、さ…―」

「止めましょポンちゃん。読み方さえ分からないの、考え込んでも仕方ないじゃない。それに…―」

「や、やね……」


 互いに互いをさえぎり合って、けれども二人は会話を止めない。

homeland。だいたい、この単語一つで、きな臭さと碌でもなさが伝わるといいなと思います。

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