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モンスターフィッシュ  作者: 鯣 肴
第?部 第四章 操者の糸の果て
401/493

---118/XXX--- 貪食回生

 ……ビチャッ、グナナナナナナナ、……


 それは、意識が戻ると共に、聞こえてきた、音。その音に、起こされた。


 ……ゴォオオオ……


 途切れる。散る。意識は、未だ、半ば。それは、この場全体が揺れる音だろう、とリールは思った。さっきの、音、は? と考えようとすると、


 ………………――


 また、途切れて、


 ……ブチッ、ボ……


 何だか一瞬、生々しく何かが壊れる音がしたような……、


 ………………――


 ……ザァアアアアアアアアアア――、バチン、バッ、ザァアアアアアアアアアアアァァ……


 少しずつ、途切れの感覚は遠ざかってゆく。それでも、まだ、途切れる。まどろみとは違う、重みによる、疲労な眠気。リールはそれをよく、知っていた。


 ……ブチッ、ボキィッ、ブツッ、ビチッビチッビチッ……


(ま……た……?)


 それが、建物の倒壊音でも、天井の破裂が続く音でもないことは、もう既に分かっていた。しかし、それが何かは分からなかった。


 スゥゥ、ギチリ、ギィユゥゥゥゥッッ、ブツッ!


 もう、音は、途切れない。


 それでも、何故分からないか。簡単なことだ。目を、開けていないからだ。開けて……。開けて……。いない。意識を取り戻したのなら、自然と、目を開けるだけ。


 些細ささいなことだ。後ろ手を、引かれるような。引いてくれる者なんて、もう、居はしないのに。


 容易なことだ。だというのに――


(……。こわ……い……。開けたく、ない……)


 とりとめのない、しかし、はっきりと押しつぶされるような不安を感じた。


 ギュッ、ギュッゥッ、プツッ、ピッ――、ピトッ。


 左頬ひだりほほに、暖かなものが、触れた。それが、液体の類であることは、感覚の残り方から明らかだった。


 まるで、目を開けろ、確かめろ、と言われているかのよう。


 義手側でない、左側の、ほほ。もう、身体に感覚はすっかり戻っている。まだ、鈍重に感じつつも、その程度の動作なら、容易いだろう。


 立ち上がる必要も、姿勢を大きく変える必要もない。今、自身はうつぶせに、顔を横に、左頬ひだりほほを上に向けて、砂の上に倒れているのだから。


 そうして、鼻孔に遅れて届く、鉄のにおいの混じった、ひどく心が落ち着くようなにおい。


 かたくなだったまぶたふたが、緩み、開いた。






 ギニチチチチィィ、ブチィイイイイイイイイ、ブシャァアアアアアアア――!


 ふとましい腕の断片。手折った手羽先を引き千切った、歯、首、千切れた後に血の動線。少年、だった。らって、いた。えたけものが、えさにありついて、それにがっついているかのような。


 少年が生きて居る。それは、まさに奇蹟きせきのような幸福だった。しかし、それは同時に地獄じごくだった。


「……なん……で……」


 ただ、そう、震えながらリールは口にした。その場から動くこともできず、それでも目を背けることもせず、リールはただ、そう言った。


 答えが返ってくるなんてことはないということは分かっている。それでも、口にしたのはその言葉。少年の名でもなく、今しているその行為を止めるよう懇願こんがんすることでもなく、発狂するように叫ぶのでもなく、そう言った。


 ガリリリリリリ、ピキィッ、ボキィィジュルルルルルルルル――!


 少年は肉が剥がれてき出しになった滑らかな骨の一本を手にし、みついた。立てた歯は、骨にひびを入れつつ食い込んでいき、骨は真っ二つに砕ける。そんな断面に、少年はがぶり、とらいつき、中身をすする。


 だからリールのそれは、自問自答だ。どうして、こんなことになってしまったのか。想定していたあらゆる最悪より、ある種、越えて、見るにえない。それでも、目を背ける訳にはいかない。


 少年の姿が浮かぶ。笑顔の少年。自分に微笑んでくれる少年。今の様子とはかけ離れている。


 ある意味、そのまま死んでいてくれた方がずっと、リール自身にとって、楽、だったのかもしれない。動かない。動けない。リールは、それを止める手段を持ちえていない。そもそも、止めたいのかどうかももう、よく、分からなかった。


 ガシュッ、ギュゥゥゥッゥウウウウウウ、ブチチチ、ブチュゥゥゥゥゥゥ――!


 骨についていた、一本の太い筋が、食いちぎられた。


 干からびたようになっていたはずのその体は、吹き出た汗を片っ端から蒸気に変えつつ、その空っぽだった筈の中身が、徐々に充実、充填じゅうてんされていく様子が目に見える速度だった。


 飢餓きがからの暴食だというのに、吐瀉としゃした様子はない。ひたすら、手を止めることなく、食べ残しなど出す様子もなく、千切った部分を順番に口にしてゆく。


 シュトーレンの遺骸いがいからは、右半分は既に無くなっている。そうして、少年は、シュトーレンの左手を今食べ終わったところ。左足も、既に無い。


 頭は残っている。胴は八割方食い散らかされている。そう。もうシュトーレンは残骸ざんがいと成り果てていた。


 そんな光景を見て、自身が浮かべることがことごとく少年のことばかりであることが、リールを更に傷つけていた。


 少年が自身に抱き着いてきてくれたときの感覚。少年が自分を追って、来てくれたときの第一声。浮かぶ。浮かぶ。次々に浮かぶ。憶えている。鮮明に。


 そこに――シュトーレンを中心とする光景は一つも、無い。 


(なぁんだ……。やっぱり全部、私の……せい、じゃない……)


 改めて、身勝手と、責ある処を自覚した。かつての、母親から言葉を思い出す。


『リール。どれだけ跳ねても貴方は女。いつかそれに、引きられることになるわ。それを忘れてはならないわ。私はそれが嫌で収まるところに収まった。貴方は果たしてどうするのかしら』


(このこと……だったのね……)


 途端に体に感覚が戻る。動き出そうとすれば、すぐにでも動けそうな具合。けれど、リールは、決めた。


(見てる、から……。最後まで、見てる、から……。どう……なっても……。ここに落ちたそのときに、私は確かに、そう、決めたんだもの)


 そうしてリールは、少年がシュトーレンの遺骸いがいむさぼり終わるのを、ただ、じっと見て、待った。

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