---115/XXX--- 躊躇なく、命を込めて
見えているそれが偽物だなんていうことは、言われるまでもなく分かっていた。しかし、そこから遠くない、争いが続いているのだというのは
ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドド――
ググググカンカン、ズスッ、ガキィンン! カンカンカンカン――
この音で分かっていた。変化していたその音で。リールは、負けの手前にいる、と。あれだけの損傷が、むきむきシュトーレンには致命傷になっていない、決め手になっていない、と少年は悟った。
(間違った……ん……やか……ら……。俺、が……)
賭けに出てもまだ足りず、それどころか、今の状態のシュトーレンの底を見誤ったのだ。あの薬剤がそれだけ埒外な品である、ということでもある。あまりにも、常識から、いや、摂理から外れた品。唯一、把握していた可能性が三人の中であったのは、今、意思なき暴力装置に成り下がった、そんなにまで堕としてしまったシュトーレンだけだ。
(けど……遠くは……無い……筈や……。じゃあ……、あと一歩……。俺……やら……な)
薄れる意識の中、ギッ、と下を向いて目を見開いた。目は、右、のみ。片目、しかなかった。それでも少年はそんなこと気にも留めなかった。片目あるならば、照準は、定められる。
目の先。近くも遠い、数十センチ先。そこに、自身の釣り竿は未だ吹き飛ばされることも砂に埋もれることも、踏みつけられて折れることもなく、そこに、あった。
(転がって……る。ほどいて……ない。お姉……ちゃん……。竿……。あそ……こ……)
ズズズ、ズズズ、ズズズズズズズ、――
体が、軽くなっていく。すり減っていっているのだと分かる。千切れていっているのだと分かる。それでも少年は、止まらなかった。
父や母の顔を思い出す。二人もきっとこんな気持ちだったのだと、思う。
それで自分たちが終わるのだとしても、やらねばならないことが、生き残らせたい者が、無為にしたくないものが、あるのだ、と。
いよいよ自分はここで終わるのだと少年は強く思った。鮮明に、父と母の顔が、浮かんだから。死の感覚なんてもの知らなくとも、それが
ズズズズズーー
もう、痛みもない。ただ、眠い。意識は断続を挟むようになる。
(まさか、パンチやなくて、上に打ち上げられたんが死因になるなんてなぁ)
けれどそんな断続の間にはっきり思考は浮かんだ。
ズズズズズーー
(わからんわ。こんなの)
反省する時間はあるらしい。だからそれを、反省じゃなくて、最後にできることをせめてやるために使う。
届くかわからなくとも、終わるその時まで、最後の仕事へ向かうのだ。
ガザスゥゥゥ。
掴んだ途端に体中の力が抜けた。いつもより軽く感じるも、まるで自分のものではないかのように力の入らない身体だと今頃気づく。
だから、それでも離すことなく掴めていたのは奇蹟のように思う。まるで触れるように。
せいぜい、数挙動。それが自身の本当の意味での限度なのだと少年はすっと知ったが、そこに焦りは無かった。それどころか、妙に心は落ち着いた。
澄んでいくかのように、砂音と打撃音は消え、砂嵐の壁の中の、リールとシュトーレンが浮かぶように見える。
釣竿の針を譲ってくれた者から、ふと聞いた注意を思い出す。
(『人を選ぶ道具というのは特別な資質か、代償、もしくはその両方を使用者に強いるものだ。そして、君を選んだその二つの道具は今の君でも持て余すだろう。短時間なら問題ない。長時間だと倒れるくらい疲労する。しかし、君が満身創痍だったなら、きっとそれらは、君の命を燃やし尽くすかも知れない。だから、早く、強くなるんだ。心身共に、その道具に本当に見合うくらい。資質だけじゃあダメだ。君自身がその資質に追いつかないと。才能にひきづられないように。そうしないと君はいつか、多くの船員たちと同じように、いつか船の上で、年取る前に、死んでしまうよ?』)
「……」
少年は、自身の手を見た。
右手に釣り竿が握られている。ありがたいことに。奇蹟的にそうあってくれている。
(それでも助けられるんやから、)
想像する。鞭のように、振り払うように振るのだ、と。握りは考えなくていい。引き戻すことや、話さないようになんてことも、この身体のことも考える必要はない。ただ。思いっきり。狙いを定めて、その通りに。たった、それだけでいい。
一瞬で駆け抜けるように走る竿先が浮かぶ。やれば、絶対に成功すると、何故か、疑いようもなく思えた。当然のように。
目を見開いて、立ち上がる。
音はない。しかし、砕け崩れる感覚が、すぐさま遅れてやってくるだろうということは、身体の軸の、その直後の崩れ具合から明らかだった。鋭く振るった。
(儲けもんっ、)
それと共に、時計回りに崩れ落ち、倒れゆく自身を視界の傾きで認識しつつ、少年の意識は、
(やで…―)
糸の行く末を確認することなく、途切れた。




