---114/XXX--- 行くも止まるも蟻地獄
ドゴコオオオオオンンンンン、ザサァアアアアアアアア!
少年の復活に気づきもできないほど余裕のないリールは、無理に上体を捻りながら跳ねるようなような駆動で後ろのめりに、エンジンの入ってきたシュトーレンの、大槌の一撃のようなテレフォンパンチ、しかし、予兆はあっても全力で避けることに徹しないといけない速度で放たれるそれを避け、着地する。
ズスゥゥッ!
足は止めない。
ズズッ、トンッ!
リズムを刻むように、小刻みに動く。捕捉されてしまわないように。
視界は次々に舞い上がる砂によって、自身の上体から下は広範囲に渡って見えない。それも少年の姿に気づかない理由になっている。
リールは目の前の争う存在に意識を集中しないと、未だ目の前のもう致命傷は与えた筈の、それでもまだ自身を一段上回る速度と、まだ僅かに上回る怪力、何故か容赦なく増えた、とうとう迫りくる弾幕のようになった、しかし、守りに徹すれば辛うじて防ぎきれる程の連打連撃。
ドドドドドドドドド――
ググググカンカンカンカン――
むきむきシュトーレンの左手のみによる連打に次ぐ連打を左手義手を盾にしながら、半ばまともに受けて、半ば受け流す。
シュトーレンは、左手のみでしか、拳を放てなくなっていた。しかし、左手のみでも、連撃を放てるほどにまだ余力を残していたのだ。少年ほどではないというのに、重体に片足突っ込んだような重症なのに。本来、人間の枠組みでそのような損傷を負ったならば、もう、戦闘不能だ。
そのことがもう、シュトーレンはもう、戻ってこれないところまで行き着いてしまっているのだと、僅かながらの欠片のような希望すらもう、リールは捨てる他、無かった。
誰も彼も、極限状態。
ドドドドドドドドド――
ググググカンカンカンカン――
(やらないと……。やらないと……。やらないと……)
目の前以外、もうリールは何も見えていなかった。リールは何としても、目の前のシュトーレンを終わらせなければならない、と意地になっていた。せめて、人として、死なせてやるべきだ、と。
もう、見たくない。目を閉じたい。しかし、目を閉じたら駄目だということは本能が訴えていた。そしてそれは正しい。体半分ぐしゃりと潰れた、落下してきた、まだ生きている、生きているだけの少年なんて見たら、認識してしまったら、もうそこで、壊れる。この場所に来てから傷つき続けてきた心は、もう、再起不能に、そう、全て台無しに、終わる。
リールによる、骨どころか、その下の臓物までぶっ潰した、ぶっ飛びと自身の右足義足による強烈な足裏での蹴りによって、シュトーレンの右脇腹から、右胸下部辺りまでが、砕け、裂け、潰れ、血も肉も、流れ、垂れているというのに、シュトーレンの時間切れの気配はまるでなかった。そんなもの望むのが絶望的と思える程に。
致命傷の筈な一撃の直後の動きは鈍ったとはいえ、それでも、少しずつ、速度も、攻撃の重さも手数も増え続けていて、リールはどんどん押されていった。リールの体力は人外染みているとはいえ、薬物による強化を得て本物の人外となったシュトーレンには遠く及ばない。
もう、明らかだった。
たとえシュトーレンが勝ったとしても明日はない。それは、注ぎ込まれた生命力の、ノンストップでの高速燃焼。鮭の遡上のようなもの。エネルギーが切れたら、ぴたりと止まるように死ぬだろう。
すると、浮かんだ少年の顔。
(このままだったら、ポンちゃんの犠牲は、何のため……に……)
一瞬振り向くも、見えるのは砂煙ばかり。
すぐさま振り向きざまに、左へ、
タンッ!
跳ぶ。
ドゴォォサァアアアンンンンン!
砂が柱でも生えるかのように吹き上がった。
(もう……嫌よ……。私だけ生き残って何になるっていうの……。もう、嫌……よ……)
タタタタタタタ――
弧を描くように、走るリール。それでも止まれないのは、止まれば、全部否定することになるから。少年の犠牲も。生きながらにもう死んでいるシュトーレンも。
どちらも、自分のせい。自分のため。こんな狡い自分のため。そんな価値は自分にないのに。そんなものを見て、思い知っての心の言葉であるが故に――リールは止まることはできなかった。たとえ走り切って、待っているものが無価値な無意味な、惨めなだけの勝利であるとしても。
遠く、から見ていた。満足に動けない少年にとって、数十メートルという距離は、遠く遠く、だった。
少年は、思いつめていた。
ドクンドクンドクンドクン――
(あか……ん)
高鳴る心臓と共に浮かんだ、シンプルなそれは、絶望や悲嘆や諦念の心音では決してない。
ドドドドドドドドド――
ググググカンカンカンカン――
グググ、ザズズ……。
辛うじて、動かせるだけの形が残っていた唯一の四肢、右手。指は、親指と小指以外、砕け、ひしゃげ、二本ですら、半壊しているのに動かせているのは――動かしているのだ、執念で。
燃料が、切れる。寸前だった。ガワだけの再生。中身の強度ある再生まで追いついていない。動くたびに、内部的に崩れる骨や筋。それは、四つん這いから立ち上がろうとした直後の転倒から顕著となっていた。
それが、少年に整合性を取らせていた。
戸惑いや熟考ではなく、今真にすべきことにだけ注力させている。ちぐはぐな行動を取らせない。何もかもが、今は、決死だ。
(まだ……や……。やる、んや……)
ただ一つの真近な目的だけを、今、その目は、見ていた。砂の中。見えない筈のリールとシュトーレンの幻影を確かに少年は見ていた。




