---075/XXX--- 勝ち誇りからの想定外
シュッ!
少年が放った切り札。それは、ジュエット機関巻きつけた注射器。
(これはここにあったもんや。じゃあ、どうしてあの爺さんは、あんな弱った体をしてる? 合わへんからやろ、これが。じゃあ、打ってやれば、ころりと逝ってまうやろぉぉっ)
当たると確信して放った筈のそれだった。しかし、それは狙いが小さすぎたのか、あっさり躱される。首を傾けられただけで。
「あぁっ!」
少年は思わず大きく声をあげた。
(確実にって、頭狙ってもうたぁぁ……。けど、胴体やと、あかん。ぼろぼろ崩れる体や。頭だけもがしても、逃げるなんてことも、ありそうやった……。けど……それでも、こうやって外す位やったら、胴体、狙っとくべきやった……)
避けられにくいように、ジェットによって、真っすぐではなく弧を描くように迸ったそれを。そのまま見当違いの方向へ、飛んで、
「甘いわぁぁっ! 嘗めておるのか、儂をぉぉっ! 愚かしく勝ち誇りよってぇええええっ!」
プスッ!
「えっ?」
「ぬぅ?」
二人は揃って、その音に反応した。
鋭く、鈍く、響き渡るかのように、そんなおかしな音がした。ジェット機関が、宙に浮いたまま、何かに遮られるように止まり、注射器の中身が、老人背後数メートル離れた、老人より数メートル高い時点で。そこは丁度、ピラミッドが崩れ消える前の、台座と、シュトーレンが、在った筈の辺りだった。
「……、あぁぁぁっっっっっ!」
少年はどんな埒外が起こったか、悟った。
「……、これは……、小僧ぅぅ、貴様ぁぁぁ、やってくれたなぁぁんだぁぁぁ」
老人も、その注射器の中身を知っていたようであり、起こった事態に、憤怒した。そこに誇張した演技はもうない。それは、純然たる、老人の見せた怒りだった。老人の掌からすら、事態が今、零れ落ちた瞬間だった。
「斯くなる上はぁぁっ」
ズッ、トンッ!
老人は、本当に、動き出した。皮膚崩れ落ちる足で、蹴り出して。雄たけびをあげながら、空になった注射器とジェット機関浮かぶ虚空へ向けて。恐らくはその手で、事態を収拾する為に。どうやら、それだけの手段をまた、抱えていたらしい。
少年は動けない。もう、間に合わない。老人の方が、目的へ近い。その上、自身の前方、そのうちの最も近い数体だけだが、停止していた魚人たちが、単調に襲い掛かってきていたから。
「くっ……。くそぉぉぉっっっ!」
それを何とか、辛うじてのところで回避し、竿ではなく、ナイフでそれらを少年は処理し、目の前の動線が空いたところで竿を振るうが、間に合わない。
「ぬぉおおおおおおおお……——」
老人の拳が、何だか紫色に変色して、何やら、紫色の液体を爪先から滴り落としながら、狙いへと到達しようというところで、
むくり。ブォン! ブゥァァンン!
見えない何がが動き、強い風圧が、飛ぶ。少年は自身の方へ飛んできたそれに、目を瞑りながら、圧の弱い方向、横へ、ステップする。動いている最中、その刹那、元いた側を、何か、横、切る。
「ボグゥホォォォォァ」
聞こえた一瞬の、呻きのような、声。
ブゥォゥゥゥゥゥゥゥゥ――ボコォォォォォン! バラバラ、バシャァン!
激しい衝突音が響く。水の激しい流入、依然続く横揺れなんかより、ずっと大きくそれはその場に響いた。
「っ!」
少年は、前ではなく、後ろを見た。何やらが横切っていた、その方向を。突如何かが、起こった。その過程は、少年の目に殆ど見えていなかった。しかし、聞こえた一瞬の呻き声が大体の事態を予想させていた。
「ゴボボ、ぶふぅ……」
ビチャッ、バチャッ。
いつの間にか、老人がぶっ飛ばされて、壁にぶちょり、べたり、ぶつかった場所辺りを半ば潰れるように、ぶっ付いている。
めり込んでいる、というより、潰れ、ぐしゃりとくっついているかのように見える。
「……」
少年の頬に冷たい汗が流れる。
ぬちゅり、ズッ、ドバチャァァンンン!
自重で地面にゆっくり落ちた老人は、死んではいない。
意識も失っておらず、しかし、ボロボロな感じで、少年の脛の丈辺りまで溜まった水に落ちた老人は、すぐさま顔を水から上げて、海水と血反吐の混ざった吐瀉物を吐き出しながら、
「ご、ごほっ、ぎょ、魚人ども、あの化け物をとめろぉぉぉおおぅぇぇえええええええ、ゲホゲホゲホッ、ドチャッ、ゲホゲホゲホッ」
檄を飛ばし、そのまま、激しく血を吐きながら、水へ顔を、疼くめるように崩れた。
そして、
バシャァン、ズッ、ボチャァァァアアアアアアア、ポトポトポトポトポト――
バシャバシャバシャバシャ――
見えない何か、複数に持ち上げられ、少年を放置して、少年がやってきた通路の方へ向かってゆき、
「許さぬ。許さぬ、ゲホゲホッ、許さぬぞ! ここで、身内同士、お主の業が故、相討ち朽ちるがよいわぁぁっ!」
走り去ると共に、
ゥゥウウウ、ガゴォォンン!
「……。はぁっ? はぁぁぁぁぁっっっ?」
少年が来た道は、突然通路の前に降りてきた壁に、塞がれた。そんなもの最初から無かったかのように。
尻尾を巻くかのように、捨て台詞と共に、老人は逃亡したのだった。




