---071/XXX--- 怖いのは、後悔
少年と老人の衝突が始まるよりも時間は遡って――
ザァァ、ザァァァ――
「ぅぅ……、ゲホゲホッ」
波打ち際。
口から血を吐き、意識を朦朧とさせながらも、立ち上がろうとしていた。
生きて、いた。生きては、いた。さっきの、水中での、【スターゲイザーフィッシュ】の爆発。それによって、海の中から、上へとぶっ飛ばされたのだ。そのまま、より遠洋へと飛んでいきそうになったところで、咄嗟に身をよじり、そうしなければ飛んでいってしまっていただろう方向とは真逆、浜の方へと飛んでゆくことができたのだ。
とはいえ、代償は大きかった。
水は飲まなくて済んだ。沈まなくて済んだ。しかし、強烈な圧の掛かる中行った方向転換の軸にした、右足、つまり義足は捻じれ、捩れ、動きもしない。その上、接続部へもその捻じれは伝わっていて、肉に刃物を捻じ込まれたかのような逃れられない痛みに囚われることになった。
それだけではない。水は飲まずに済んだが、砂は大量に飲む羽目になった。ある意味、なお悪いといえる。
それでも、ましだ。だいぶました。その義足も義手も、見かけは失う前のそれと同じに見えても、酷く、重い。駆動させているときは水の中ですらそれを感じさせなくとも、動きが小さかったり、静止状態であれば、それらは石や鉄の塊の如く、重い。
血は吐こうども、目に見えて骨は折れていない。恐らく、臓物も、傷ついてはいるが、破裂を伴っている程では決してない。受けたのはきっと、全体的に圧を伴ったような打撃だ。そうでないと、こうやって、息絶え絶えに、立ち上がろうとすることすら、全くできないだろう。
そう、リールはちゃんと、弁えていた。
ここで、嘆かない。ここで発狂しない。ここでまだ立ち上がろうとする。
(ポンちゃんもきっと、死にもの狂いで……頑張って……いるの。私のせいで、どうしようもなくなんか、しちゃ、ダメだもの)
しかし、海と砂の視界は溶けるように、崩れ始め、意味を失い始めた。それでも、彼女はもがくことをやめようとはしなかった。立てないなら、無意味だ。そう、彼女は分かっている。立てなくても、動けなくなっても、意識がなくなるその瞬間まで、彼女はそうしようとし続けるに違いない。
彼女はそういうところで、強い。
本当に大切で仲の良い、彼女をよく知る者でない限り、気づきもしないだろう。
一見明るく、野性味とまではいかなくとも、結構に自由奔放な彼女。そんな彼女には、最初にまず自分という考えが、無い。周りを、見て、感じて、そして、口にする、行動となる彼女の奔放。そう。わざとだ。そうあろうと、自らに課しているかのように。
彼女のそれは、偽物だ。本当に自由奔放だというのなら、まず最初に自分なのだから。
そんな彼女が、彼女自身の意思で、少年の為に。そう思って行動しているのは、心からのことだ。彼女は、本当に大切なものを見つけた。それが偽物でないと、図らず知ることになった。だというのに、そんな愛しきものを、不幸に巻き込んだ。眩しさに目が眩んで、親愛に値する者をどうしようもなく裏切ったことを思い知った。本来そんなことをする筈のない彼が、半端なけじめでけりをつけようとしたら、不幸が重なった。
そう、不幸。
不幸。不幸。不幸。
だって、誰もがわざとじゃないから。そんなことになるなんて、微塵も予想の端にも掛からず、不幸に不幸が重なって重なって、どうしようもないようなこんな状況が、どうしてかできていた。
親愛に値する者はまるでつけを払わされるかのように、死を確定させられた。愛しき者も、死にかけた。何とか息を吹き返して全快したようだとはいえ、また死の危険に直面している。
そう。
それは不幸の連鎖だった。止められようもなかった。誰のせいでも……ない。本当……に……?
いや、違う。分かっている。分かり切っている。それが導火線だったのだとしたら、火をつけた自分こそが、どうしようもなく悪く、全ての責も、失うべきも、自分なのだ、と。
しかし、今となっては、それはあまりに虚しい。繰り返しになるが、もう既に犠牲を払った者がいる。その者の払った犠牲は、取り返しがつかなく、殆ど確定しているようなものだ。
犠牲。
……。
ここで、終わりにするの?
えぇ。これ以上、だなんて、ごめんだもの。
できるの?
やるのよ。
泣かないの? いつものように?
私は助かりたいんじゃないの。ポンちゃんが、助からないと、ダメなの。
その為に、どうしたいの? そこで立ち上がるだけでも、捨て身でアレに穴をあけるだけでもダメよ?
……。今は、立ち上がる、の。
シュトーレンが昏睡した時点で、もう可能性なんて万に一つもないって分かってる? ここは、深海よ。それもどれ位深いかもわからない程の、ね。悪いことはいわない。諦めなさいな。こんなの私のせいじゃない、って。それでいいじゃない。昔みたいに、嫌なことは押し付けて、不幸だった、どうしようもなかったの、って、諦めながら泣けばいいの。
嫌、よ。まだ、私、だけになってないから。諦めるのは、私だけになってしまってからで、いい。それまでは、何が何でも、諦められない。諦めたく、ない。絶対に絶対に、そんな終わりは、嫌、な―…
じゃあ、つべこべ言う暇あったら、さっさと立ちなさい。それに、全てを捧げたい。そう、もう、決めているのだから。
えぇ。私。昔からの、泣き虫な私。私、行ってくるわ。私も貴方も、この結末のバットエンドで流すことになる涙なんて、死んでも嫌、でしょ?
意識は不思議と、安定した。ぐらぐら波のように揺らぎ、消えようとしていたのなんて、嘘のように。けど、嘘ではない。
義足の破損も、そこからくる継続的な痛みも、確かに、ある。それでも――おかしなくらいあっさりと、立ち上がれた。
義足を杖に、生身の足で、義手で、生身の手で。四つん這いから、義手に力を込め、砂の地面をけり上げるように、立ち上がった。
ブゥオサァァァァァァァ。
砂飛沫が上がる。
「ゲホゲホッ、ペッ」
血交じりの淡を吐く。
立てたことに喜ばない。そのまま少年のいるであろう方向へ走り去っていこうともしない。彼女はまた、浜に背を向けた。
海へと、そのぐらつく片足お荷物に疼きながらも、歩みを止めることなく、海、へ。
きっと海に漬かれば、もっともっと、痛い。でも、そんなものは関係ないのだ。そんなものよりもずっと痛そうで、ずっと苦しそうで、どうにかなってしまいそうな位、きついものが形になりそうになっている。
だというのに、心は不思議と落ち着いている。一先ずの安定なのか、それとも、やるしかないともう心は微塵も揺らがなくなったからなのか。
パシャッ、パシャッ、――
彼女はぼそりと呟く。
「後悔、したく、ないわね」




