---062/XXX--- 望みは海砂の中
ザァァ、ザァァァァ――
ザッザッザッザッ――
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、――」
海岸。波打ち際。
一人、走るリール。腕を、足を、大きく振って調子を占いながら。
(左手も右足も、あれからは熱も煙も吐いてないわね。一応、安定してるみたい。ってことは、やれる、よね、私)
響くのは、リールの足音と大きく息をする音。そして、波の音だけだ。
誰も、何も、追いかけてきている様子などないというのに、息を切らしていた。この場所に漂着してからずっと昼のような、日差し強い海岸を、ひたすら走り、向かっていた。一刻も早く、と必死になって。
先ほどスターゲイザーフィッシュの地雷原となっていると分かった場所を避けるようにしたために酷く大回りに弧を描くように、足元取られやすい波打ち際を走っていた。
「はぁ、はぁ、はぁ、」
ザサァァァッ。
リールは勢いよく立ち止まった。
「着い……、たぁぁ……。はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、――」
中腰になって、大きく肩で息をするリールが顔を上げて眺める先には、この閉じた場所に来た時そのままに、ここへ自分たちを運んできたあの透明な箱が、ほんの少しだけ砂に埋もれつつ、浅瀬に、あった。
『あの箱。あれが目印になる筈や。あるとしたら、あの近く。それしか、考えられへん』
少年が力強く口にした言葉を思い出す。
(ポンちゃん、大丈夫、かしら……)
不安が、よぎる。
(……。そうだった……。私に……、掛かってるんだ)
ポタッ、ポタッ――
垂れる汗は、砂を覆う波の上に落ち、溶けるように消えた。
(ここからが正念場。早くしないと……)
ほんの少し息を整えたいという感情すら押しのけて、リールはまたすぐに動き出した。立ち止まっていると、思い浮かべてしまうのだ。もしもの最悪を。
バシャッ、バシャッ、バシャッ、バシャッ、
不安で不安で仕方なかった。けれど、少年の前で、年長な自分が、お姉さんな自分が、弱音を吐く訳になんかいかなかった。それにもう、物事はだいぶ悪い方向に流れてしまっている。まだ失っていないとはいえ実質失ってしまったようなものも、もうあるのだから。もう失ってしまったという証も、自身の体に刻まれてしまっているのだから。
バシャバシャ、ボシャッ、ボシャッ、
振り返ると、崩れ落ちそうだった。止まったままでいると、そのまま倒れてしまいそうだった。だから、先を見るしかなかった。足をすぐさま動かす他なかった。
ォァン。
足を止めて、
すぅぅぅ、ブォゥンンンンンン。
潜った。そして、
ブゥゥ、
浅瀬の底、砂へ手を伸ばし、
バゥン、ブォゥン、ザァァッ、ザゥゥッ、――
掘り始めた。砂泥を巻き上げ、青い水を泥色に濁らせながら。そうして、肘辺りまで埋もれさせて、それはそこには無いとして、先へ。より深く、より、外側へ。
ブゥオン、スゥゥ、スゥゥ、ズスッ、ブォン、ザァ、ザスゥゥッ、――
激しく掘り進み続けた。碌に息もせず、碌に見えもしない視界の中、水の冷たさが芯に響く中、感覚の無くなりかけた手で、堀り続けた。
ザァ、ザスゥゥゥッ、――
(無い……。無い……。無い……。どうして……。どうして、よぉぉっ……、っ……)
そろそろ我慢の限度に迫った息の苦しさにふと気づき、
ザッ、フッ、ザバァン!
浮上した。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、――」
振り返って、浜辺の方を見渡した。魚人たちはいない。気づいていないのか、こちらに全く数を割かれていないだけなのか。
(……。急が、ないと……。結局、ここ以外、思いつかないんだもの。やらないと――ポンちゃんまで…―)
ブンブンッ。ペチンペチン。
(落ち着くのよ、私。そうじゃないと、見つかるものも、見つからないわ)
浮かんだ限りなく嫌な想像を振り払うように、リールは激しく首を振った。たっぷり海水を吸った湿った髪の毛がぺちんぺちんと音を鳴らし、
パシャパシャ。
激しく飛沫を飛ばす。
フッ、パンパンッ。
駄目押しするかのように、自身の両頬を両掌で強く叩いて、
(……。よしっ)
すぅぅぅ、ブォゥンンンンンン。
リールは再び、海へ、潜った。
ごぉん、ごぉん、――
ザァ、ザスゥゥゥッ、――
海の中特有の腹に響く音と、自身の手が、泥を、砂を、巻き上げる衝撃と音。巻き上げられたそれらだけでなく、深さからくる、光の弱まりも、暗くじめっとした気分を助長する。
探し物。きっと、ある筈の、探し物。あることが分かっているだけ、砂漠で金の一粒を探すよりかは、まだましな、しかし考え方によっては時にそれよりももっと酷く薄い、宛ての無い探し物。
それは砂に覆われて見えない。それを確認する方法は手探りの他にない。目印らしきものはあるとはいえ、それは存在を担保してくれているとは限らない。結局は、砂漠で砂金の一粒を探すようなもの。ここはそれだけ広大なのだから。
リールは探す。探し続ける。
思い出す。思い返す。つい先ほどの、作戦会議。そこで少年に言われ、それにハッとし、納得した。そして、託された。任された。
もしもそれを完遂できなかったら? 放棄してしまったら? 限度を、過ぎてしまったら?
より危険な役割を担う少年は、必死に、命を懸けて時間を稼ごうとしている少年は、確実に――死ぬ。犬死にする。
あぁ、また……、強く、強く、思い浮かべてしまった……。
自分は、二人も、殺すのか? 身勝手に、気儘に、生きてきたつけを、自分以外に、よりによって、大切な者に、自分の為に苦悩してくれた者に、足掻いてくれた者に、払わせるのか? そんな風に、心の底から泡のようにぼこぼこと、立ち上ってくる。
(……。早く、しないと、早く、早く、早く、早く――)
そんなものないなんていう可能性は、たとえ見つけたとしても、届かない、足りえないなんていう可能性はまるで微塵も見ていないかのように。……。縋り付くかのように。盲信するかのように。
取返しのつかない手遅れは、もう、たくさん……、だったから。




