---108/XXX--- 遠く見えぬ深き処から
【此処は、門。深界への門】
読んでいるというよりは、読まされている気分。
(巫山戯てる……。ポンちゃんが叫ばなければ、私が叫んでいたかもしれない……)
【汝ら二人、未だ試練の最中】
しかし、内容の唐突さには目は向かない。読んでも頭に入ってはいない。
読めば次が現れていって、キャンパスとなっている半固体は、薄汚れるかのように透明度を徐々に失っていく。
普段の二人なら、観察し、考える。そんな視点を常に持っている筈だ。しかし少年は余裕の無さから。リールはそれとは違う、より悪いものから、そんな状態に陥っている。
操られていたときよりはまだましとはいえ、狭まった視野はまだまだ回復には程遠い。
(だって、こんなの……、酔いしれているじゃないいぅぅぅっ! 姿見せず、上から見下ろしている存在がいるんだよって言ってるようなものだもの。一人よがりに、こちらを見て、嗤っているに違いないもの……。けれど、従うしかない……。もう、分かってしまった)
【背後の二物。あれらは既に資格無し】
それに従うように二人は背後を見た。背後遠方。拮抗が延々と続く、引きも押されもしない取っ組み合い。
リールは、自分だけでなく、少年も振り向いたのを見て、
(ポンちゃんも……、なのね……)
更に、悲しくなった。とてもとても、悲しくなった。
血筋に次ぐ血筋が体表に浮かび上がっているむきむきシュトーレンの体は確かに力んでいる。押そうとしている。今も押している。
白鯛の青年魚人の、血走った、力んだ、様子。明らかに体格差がどうしようもない程ある相手に、そんなこと構うものかと、先へと踏み入ってくるのを阻止することだけを考えてぶつかっていっているように見える。
そして、そのままだ。そのままでずっと、止まっている。拮抗が続けられて、見掛け上停止している。
【一方は、遠く昔に。もう一方は、ああ成り果てたその時に。汝らはあれらの今、しか知らずとも、ああはなりたいとは思うまい】
どちらがとっちで、どちらというのは誰と誰? 知らないのだからどうとでも取れる。しかし、部分的には知っている。だからこそ、
「ぅぅ……」
ぎぃゅぅぅぅぅぅ、ギリリリリリリリ……。
少年はそう取らざるを得なかった。今にも蹲まりそうな姿勢で、のたうつ怒りでがくつき続ける膝を抑え、額を頬をぴくつかせながら、爆発しそうな自身を、自暴自棄になりそうな自身を、食いしばるように苦しそうに押し留めているのだ。
リールはただ、そんな少年を隣で見ていることしかできなかった。どうして自分が、少年に掛ける言葉すら出ないのか、まるで当事者でないかのように一歩引いているのか、そういうところにすら疑問がいかなかった。逃避している。そのことにすら、リールは気づけていないのだ。
【完全なる拮抗。見掛け上の停止。それは、真に時が止まることとどう違う? 前へも後へも進まず、進めず、ずっとそこに留まり続けることに、何の意味がある?】
文字は進む。話は進む。綴られる言葉尻に、相手の意図がより明らさまに乗り始める。口調は砕け、二人に語り掛けるように。
それが更に二人を揺らす。相手は、遠隔で、事前に意図ある仕込み今まさに、相手はこちらを見ているのだと。考えることはできなくとも、二人の感性が感知してしまう。
【此処には、檻と、蔵。その二つの意味があった。しかし、それを担っていた囚人は、役目を放棄した。忘れていようが、今の今までは全うしていた。例外とする理由にはならぬ。あれらが今見ている幻想を垣間見るがいい。汝らは何を感じる、かな? 滑稽と笑うか? 侮辱と憤怒するか? 自らの有様を脇に置いて哀れと嘆くか? あれ程の者たちがああなってしまったのだからと諦念に落ちるか?】
カッ!
ブウオンッッッ!
「っ……!」
「えっ!」
眩い、光。反応が遅れて目が眩んだ二人は、共に遅れて聞こえてきた音を聞き取って、反応した。それは、一瞬で白く塗り潰された視界に、映像が、浮かび、流れ始める。
(これは……)
(どうして……)
流れてゆくのは、光景。彼らの視界。映っているのは、シュトーレンから見た魚人青年でもなく、魚人青年から見たシュトーレンでも無かった。
(俺、ら……?)
(私たち……?)
それは、少年とリールの幻の動きを追う、もしもの光景。現実と似たようで、色々と違った、偽りの光景。
誰かの視界の先。その視界の中の少年とリールは、図書室前広間、周囲の壁が半壊して吹っ飛んだそこの中央で、現実と同一な、しかし瞼は剥がれていない、目を閉じた女性の遺骸の首付き頭部が。
現実とは違って、スライム状の何かではなく、大玉転がしの玉のような、人体の皮や臓物を縫い合わせた、中に血や脂や筋肉といった肉塊が詰まっているように見えるものに、その頭は挿されていて、少年とリールはそれに触れて、狼狽でも恐怖でも憤怒でもなく、それを見て、何やら首を傾げていた。
興味とそれについて未知であるのはその様子から明らかだった。そうして、
ググググ、ゴォオオオオオオオオ――
あの轟音が鳴り響き始めた。
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