---085/XXX--- 収縮収束の遠大な罠
薄暗い闇の中、灰白色の地平は、うねるように、浮上を、変形を、収縮を、始めた。この場所全体が動き出す。海とこの場所を分ける透明なアーチも、罅割れることすらなく、それに合わせて収縮していく。少年とリールがいる中央塔、保管庫へと向かって。そここそが、収束点。
少年たちは気づいていない。揺れは依然途切れず続いていると、少年とリールは自分たちの開けた穴のせいと疑わないだろう。
敢えて遠回りするかのような、幾重にも張り巡らせられた大掛かりな、敵の絡め手。相手の行動に許容を多く含ませながら、その選択肢を徐々に搾らせつつ、誘導し、詰めの一手へと収束させてゆく。
ギギギギギギギゴゴゴゴゴゴゴゴ――
そう。ここは、機械仕掛けの、ドーム。天然物では決してない。人口の、人造の、旧時代の、海の底で放置され続けてきた、隔離され続けてきた、この敵の設計による、しかし皮肉にも、この敵自体の檻とされてしまった、一人の策謀の男の永劫の墓場。
しかし、男は諦めていなかった。もはや、意味のない妄執のような執念が機を手繰り寄せた。
重ねた老いすらも、手段の一手として織り込んでいた。イレギュラーはあった。しかし、それすらも許容の内に収めてしまった。自身の重体一歩手前な、まるで体が半壊するような損傷ですらも。
「とはいえ、ここまで、上手く、ゆくとは、のぉ。予想の範疇を越えて上々よ」
外来の箱の中、老人はその、全快した上にほんの少し若返った体と、半ば取り戻した制御を手に、ほくそ笑む。
スッと何処からか出してきて、手に握ったそれは、空になった一本の注射器。その中には、鉄錆のような褐色に少しばかり黒緑掛かった邪悪な色をした液体が仄かに残っている。
「二体のサンプル。内、一体は血縁。ならばこそ、リスク無しと確信することができた。理論だけで自身に試せる類では無かったからのぉ。しかし、実証された今、地上での良き鬼札として使えるであろう。奇跡は二度は無い。儂による三度目で、調整も済んだ。想定外に強大な効果を、毒と中和させることによる程度の調整。頃合いは少しばかり黒緑掛かった錆色、儂の体重と年齢による分量は過去の生物実験によるデータも考慮して、5ml。想定の通り、再生した。取った齢を蒔にして、巻き戻るかのように再生した。まさか、儂の死後を考えて、仕込んだ、惨劇と愉悦が為の偽りが、こうも都合よく働くとは、のぉ。ふはははははははははは、ふははははははははははは…―、っと、我ながら独り言が増えたものだ。思惑は心に秘めるに限るというのに。しかし、真、笑わずにはいられぬ、わなぁ。ふはははははははははは――」
ゴゴゴゴゴゴゴゴ――
(さてはて。通行証たるあの二人は、きっと、儂が来るのを、愚かにも待ち構えておるのであろうなぁ。交渉の地平へと儂を引き摺り下ろせた、とでもよもや本気で思っておったりはせぬかのぉ。それほど滑稽ではあるまい。しかし、青い。それは違いない。喉元通れば熱さを忘れる。そんな風に忘れておるのであろうかのぉ? ここに来て、どうして自分たちが不覚を取ったのか? 本来、負ける目なんてほぼない相手に、手も足も出ず、やられたことを。こちらの主力は、あんな失敗作共では決してない。裏に伏せた策と手段こそが儂の右腕よ)
老人はこれまでを回想する。あの建物の中に、愚かにも待ち構えたままの二人と、まだ何処かを彷徨っているか既にこと切れているかのもうどうでもいい一人のことを。
(その絡繰りに、未だ気づきすらしておらぬ。愚かよのぉ、小僧も、その女も。気づいておったのは、あ奴のみじゃったが、意識を取り戻すことは二度と、無い、じゃろう。それと同時に、儂に終わりを危惧させることも、のぉ。知恵を失い、力だけになったあれに、放水の罠から逃れる術など、ありはせぬのだから)
「ふははははははは、ふはははははははははは――」
(何れにせよ、次で、終い、じゃ。此処を出るが為の通行証たる人の身、そして、水圧を防ぎ生きたまま移動する為の箱。肉体そのものの簒奪は後であろうが構わぬ。装置はあそこであれば、いくらでも再現できるのじゃから。自体は、イレギュラーすらも含めて、未だ儂の掌の上よ)
ゴゴゴゴゴゴゴゴ――
(できれば、あの女の体も、手にしたいものじゃのぉ。ベリーの欠片。その器として、のぉ。地上に出てからでもよいが、あの女は、素材としては逸材じゃろう。立場からしても、のぉ。頃よく、新生することととなる儂に相応しき、在るべき姿、其の儘の、ご都合な位にお誂えな、比翼の翼よ)
老人の高笑いとドーム自体が変形する音だけが、そこでいつまでも響き続けるのだった。




