---104/XXX--- 潮目の変わりの機と賭けて
「何だぁぁ、貴様はぁああああああああ! それに、触れるなぁああああああ! 一山幾らの化け物がぁあああああ」
不意に聞こえてきた、何やらがぶっ飛んでいった方向から響いた声。そして、砂煙と、大きく響く足音。
スッ、ズドドドドドドドドドドドドドドド――、
「「!」」
少年とリールがその方を向いた途端、そんな二人の間を、風が、吹き抜けて――ドゴォォオオオオオオオオオ、ブゥオゥウンンンンンン、バサバサバサバサバサァァ――
部屋中の紙片を巻き上がる程の強い風が巻き起こる。そして、
ギィィィィィィィィィィ――!
飛んできたそれにぶち当たられたらしいむきむきシュトーレンはそれでも倒れず、受け止めて、地面に足をしっかりつけたまま、そのまま、建物外まで、押し出されていった。
「……」
(えっ……)
リールはその様子に戸惑いを感じていた。少年はというと、
「……っ、」
(あの姿は……。けど、兎に角! 今はあいつら、俺らが眼中にない! なら、)
一瞬考え込んだ後、
「お姉ちゃんっ! 足、挿しにいくで!」
そうリールの左脇下に体を潜り込ませ、支え、前へと歩き出す。
ズッ、ズッ、ズゥゥ、
(今や! 今、しかない)
「あ、足……?」
ズンッ。
リールはそう戸惑って、だからリールの足はつっかえ棒になって、二人の動きは止まる。だから少年は、
(あかんで、お姉ちゃん。後ろは考えたらあかん。あかんのやぁぁっ!)
自身の右足を右横下へとびんと突き出して、リールを支える右腕で、前方向へと力強く、押した。リールが踏ん張れない姿勢だからこそ、それは効く。
「わぁっ……!」
そう躓きそうになって驚いて声をあげるリールを、リールの左腕に肩に掛けた手で支えながら、
「ほら、行くで。考えるのは、後やっ!」
ズッ、ズッ、ズゥゥ、ズッ、ズッ、ズゥゥ、
力強く牽引した。
ズッ、ズッ、ザッ、ズッ、ズッ、ザッ、――
そうして二人は、やっと進み出した。焦りで走り出すこともせず、ゆっくりとそうやって。
ゴォォオオオオオオオオオオオオ――
揺れは続く。
スゥゥ、ズゥゥ、スゥゥ、ズゥゥ、――
「……。大丈夫、なんかなぁ……?」
リールに右肩を貸しながら、左腕に生えた蛸足で、自身の右にいるリールの背後を覆い守りながら、支え、補助しながら、背後を恐れてリール側だけ防備しながら歩く少年は、こわだった顔をして、リールにそう尋ねた。
きっと、そんな言葉を口にすることに意味はないと少年は気づいている。しかし、それでも口に出さずにはとうとういられなくなったのだ。
そう。
一歩。また一歩。一秒。また一秒。経過するごとに、不安は大きくなってゆくのだから。
少年たちの敵である、老人改め、壮年の男改め、魚人青年。そして、正気でないのは明らかだが今の今までこちらへの攻撃はここに登場してからはしてきていないシュトーレン。
しかし、そんなものが続く保証なんて、無い。二人のけりがあっとういう間につくかも知れないし。矛先がこちらにふとした拍子に変わるかも知れない。
しかし、はやりそれでも少年がそう口にすべきではなかったらだろう。義足を取ってきた、だから取り付けてみよう、と言い出したのは少年であるのだから。
少年の明らかな迷走、今もまた一つ、リールは気づいた。少年は、蛸足触手を、少年自身の防御に一切回していないことに。今こうやって、肩を組み合っているのだから、片方が吹き飛ばされたら、片方がバランスを崩して倒れたら、共倒れだというのに。
少年のそんなところどころのちぐはぐさに今更ながらに気づき、リールははっとした。
(こりゃ、私よりも、ポンちゃんの方がずっとずっと、余裕無いわね……)
自分がしっかりしなくては、と。これ以上足出まといになってはならない、と。
「無視よ、無視。止めようなんて、無いじゃない……」
だからリールはそう疲れ気味に答えた。自分が言うにしてはあまりにもお角違い。だからこそ、そう口にするのは、とてもとてももやっとすることではあった。だからそれは疲れ気味な言葉となった。
しかし、リールは、自身がそうなると半ば分かりきっていてもそうしないといけなかった。繕わないといけなかったから。本当に危惧していることを。
そして自身も、そこで考えを止めておかないと、後ろに引きずられていきそうだったから。きっとそうなったら、結局隣にいる少年も同じようにそうなってしまうと分かりきっていた。
この場合の後ろというのは、後方のシュトーレンのことだけではない。押し寄せてくる、少年との殺し合いの光景。寧ろそれこそが主体である。
きっと、少年も、さっきまでの自分と同じようにそこから無意識に目を逸らしているだろうと考えて。
だからリールは、一瞬直視してしまったそれから再び目を逸らし、そう口にしたのだ。自身が今、隻脚であるにも関わらず、記憶の中で機敏に動く様子という矛盾を見たからこそ、戻ってこれた、踏み留まれたのだろうと、わざとらしく客観し、焦点をずらした。
「っ……」
が、心が疼き、一瞬ばかり顔色に出た。少年はそれを見逃してなんてくれない。
「大丈夫……?」
「ええ。急ぎましょ」
そうして、自身の喪失した右足根元へと目線を下す。
(片方が崩れると共倒れる。分かり切ったことだもの)
精一杯の、繕い。それは通じたのか、少年はもう、聞き返してはこなかった。
そうしてリールは少年の迷いを断ち切って、もう、二人は後ろを向かない。走り出しもしない。ゆっくりと、エレベータの方向、義足の殻と、最も手近に落ちている義足中身へと、歩いてゆく。
スゥゥ、ズゥゥ、スゥゥ、ズゥゥ。
二人の足は止まる。リールは少年の顔を見た。
少年は小さく、頷く。
足元にある、その薄汚れた袋の中身こそ、この右足義足根元に必要な中身であると肯定されてたということだ。現に、少年はリールを座らせ、義足外殻部分の入った袋を拾いにひっそりとした足取りで歩き出したのだから。
そうしてリールは、袋から、
ごそっ、ズゥゥッ。
中身を取り出した。
ごくり。
金属色の細長い箱の中、赤黒い沈殿交じりの臙脂色な液体の中に、黒い塊のような影が浮かんでいるのが、見える。
(こんなところで、躊躇なんてしてられない。……、そっか。ポンちゃんはだから、あんな触手を、腕につけたんだ……。どこまでいっても、私のため、なんだね……)
気づいて少し悲しくなった。どうしようもなく沸いた躊躇も、すっかり失せた。
(さぁて、やるわよ! ポンちゃんが見せてくれたから、もう付け方だって、分かってるんだからぁぁっ!)
グッ、プシュゥウウウウ――! カポッ!
ギッと目を見開いて、リールは勢いよくそれを開けた。




