第二百七十六話 数日遅れの伝言
「では、さらばだ」
そうして、水に身を投げ、その男、大人の姿となったクーは、着水したかと思うと一瞬で溶けるように姿を消した。
「何……だったんだ……、くそっ……力が、出ねぇ……わ……。座……曳、結……ちゃ……、く……そ……」
倒れ臥し、霞む視界、手を震わせ伸ばすが、視界が閉じると共に、その、手が力なく、落ちるのを感じたのが、
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「そこで意識を失った訳、ですか」
「あぁ。ってぇことだ。事のあらましはそんな感じだった訳だがよぉ……、正直訳が分からねぇ。分からないことだらけだ。なぁ、座曳。俺は、どうすればいい。お前とそこで眠ったままの結ちゃんにどう侘びりゃあいい……。俺はあいつらみたいに、お前が言うように軽く水に流すことも、そういうふりをすることもできねぇよ。はぁ……。あの男はそこまで読んで、俺にあぁ言ったんだろうな。はぁ。座曳。たしかにあの男は正気で、お前の仲間だったよ。お前を認めてたよ。伝言は今さっき伝えた通りだ」
座曳が寝ていた部屋。そのベットサイド。あれから数日が経過しており、座曳は目を覚ましていて、至って無事な様子で話を聞いていた。先ほど座曳が手渡したカギを麻紐を通して早速首に掛けているガタイの良い少年の話を聞いていたところだった。
座曳の右腕の折れも、断裂も、傷跡はあったが塞がっていた。右腕から胸部までの黒変も何も無かったかのように消え去っていた。そう。傍で安心した顔でやりきったという顔で無防備に安らかに眠っている結のお蔭だった。
「お疲れさまです。……それ位しか言えませんね。私にだって付いていけないことはあるのですから。寧ろそういうことの方が世の中には溢れていると旅して思い知ったくらいですよ」
と、座曳なりに彼を元気付ける。すると、
「で、行くのか?」
ガタイのよい少年ははっきりと座曳にそう尋ねた。
すぅぅ、はぁぁ、すぅぅ、
座曳は大きく息を吸って、吐いて、吸って、目に力を込めて話し始めた。
「当然、でしょう。たしかにまるで訳が分かりませんが、たった一つだけはっきりしてます。こうなったのは私のせいなのです。だから、何が何でも、一度会って、言わなければ。ごめんなさいと心から謝って、それから話をしてこようと思います。彼が豹変したとはいえ、それでも、彼の本質は変わっていなかったのではと私は思うのです。彼は伝言に私や結への謝罪の言葉も感謝の言葉も罵倒の言葉も入れていなかったですよね? それに、来い、とは言わなかった訳です。何一つ強要しなかった」
それは、ガタイの良い少年の為。自分の代わりにこの都市の彼らを維持しつつ発展させていくという重荷をそれが重荷と分かった上で背負ってくれた友の為。
「確かにそうだったけどよぉ……。強要しなかったてのは違うと思うぜ。あれは、俺らの選択なんて一切気にしていないんだろうって俺は思ったよ」
未だガタイの良い少年は未熟だ。しかし、変化は待ってくれはしない。そのことを二人共知っている。だからこうやって、できることをやっている。
「ふふっ。貴方らしいですね。けれど恐らくそれは違いますよ。彼が使った言葉に、『代償』というものがありましたね。それこそが凡そ全てを物語っています。つまり、選ぶのは自由。その後の行動も自由。しかし、その後に降り注ぐであろう因果には、結果には、選択と行動の責が及ぶ。しかし、それまでは何も妨げない。そういう意味、ですよ。最初から脅したり、選択肢を無いように見せかけて絞らせたりなんてしていないでしょう? 選ぶは自由。しかし、後の結果はどう転んだとしても自分のせい。実に分かりやすくて、明確で、平等と言えるのではないでしょうか? 私が旅した世界での常識であり理であったものですよ。外の理。しかし、それはとても理に適っていた。貴方はどう思います?」
説明した上で、尋ねる。強要はしない。誘導もしない。あくまでそれは、一つの考え方だ、と言っているだけ。
「分からねぇな、未だ。しかし、そういう心意気もあるんだなってぇことは分かったよ。無理に飲み込もうとはしねぇ。ただの早とちりになっちまうからな。お前のように、すぅっと分かって消化できるように、これからも頑張っていくぜ。それ位はやらねぇと、な!」
ガタイの良い少年はそう言って拳を掲げた。
「その息、です。やはり貴方しかいませんね。この場所でそのカギを託せる相応しき人は。事実、託すと同義なのですから。私とそこの結は、戻ってくるかも知れないし、戻ってこれないかも知れない。当然、最後まで遣り遂げて、いつか戻ってきたいとは思っています。いや、ここは、こう言うべきですね。生きて、戻ってきます! ですから、これからこの都市を盛り立てていってくださいね。私たちが戻るまでに、程良い感じに」
座曳は穏やかにそう微笑んだ。心から。ずっとずっと肩に乗っていた重荷が、やっと下ろせたような気がしたから。
鍵を渡したときから少しばかり遅れて、やっと。
それは絶対に下せない筈の荷物だった。まるで呪いのような、義務のような、しかし、それを背負うことが誇りであり、矜持であったかのような、自分に紐づいた自分だけの特別などうしようもない権利だった。
「ははっ。当然、だろう? やっておいてやるさ。お前の代わりに。お前がここに、もどってきて、改めてどうしたいか答えを聞くその時まで、少なくとも預からせて貰うぜ!」
だからこそ、相応しき者に。そうでなければならない。そしてそのような者は何処にもいない筈だった。しかし、現れた。それも、自分が為に変わろうとしてくれた、自分の捨てた筈の、仲間だった。
感慨に浸りたい。涙が、溢れそうだ。しかし、そこは、泣くのではなく、
「ふふっ。頼みますよ」
笑顔こそが、相応しい。そう座曳は心から微笑んだのだった。




