第二百八十一話 コイントス
「ああ。柄は俺が掘ったものだ。手に取って見てみてくれ」
そう言われたので、
「えぇ。では遠慮なく」
スッ。
座曳はそれを手に取った。机の上に置かれていた面がどうやら表面らしいことは、その凝り様から明らかだった。先ほどまで話題にしていた、自分たちが乗っている船そのものが、そこには緻密に掘られていたから。
そして、円形の縁取りを隔てての外縁部には、文字が掘られている。
【YOU ARE MY DESTINY】
(『貴方は私の運命』、ですか。恋人に向ける愛の言葉のようなそれを、船へ、向けますか。やはり貴方は筋金入りなようですね)
「これは……凄いとしか言いようがないですね。この径に、真横から見た全体を納めますか。一本一本の線の間隔はミリを割っていて、深さと太さにも、差がつけてあって、その上、バリも無し、ですか。これ掘るのどれだけ掛かりました?」
敢えて掘られている文字に座曳は触れない。本題は先にありそうだし、ここで突っ込んで長話になると分かっていて突っ込むのは相手にも自分にも不利益だと判断して。
「一年、だ。一年掛けて掘った。夜、コツコツと、な。俺が最初に目にしたときのこの船の姿を」
そう、男は胸を張る。
くるり。
座曳はコインを裏向け、それを見た後、こう言った。
「ですが、裏面には何も掘っていないのは一体どういうことなのでしょうか?」
そして、
くるり。
何も掘られていない面を男の方に向けて見せる。すると、
「簡単な話だ。掘るモチーフが、掘りたいものが、浮かばないんだ」
男は遠い目をして笑った。
「成程、敬愛する今は亡き祖父から受け継いだ、柄の擦り切れた金貨を平らに磨き均して、そこに新たな柄を掘った、ということですか。何とも思い入れの深い。御返ししますね。私に見せられても、裏側のモチーフを探す手助けなんてできませんよ。それは他ならぬ貴方がご自身で決めるものですから」
スッ。
男のちょっとした昔話がふと始まって終わった後、座曳が金貨をそう言って差し出すと、男はそれを受け取った。
「すまんな。弱音を吐くつもりで出した訳ではなかったのに」
「では何のつもりで出したんです、それ?」
何か言いたげであったので、座曳はそう尋ねてみた。すると、
「今から俺がこのコインを軽く上に投げる。それをキャッチする。柄を隠すように。きっと、コインは裏か表だ。どっちになるか、あんたに当てて貰いたい。俺はあんたが選んだのとは逆の面に賭ける」
突然そんな賭けを持ち掛けられた。唯の当て物ではない。男は確かに、賭ける、と言ったからだ。
「?」
だから座曳は首を傾げた。何を賭けるのだ、と。
「あんたが当て、俺が外したら、俺は、あんたと結紫晶が船からいなくなり、座曳船長とも合流できない場合、俺がこの船の船長をやる。覚悟を決めて、な」
「!?」
どうやらそういうことらしい。
「あんたが外し、俺が当てたら、俺は何があっても、この船の船長はやらない」
座曳にとって、それは得しかない。
「つまり?」
だからそれでは賭けにならないと思いつつ、確認の意を込めてそう問い返す。
「あんたは俺とのこのお遊びに付き合うだけで得をする。そういう話だ。どうする?」
本当に得しかない話らしい。口に出す前に断られてしまった提案を受けるかどうかの判断を向こうがやり直してくれる、それも運否天賦で。そう言っているに等しいから。
「当然、やりますとも」
座曳は即答した。何か賭けているという感覚は全く無いが。後は、分からないのは相手の意図。わざわざ、ここでそんなものを賭けたのは何故か、ということ。こんな面倒なことをする必要など、何処にもないと思えるから。意志を変えたというのなら口にすればいい。念押しの念押しのような再度の断りを入れるにしても、ただ、言えばいいだけのことだ。
自分はそう分別がない訳ではない。そう座曳は考え、結局、分からずじまいに、
「じゃあ、いくぞ!」
金貨は宙へ。
スッ、ピュィィィィンンンン――、
椅子に座ったまま、机の上で投げられた金貨。縦に横に斜めに回転し、上っていき、止まり、落ちてきて、落下時点を軌道から想定して、左手の甲を男は落下時点に合わせ、そして、
ガッ。
右手で横からそれを、緩くドームを形作るように覆い、左手甲の上に金貨を止めた。未だ左手の甲と右掌で挟んだコインを見せないようにしながら、
「さて、どっちだ?」
座曳の方を向いて、尋ねた。
「……、どっち、でしょうか……」
今一度座曳は考える。相手が何か仕込んできていたとして、それが何であるか、仕組みや意図を考えられる最後の機会。自身がどちらの面か予想を口にして、手が開かれて、結果が明かされたらもう、後はそれに従うだけになる。
(参りましたね……。意図が分からないです……。前言撤回するような人ではないですし、恐らく、私が絶対に外すという確信があるのでしょう。なら、外すようにすべき、でしょう。直前見えたのは、確かに、船の掘られた面、でしたが。金貨を右手で強く抑えようとしなかったのは、恐らく硬度低めの金貨だってことなのでしょう。投げたコインを横から掴むように握らなかったのもそれが理由として、この変なキャッチの仕方には納得することにしましょう。この人に限って、明らかなズルはしないでしょうし。……何なんですかね、これ……。よく分からない読み合いになっちゃってますよ? 誰得なんです、これ……?)
結局同じような流れしか頭に浮かばない。結局分からない。
「気楽にやってくれたらいい。あんたが失うものは何もない」
そんなしかめっ面をしていたのかと、表情を少しばかり緩めながら、
「う~ん……、あとちょっとだけ、待ってください」
もう少しだけと猶予を求めた。
明らかに表になっている面が見えていたこと。そして、答えの選択が裏か表しかないように縛られていることからして、絡め手でくることはないと判断し、
「う~ん、決めました。じゃあ、船が掘られている面で」
(貴方が何か仕込んでくると信じて敢えて見えた面で! きっと、こうでしょう。貴方には迷いが生じた。船長役を引き継ぐかどうかの。だから運否天賦に任せる。しかし、どちらか一方の運ではなくて、私と貴方合わせての運と運の掛け算の結果として)
「では、見ていこうか」
スゥゥッ。
ゆっくり、天蓋のような覆いとしての役割を持たされていた男の右手が、左手から離れるように上がってゆく。そして、
「っ! これは……」
座曳はその結果に目を疑った。金貨は、表も裏も見せず、その側面を見せる形で、男の左手甲の上で、立っていたから。




