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モンスターフィッシュ  作者: 鯣 肴
第?部 第四章 操者の糸の果て
402/493

---119/XXX--- 陽だまるまどろみの手向け

 リールの出した答え。それが正しかったかどうかは分からない。いや、そもそも、正しい答えなんて最初からありはしないのかも知れない。


 少年は、シュトーレンの遺骸いがいらい尽くした。皮どころか骨も残さずに。最後に残っていた頭を直視するように見つめても、それでも正気に戻ることなく、それをかじり、砕き、咀嚼そしゃくし、すすり、たいらげて、


 ツゥゥ、ポトッ。


 ねっとりとした、血色のつばが、リールのほほに、落ちる。リールは少年に馬乗りになられていた。


 改めて想定し直したリールにとっての、それは最悪の近辺。決して最悪ではない。未だ。


 リールは一切の抵抗をしていない。少年を、見つめている。


 その目は血走っている訳ではない。落ち着いているように見える。けれども、その瞳孔どうこうは動かない。それはまるで死者のひとみ。色違い二層のガラス玉のように動かない。


 なら、今、動きが止まっているのは、何だ? 偶然か、意思を以てのものか。なに、直ぐ分かる。


「きて。ポンちゃん」


 ポタッ、ポトッ。


 リールは両手を伸ばし、胸元に迎え入れるように、ただ、そう言った。その最中に、少年のつばが頬に落ちようとも、鼻筋から伝って自身の口に流れ入ろうとも。名を口にしたのは、選択をここに来ても変えるつもりはないという、決意表明。誰が為に? 当然、自身の為に。


 そこまでしなければならない程に自身が弱いと思っているリールであるが、それは間違っている。ここまできて、逃げも隠れもせず、言い訳すらせず、りんとして自己の終わりの前に、立っているのだから。






 そうしてリールが言い終えた後の数秒の余韻よいん


 そして――


 ゥオン、


 少年の頭が激しく落ちる勢いで沈んだかと思うと、それは一目散に、


 ガビュゥゥゥゥ!


 リールの首筋に歯を立てた。


 ブシャァアアアア――


 き出す、血。それは、少年の口の分に入る分を除いても吹き出る勢い持つ程に多かった。広く、派手に散った。あっという間にリールの意識は、くらむ。


「生きて、ね。何が、あっても」


 ミシシシシシシシ、ブチィィ、ギリリリリリリリ、ピキピキッ――


 それでも、リールは言葉にした。痛みに耐えつつも穏やかに願いを口にした。そして、


 スゥゥ、グッ。


 少年の背にリールは両手を回したのだった。そうして、自身の右首筋から右肩にかけてを咀嚼そしゃくする少年をその胸に抱えたまま、千切れ砕ける痛みに、やがて、気を失った。






 ブゥオゥウウウウウウウ――


 落ちる。


 落ち続ける。


 強く強く抱き合ったまま、落下は続いている。


 リールは気を失ったまま。そして、少年も気を失っている。両の手はリールの背に。口は頭はリールの肩にかじりついたまま、涙を流しながら。落下に伴い、その涙は、縦に流れる。


 そう。


 落下。


 あの書庫前広場が成り果てた穴。それが拡大し、二人を飲み込んだのだ。決着のついた二人を。この場での判定は終わったとばかり、穴は二人を綺麗きれいに含み込んで。


 落下は続く。


 ガラララララ、ブゥオゥウウウウウウ――


 時折上から下へと、二人を追い抜くように通り過ぎて落ちていった瓦礫がれきたちが、底についた音は一切しない。そのことが、これがひたすら続いている落下であることを証明していた。


 落ちてくるあらゆる瓦礫がれきは二人を避けていた。その深遠な穴は、生者と死者を分ける。命あるものと、ただの物体を分ける。その穴はそういう分け隔てる機構である。そして、とある場所へ相応しき者たちを送るが為の道である。


 二人は、その他諸々とは分けられた。生者として。


「おめでとう。一先ずはそう言っておくとしよう。というのも、そんな君たちに一つ、招待状を送る。それは、地上への帰還の手立て。若しくは、深淵しんえんへのいざない」


 それは、遥か下から響いてくる。巨大な気配がある。かたまりのようで、複数から成っている。数は分からないが、決して少なくはない。


 その声は、遥か下方のそれらの意思を代弁する、代表するものであった。


「先へ進むといい。行き着けば、君たちには一つの選択の権利が、与えられる。上か下か。辿たどりつければ、の話だが」


 その声は、二人の意識がないことなど、気にも留めず、ただ、言葉を続ける。


「尤も、君たちからすれば、そう、不可能というほどのものでもない。君たちが、回生した今でもあっても、変わらずふさわしきものであることを私どもは祈るばかりだよ。心からそう、思っている。役目故に、思うばかりだ」


 まるでその言葉には悪意はない。寧ろ、諦念むしが見え隠れする。したくないことを敢えてして、それが役目と諦めている。まるでそんな良心の欠片くらいは持ち合わせているかのような口ぶりで、


「しかし、君たちなら至るかも知れない。だからこそ、封をしてあげよう。……。問題無かろう。天秤てんびんの傾きに変わりはない。両辺から等しく取り除いただけのこと。それも、束の間のものだ。寧ろ、錘戻おもりもどりし後は、負に傾く。……。ふぅ。過去は振り返るべきではない。そうしても壊れない程に、心身が一先ずでも平静を取り戻すまでは。しかし、今は、眠るといい。その揺りかごの中で」


 声の主は無意味な偽善を為す。只の、自身をむだけのような偽善を。


 そうして、声は、止む。気づけば、来た時の箱と共に、透明なトンネル状の、海の中の回廊かいろうの中に、二人は、いた。ふところに互いに彼、彼女。それ以外は陽だまりに包まれて、温かなもので、二人の空間は、満ちた。


 二人は起き上がらない。意識はまだない。形になろうとしたそれは、温もりを感じ、抱き合ったまま、穏やかに、共にまどろみの中。


 その、互いに互いを抱き寄せた手は、示している。互いさえ、あればいい。それだけでいい。もうそれだけで、満たされる。共に、なによりも大切なものだけは、この手に、守りきったのだから、と。


 それは、やりきった者たちへと()()()()、一先ずの休息だった。

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