---092/XXX--- 背中越しに引きこまれて
(今の頁も、たぶん、そうや……。仕込みが完全に済んだから、俺にあからさまに分かるように、見せつけてきたんや……。『もう遅い。この女の意思はもう、儂の掌の上じゃ』。きっと、こんな風に安全な何処かで、今の俺らを見て嘲笑ってるに違いないんや……)
そこまで分かったのに、遅きに失したとはいえ手遅れになる前に気づいたというのに、
(お姉ちゃん……、こんなんに引っ掛かるくらい、追い詰められとったんか……。幾らなんでも、ここまでやったなんて、思わんかったけど……、こんなこともあるかもって予想くらい、できてたん、ちゃうんか、俺っ……)
少年は、動けなかった。
どう見たってまだ、手遅れでなんてない。リールは死んでなんていない。昏睡してもいない。言葉だって、抑揚無しにであるが口にするし、そうやって、本を読み進めているのは自らの意思か、読み進めることを無意識に強要されているのかは分からないが、意思はまだきっと、残っている。少年に襲い掛かりもしないし、排斥しようとする気配はない。
強引にだって、組み伏せて、読むのをやめさせて、力づくで説得すればいいではないか。その右足義足はもげたままだ。少年が持ってきた替えはリールの手元ではなく、少年の後方に転がったままだ。なら、できるだろう。
らしくなく、少年は、まるで最初から諦めてしまっているかのようだった。
当の本人はそんな気なんて微塵もないが、無意識化で諦めてしまっているかのように、何も、しなかった。
(あの爺さんは、どういう風に最初俺らの前に現れた? くっ……、くそぉっ! 幻みたいな実態無いもんやったやろうがぁぁっ! 今のお姉ちゃんの状態やったら、こんなわざとらしいんでも、十分決められてまう。騙されてまう。アレの思い通りに、動かされてまう……。後で泣いても泣いてもきりがないくらいどうしようもないこと、させられてまう……。きっと、どっかから見てた筈や。だから、こんなピンポイントでやれとるんや……。俺が戻ってくるタイミングに合わせて、とどめの、締めに、掛かる筈や)
ごちゃごちゃ考えて、ただ、手をこまねくように、見ている、だけ……。これまで、困難を、前に進むことで切り開いてきた、普段の"らしさ"は、全く無かった。
ブゥオゥゥ! パラパラパラ――パラッ。
何処からともなく吹いた風が、ページを捲る。
(けど、どうやって、止めるんや……? 言葉なんて、届かへんねんで……。触れたって、何ともあらへんのやで……)
結構な量のページが捲れ、猶予は、あと二ページ。一枚ずつ捲られるとしても、二回分の猶予しかない。
【"因果の縁"】
【さて。今一度考えてみるといい。今の有様は誰のせいだ? 檻の中心の自身のせい、か? そうだと言えるならば、お前は今そうやってそこに居はしないだろう。もしそうだと認められるのならば、お前は横たわる亡骸の一つと、自ら進んで成り果てていた筈だ。だから、違う。】
【なら、幼さ故に無知で無垢なそれでいながら快活である眩い愚か子のせい、か? 檻の内から見るとするならば、尤もだろう。それが行動さえ起こさなければ、至極当然のように、お前は檻の外だっただろう。私とまみえることすらありはしなかった。】
【はたまた、大人の身でありながら子供の無知な横暴を許せず、半端な復讐に走った愚物のせい、か? 檻の外から見るとするならば、それ以外無いだろ。だが、決してそうではないのだとお前は知っている。お前自身と、お前の傍の唯一生きて居るそれのせいだと知っておろう。】
【答えは明白。なれば、やるべきことも、自然と見えてくる。因果は断ち切らなければ。何、簡単なことだ。お前かそれか。どちらかが消えれば因果は欠ける。十全の責は無い。】
【半端であった責を、残った一人は独り背負い、その身の中で、心朽ちてゆくべきなのだ。】
責め立てるような言葉で、その頁の最後。ならきっと――
パラッ。
【"餞の言葉"】
(やっぱり、そうなった)
最後の頁はその通り――締めの、
【最後の後悔、いとおしき相手に背負わせたくはなかろう。】
最後の一押し。
(あっ……。ぅぅあああああああああああああ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"!)
声も出ず、しかしその表情は絶望するように絶叫の仕草し、そのまま少年は、固まる。
風が――吹いた。
ブゥオオオゥウゥゥゥウウウ、バサッ、バサバサバサァァァウウウウウウウウウウウ――、バスッ、バサッ。
(もう、あかん……)
まるで、それの役目は終わったとでも言わんばかりに、それは、飛んでいった。厚みある、本の形の、重みある紙の束であるそれは、風に乗ってばさつきながら高く舞い上がり、壁にぶつかり、散らばるように、ばらばらになって、散った。
(……、やめてくれやめてくれやめてくれぇぇ……、お願い……や、お願い……、お姉……ちゃん……)
「そういうことだから、もう、終わりにしましょう。もう、御終い。そうして、全部、丸く、収まるの」
為す術もない、無慈悲で無表情な、虚ろな、時間切れを示す言葉と共に。
(っぅぅ……。……。やるしか……、ないんや……)
まるでそうなるのがさも当然かというように、体の緊張は解けた。滑らかな位自然に、少年は構えていた。構えてしまっていた。構え、対峙するまでのその流れが、至極当然であるかのように、少年の目に、思考に、脳裏に、今この時、リールとどちらが生き残って後悔の涙を流すのか決める他ないのだと、その思考は固定されていた。




