---080/XXX--- 砕ける音と見えない遠く
コトッコトッコトッコトッ――
「う~ん……、うぅぅぅぅぅん……」
天井の穴の真下に、集中するのように、小山のようになっている、頂が崩れた紙の束の山。
そんな周りを少年はぐるぐる回るように歩きながら考えていた。
少年が降り立った後も、穴の丁度真下辺りに、集中するように大量の紙は散らばっていた。穴の径とほぼ同じ範囲に。その外には、少年が着地したときに散らばって広がった僅かな分量の紙片が散見されるだけだった。
(やっぱり、大半がどっか行っとる。無くなっとる。けど、そんだけや。そんだけしか、分からへん……。誰かが運び出したとしか、思われへん……。けど、)
そして、水溜りがどうやってここにやって来たのかの経路もまるで分からなかった。壁にも通路にも痕跡はない。
(濡れた足跡も、大量に纏めて道具使って運んだ痕跡も、この広場のどこにもあらへん……)
エレベーターの扉の辺りにも、何か運んだ形跡は無かったし、書庫はさっきのままの状態だった。少年の記憶する限りでは、書庫の中は、全く配置は変わっていなかった。
トッ。
足を止めた。
(……。分からへん……。やっぱり、これが、紛らわしいんや。如何にも何かあるって思感じ、ぷんぷんさせてくるし……)
くるっ。
足を向ける方向を変える。
コトッコトッコトッ。
紙片の小山の淵に立ち、止まった少年はしゃがみこむ。
本来中央上の方にあったのに、少年が降り立ったことで崩れ、広がった、山から少しばかり突出した、乾いた紙片。丁度、そこに水が浸透し、染み渡るように広がっていくところだった。
(どう見ても、唯の水や。だって、足の裏や履きもんに何も変わりなんてあらへんし、色も匂いも、ついてない。……)
そう。
水。
(……)
スッ。
何となく、右手を伸ばす。紙の小山。下方。その淵へ。人差し指を突き立てて、
ピチッ、ポタッ、ポタッ、
先端から、触れた。付けた。漬けた。もうたっぷりと湿っていたそれに、薄く。そしてその指先を、自らの方へと向けて、戻してゆき、
ポタッ、スゥッ、チュッ。
吸うように舐めた。どうしてそうしたのかは分からなかった。まるで、吸い込まれるように、無意識にそうしたかのような、滑らかで自然で、意思のない何となくな感じの動き。
(……! 俺は……、何を……)
我にかえるかのように、一瞬の戸惑い。しかし、それの味が冷たさが、舌に知覚されると、戸惑いはまるで覚めるかのように、散った。
(……。水や。ただの、水や。やっぱり……。海水でも何でもない。けど、余計に、何も、分からんようなってもうた……。一体、何のために、いつ、どっから、来たんや……?)
まるで振り出しに戻されたかのような、無為と徒労の感覚。その情報に、望むような味は無かっ…―
バァァオオコオオオオオオオンンンンンンンンンンン、グララララララララララララァァァァッッッッ!
「っ! な、何やぁぁっ!」
前のめりに倒れそうになって、手をついて四つん這いになった少年はそう思わず声を上げた。突如建物全体が、強く、揺れたのだ。何か大きな物が砕け破られるような音と共に。
短くだが、下から蹴り上げられたかのような揺れだった。周囲に罅割れも破砕もなく、その震源はだいぶ遠くであったことが分かる。しかし、
ゥゥゥウウウ、バサバサバサバサァァァァ――
舞い上がって、散らばり落ちてゆく紙片の量と音が、その衝撃が物凄かったということを物語っていた。
(下で……、何か、あったんか……?)
着地する紙の音が止んだ頃に立ち上がった少年が頭に最初に抱いたのは、それだった。エレベーターの扉の方を見て、今すぐ、下へと様子を見に行きたいという思いにかられる。
(……。いや、いかへん……。待つんや、ここで……)
しかし、我慢する。
(旦は合流せんと、あかん……。お姉ちゃんと。言わなあかんことがある。どうするか、一緒に考えなあかんことがある。……)
考えの中に、それが何の音だったか、誰または何による衝撃だったか、という疑問が含まれていなかったのは、少年の無意識な逃避故だ。
(……)
エレベーターから背を向けた。
コツッコツッコツッコツッ――
紙片の小山を迂回しながら先へと歩いてゆく。そんな最中にふと目を向けた小山は、しなっと、しっとりと、その体積を小さくしていっているところだった。全体に水が染み渡ってゆくような。
(そんなあっさり、湿るんやなぁ。俺が降りたときに滲み出てきたんかなぁ、水)
しかし、そんなことどうでもよくなっていた。
(それが、何やっていうんや……。分かったところで、何が変わるっていうんや……。……。どうでも……、えぇわ……)
そんなことよりも、気を、紛らわせたくなった。だから歩き出したのだ。止まっていても、動いていても、駄目。だから、少年は、その中間を取ることにした。
コツッコツッコツッコツッ――
広場を抜けた。踏み入れた、変わらず埃っぽい、書庫へ。その中は更に、暗い。
コツッ、コツッ、コトン。
足を止め、その辺の一つを手に取った。
(……、読めへんな、ここやったら……)
本や紙片の存在は目に見えるとはいえ、そこに書かれている文字も絵も、見えそうになかった。
仕方なく少年は、適当に上り、引き出し、掴み、下し、置いて、重ねてゆき、最後、それらを下から纏めて持って、外へ。
コツッ、コツッ、コツッ、――
「はぁ……」
バサッ。
広場、エレベーター前。少年は座り込んで、それらに目を通し始めた。今度は資料のような紙片の束だけではない。製本されているものも紛れていた。
(どうしろって、言うんやろうな……)
何もしないで時間を潰す訳にもいかない。敢えて頭の片隅へと追いやっているが、問題は山積みだ。それも、大小問わず。大きいものは、当然、命に関わる。どうにかしないといけないのに、きっかけすらつかめない問題たち。
(やばいことは粗方、あの爺さんとっつかまえて聞き出す位しかどうにもできそうあらへんのに……。ちょっと、早まったかも……知れへんな……。誰も出られんまま、棺桶に、水、満ちてまうで……)
海とも山とも知れぬ資料の読み漁り。それは、逃避気味の、それでも少しばかり前向きな行為。
(せめて、脱出手段さえ見つかってくれれば、逃げることだってできるんやけどなぁ)
ボッ、スッ、ドッ。パラリ。
黒緑色の、表題も挿絵も掻き消えた、古ぼけた月並みな厚さの本を、少年は手に取り、開いた。




