---121/XXX--- 瓶詰海底散歩
「……」
「……」
歩いて、いる。ただ、歩いている。無言で。二人並んで。その、透明なトンネルのような、真っすぐ続く道を、ただ、歩いている。リールが右側に立って。少年が左側に立って。
いつの間にか起きたリールに後ろから肩を叩かれて、そうして、促されるまま、歩き出して、もう随分長い間歩いていた。
自分たちの入っていた透明な箱の中に共に入れられていた、リールの義手義足のスペア候補な、袋に入ったままの品々と、シュトーレンや少年に活性を齎した注射器と内容部のセット。
二人共、直前の記憶は抜け落ちていたし、思い返すことは頭痛によって阻害されてはいたが、それらが価値見出せる品であることは問題なく再度気づいて、運べるが無理ない程度、一人五袋ずつくらい手にして背負い、歩いていた。透明な箱は、その大きさ重さ故に置いていった。運びきれなかった荷物と共に。
時折、互いが互いを見る。しかし、それは同時ではない。片方ずつ。もう片方はそれに反応しない。ただ、歩調を合わせて並んで歩いているだけだ。
手にした荷物故に、手を繋ぐという選択肢もない。
「……」
「……」
だからこその、こうやって延々といつまでも続く沈黙。このいつ終わるか分からない歩行と同じように。
十数分、どころではない。数十分、いや、下手をすれば数時間、歩きっぱなしだった。それでも変わり映えのない景色。少年が先ほど見たかのクジラ以外、何一つ横切る存在も、壁の外からついてくる何かなんてのも、無い。
透明な壁の外の海は、白く、青い薄光が時折揺らめくばかり。波音すらなく静まりかえっていた。そして、自分たちの足音すら、全くしない場所。それは、視覚、聴覚の両方から二人を不安に陥れる。
歩く足音すらない。並んで歩き、時折見る互いだけが、互いに自身を迷子にさせないでくれている。
「……」
「俺ら……、どうなるん……かな……」
とうとう、少年が弱音を吐き出した。ぼそり、と言い淀みながらも、口にした。前を向いたままそう言った。
「……」
リールはそれに対して何も返さない。返す言葉なんてない。彼女はこれも自分のせいだと信じ込んでいるから。俯きがちに悲しそうに少年を見ながら。目を背けていない。答えを返さずとも無視している訳ではない。
応える言葉なんてない。それが答えだった。
少年もリールもその間も足を止めることはなかった。ただ、前へと、未知な先へと、足を進めていた。
少年はそれを見てやっと、視線をリールに向ける。
「……。ごめん、俺、余裕なくて……」
今度はちゃんとリールの方を見て、少年はそう言った。気の向いた言葉なんて言えない。そんな余裕はないし、そういう言葉が口を紡ぐようには幼過ぎた。
それでも、
「取り敢えずは、生き残ったってことやんな? じゃあ、こっから出れたら終わり、やろ?」
幼さ故に、けなげだった。無理をした。わざとらしく、明るく声を作った。繕った。顔はひくついて、青ざめて、目は、笑いを形作ることを全然できていない。
「……」
リールはそれに返す言葉を持たない。
それでも—――涙するほど嬉しかった。嬉しさと情けなさがこみ上げてくる。それでも、声をあげて泣きなんてはしなかった。というより、もうその涙自体が、立派なボディーランゲージだった。
だから、少年は、
「行こっか、リールお姉ちゃん。ここまで来たんなら、出られなかったら全部嘘やで」
そう、無理をする少年が左手分の荷物を捨てて、不安から青白くなっていた、差し出してきた右手を無下にすることはしなかった。
「もっと早く、こうしてればよかったわね」
出された手を、リールの左手は握って、今度は並んで歩き出した。
「……」
「……」
手を繋いで、並んで歩く二人。しかし、先ほどまでと変わりないくらいに無言が続いていた。見ている景色に少しばかり動きがあった。それは別に、辿り着くべき先が見えたとかそういう訳ではない。
足を止めた。二人共。互いを見合わせ始めた訳でもない。互いに別の方向を見ている。見ているのは、この透明な覆いの外。海。
二人が今いたその部分では、小さな生き物が、横切ったり、停滞していたり、といった風であった。
「新種、だらけやなぁ。姿形、似たの一つも見たことないわ……」
少年は、針金のような脚を持った、中央の靄か藻の中から、白い針のような脚がたくさん生えた何かを見ながら独り言のように言い、
ごくり。
音を立てて唾を飲み込んだ。
「そう、よね……。これ、何、なのかしら……? たぶん、モンスターフィッシュではないでしょうけど。そもそも……、魚、これ……?」
魚の形をしているのに、ヒレもエラも目も無い、紙のように薄く、しかしたなびかない褐色の和紙のような何かを見ながら、リールは不安そうに言う。それは返事ではない独り言だ。
ぎろり。
扁平な平たい、地面に垂直に立つように浮かぶ、こぶし大くらいの大きさのコインのような赤緑色のそれは、中央から、黒目が殆どを占めるような単眼で少年の方を不意に見たかのようだった。
「うおっ、目ある奴もおるんか。でもこれ、碌に見えてないぽいなぁ」
少年は音の立たない尻餅をつきながら、その動かない瞳の黒目を見ながらそう言った。
少年は抑えているつもりではあったが夢中だった。こんな機会、まず無いからだ。未知の海域の未知の魚たちを思うが儘に見ていられる機会なんてものに、これまでの考えが隅に追いやられたかのような感じだった。リールも少年程ではないが、外の珍妙な生き物たちの姿形や動きに目を半ば奪われていた。
別に、それらがモンスターフィッシュかどうかの気配による識別が、その透明な壁越しではできないことなんてどうでもよかった。
そんなひとときが、二人の精神を少しばかり上向かせるのだった。
そうして、それらがやがて二人の前を通り過ぎていってはけた頃、新たな景色が、二人の目に映った。




