---103/XXX--- 獣の亡骸、挿された異物 後編
蓋と櫃の境界は茶色に苔生している。そんな棺桶にむきむきシュトーレンは抱き着き、
ググググギギギギギギギボコガコココ――、ギギッ、バキィィッ!
締め上げるようにその上部を砕いた。そして、
ギギ、グォン、ボォンンン!
引き抜いて、蓋の面を上にして置く。色々とついていけない展開に、少年もリールも、動けずにいた。訳が分からない。しかし、動いて、ターゲットが変わる方が恐ろしかった。
凝視するように、見ている。距離を詰めるでもなく。それを、鼻を抑えることすらせず、唾を垂らしながらシュトーレンはただ、見ている。
シュトーレンの放つ空気はより異様な物になっており、それは、少年やリールといった一流のモンスターフィッシュですら、相手したら命は無い、というレベルであるからだ。逃げる以外他ない。そう本能が叫んでいても、相手が相手故に、自分たちがしたこと故にそうする訳にはいかないし、そもそも逃げ場はない。まだ、あの老人、改め今は壮年の男も、まだ残っている。
時間の経過が、二人を動けるようにしつつも、冷静にして、結局縛りは、動けないときよりも強まっていた。
少年は、自身の腕から、更に上部へと浸食を進め、痛みを発しているそれに全く意識がいかない位、色々と考えを頭の中で激しく必死に巡らせていた。少しでも足がかりを。突破口を、と。
リールは、その棺桶の中身に何か意味があるように思えてならず、それをずっと考えていた。残りは少年に任せて。どうせ自分はまともに動けないからと、割り切って、できることを自分なりにやろうとしていた。
そこで、傍にひっそりと移動してきて、構えていた少年の足を引く。そして、少年に耳を貸すようにジェスチャーする。
くいくいっ、と手招きした後、耳の横に、手で輪っかを作り、聞き耳を立てるジェスチャー。すんなり伝わって、耳を近づけてきた少年に、
「もう、大丈夫。ポンちゃんは、シュトーレンに集中して。どうにかして、シュトーレンをアレから引き剥がして。私は、アレを調べるわ。ちょっと、心辺りがあるの。立ち方のコツは、体が覚えてるみたいだから、引きつけてくれさえすれば何とかなるわ。それとね、いや……何でもないわ。きっと、大丈夫だから」
そう、温かく、囁いた。動かないでいた分、少年よりも回復していたから。敢えて言わなかったのは、これ以上少年を思考の袋小路の深くに迷いこませたくなかったから。
(ポンちゃん、知れば、きっと、また困惑する。躊躇しちゃう。優しいこの子はきっと……。だから、言わない。私が楽になる為に言ってしまったりなんて、絶対に、しない。しちゃ、駄目。もう一人殺さないといけないなんて業、絶対にポンちゃんに背負わせない。私が、背負うの。せめて、それ位……できなくて……、私はこの子の傍にいる資格なんて、ないっ……!)
少年に続いて、漸くリールも覚悟を決めた。
ほんの少し時間を戻して、建物壁面外。あの男の様子の俯瞰。
ぷわんと膨らむように隆起した、歪み盛り上がった機械染みた歯車や管が剥き出した地形の上。蓋の閉じた透明な箱と、その中の、血みどろな、壮年の男。
「うぅっ……。対応間に合わせて、これ、か……。ぐぅぅ」
ピィッ、プシュゥゥゥゥ、グゥゥゥ、ドクン! ドクンッ! ドクドクドクドク、ボブククククククーー!
力が碌に入らず震える手で、何とか、注射器の針を自身の腕に挿し、その中身を注入した。
「ぐぅぶぅおおぅうううううおおおおおおおお――」
自身の身が膨らんで破裂するような痛みが襲う。それは現実だ。実際に破裂しているのだから。古く、痩せた皮膚どころか、それなりな密度の筋を裂いて、骨も中から何だか、膨圧で罅割れ、弾けるように割れ、筋肉中に破片として散らばり、神経はずたずたに千切れ、また、そんな筋肉が、新しく覆われてきた皮膚ごと次々、弾け飛んでゆく。そんな脱落をさせまいと、神経が新たにどんどん、土に根を張るように張り巡らせられるが、衝撃によって次々に千切れてゆく。奥から生成されて、急速に形になってゆく骨、肉、皮、神経。
騒々しく、きりがない。壮年の、いや、もう、中年くらいまで若返って、それでも再生と破壊の収支が安定しない男の体が鳴らす、延々と続く音よりも、ずっとずっと、周囲は騒がしいままなのだから。
ゴォオオオオオオオオオオオオ――
「づがい"だぐな"が"っだ。ゆ"る"さ"ん"ぞ。ごごま"で、ごごま"で、わ"れ"を"ぉ"ぉ"ぉ"――」
ブチブチブチュゥゥウ、バキバキメキメキ、ブュチュルルルル、ミリッ、ブワァァ、ゥウンン、バチィイ、パチバチ、ビキビキビキィィ――
そして、そこには、青白い肌に、虹色の脂が薄く乗った、凛々《りり》しい、顔をした、
「ふん。ここで止まるか。運命はほざいておるのだ。ここで己の体で、己の手で、自身と伴侶の、新たな体を勝ち取れと、な。乗ってやろうとも、運命よ」
いや、不遜な笑みを、目論見を浮かべた、人間の目の、切れ目で、細長で、面長な、殆ど人間の形をした、それでもやはり魚らしき体表を色濃く残した、まさしく、人と魚類の混じり物といった感じの、人間寄りな半魚人な青年が立っていた。
壮年な男は、青年期まで、若返っていた。
「今回もねじ伏せて見せよう。いつものように。運命よ。我こそが絶対の勝者であると、今日こそ認めさせてやる。……ん? ぅっっ……な、何だ、これは……。何だ、この、臭いは……?」
老人改め、壮年の男改め、魚人青年は、なぜか、そう、戸惑った。
「……。まさか、いや……だが……。我が違う筈なぞ、無い。ベリーぃぃっ! 今、行くぞっ! っ……。…………。……………。カチカチカチカチ、ガタガタガタガタ――、ぅぅう、ギリリリリリリリリ! 何だぁぁ、貴様はぁああああああああ! それに、触れるなぁああああああ! 一山幾らの化け物がぁあああああ」
明らかに様子が違っていた。記憶すら失っているように見える。少年にはそのような病状見られなかったというのに。シュトーレンのものとも何か、違う。
スッ、ズドドドドドドドドドドドドドドド――
その叫びと、疾走の始まりは、ひどく不可解な形で始まった。
まるで、少年たちを先ほどまで操っていたこの者すら、不安定であるかのように。
誰も、気づかない。何が、どこからどこまでが、仕掛けられた罠なのか。
泣くのは誰か、最後に笑うものはいるのか。立っていられるのは何人か。思い返してみるといい。最初から悉く、話は怪しい。
誰の視野も見解も、一辺倒に信頼できるものではない。
なら、どうなる?
決まっている。悲鳴と嗚咽。彼らが発するそれが、実に好い具合に響き渡ることであろう。




