---093/XXX--- 訳も分からぬとすら気づかずに、互いに互いの為として互いに互いの首に手を掛ける
たった一冊の、本。不安を煽る、但し、読む相手に応じて、老獪な著者がその内容を分岐させる、しかし、読む側からしたら、ただ自身を不安に陥れてゆく、望む通りに責められるべき自身を一般論とそこに少しばかり乗っかった恣意的な独自論が合わさった、それだけの、本。
そう。どうあったって、それは、文字の羅列でしかない。文字自体が揺らいで不安を煽ったり、血色に染まったりだなんて視界効果すらない。通常の精神状態で、いや、多少弱った精神状態で読もうが、そんなもの馬鹿らしい、余計なお世話だ、と言ってしまえそうな、取るに足らない内容でしかない。
強烈な悪意が文章越しに伝わってくるような怪作ではない。読んだ側を誰であっても誘引してしまうような狂気染みた傑作でもない。素直に納得できる正論な良作でもない。字面だけ小難しく、そう碌に練られずに、読者が頁を捲る直前に走り書きされた、伝わる力すら弱そうな悪文でしか、ない。
視野狭窄。複合的に俯瞰的に広範的に物事を見ることができなくなる。
目の前しか見えない。他者は二の次。相手の為と当の本人は思っていても、それはどうしようもなく、エゴだけでできている。自身が、自己が、より中心に、主題になる。そこで終始するように完結する。
今の二人にとってそれは、互いが互いの為と言って、相手をここで楽にして、後の祭りと苦しむのは自分であるべきだ、そうでなければならないという、相手が為に相手を殺すという、破綻した思考だった。それはきっと、どちらが残ったとしても、残った自身の心を殺す。分かり切っている。そして、そんな思いを相手に絶対にさせたくないと心底強く、思っている。
しかし、そんな実際の光景は、これだ。こんな有様だ。この、ざまだ。
ねとっ、ぐしょっ。
上にいる側から垂れる鼻水と唾を主とする粘り気のある滴。下にいる側からも流れる、湿り気の強い汗を主とした滴。
涙と鼻水と唾と汗。それらがぐちょりとねっとりこびりつく距離で密着するように、二人は互いに馬乗りになってなられて、入れ替わってを繰り返し続ける。
拮抗しているからこそ、繰り返す。共に必死であるからこそ、終わらない。汚く、ねっとりと、まとわりついて、互いに決して譲らない。
ぐるり、ぐわん、ぐるり、
馬乗りの上下が、回転によって入れ替わり、
ぎりりりりり、ぎゅぅぅぅぅぅぅぅ、
攻め手と受け手が入れ替わり、
ぐる、ぐわん、ぐるる、
また、下になっている方が上を巻き込んで、回る、回る、
バサッ、パラララララ!
紙片の山を巻き込んで、巻き上がることにすら、二人はまるで眼中になかった。舞い上がったそれらがまた落ちてきて、半ば埋もれる位になり、纏わりついてきても。
分からない。分からない。分からない……。
どうしてこんなことになったのか。きっと、見ても分かりはしない。しかし、見ないと始まらない。
もう既に分かり切っている。目を背けたくなるような光景だと。それでも、見て、考えることに、意味がある。それが意味があるのには知っておくべき前提がある。
それは――この惨状は、他者の悪意によって、誘導された末の結果である。
少年と、リールと、シュトーレン。
誰が、悪かったのか。
ここまで、敵の思うが儘に、何故、された?
もう、何度も出た話。見ていて感じ取っただろうが、三者三様にそれぞれが悪い。
気づかなかったのは少年だけではない。リールもである。気づいたのは、あのシュトーレンだけ。しかし、そんなシュトーレンは真っ先に実質的に脱落となった。
落とされてはいけないところを、この場所に於いてあらゆる意味で要となるシュトーレンを、最初に落とされた。それこそが、劣勢の始まりだったのだ。
しかし、そんなシュトーレンすら気づいてはいなかったことがある。
この老人の目論見は、気の遠くなるほどずっとずっと昔から、その着火点となる物は用意されていた。海の上、マークス家の司る知識の一部としてそれは紛れ込まされていた。
三人が入っていた、透明な箱。それこそが、着火点の一つ。老人の仕込み。そして、少年たちがこの場所にやってきた最初からずっと、少年たちの敵である老人は、事を掌から零れ落ちない範囲に収め、掌握しているのだ、と。
糸をつけられたのが、いつ、どこで? それによる影響がどこからどこまでに及んでいる? 三人それぞれで違うとはいえ、それを、思い至らない、若しくは、気づいていてもその範囲を読み違っている。結局三人の誰もが、相手の策の全貌を読み切ることも、気づくことも今の今まで無かったことが、こうなり果てた、原因だ。
目論んだ者は、何処かからきっと、笑っているのだ。
「ふはははははは、ふははははははははは」
高笑いを浮かべて、事が起こる様子を悦に浸り、観ているに違いないのだ。




