第二百七十四話 目の前の別地平
(……)
晴れた煙の中から出てきたのは、何も纏っていない、透き通るような白く、傷なく、艶あり、無駄なくついた筋肉、長い手足、九頭身。高身長。毛並み良い薄金の髪。目力と威厳持つ、横長の力強い青い目。高い鼻。
呆然とする他なかった。見惚れた。それは、まるで、別次元の完成度を持った、人の形した、上の位階の存在に見えた。
しかし、その男の胸部へ自然と焦点が合い、何よりおかしなそれを確かに意識した。胸の穴がない。痕跡すら見られない。刺さっていた座曳の腕がない。それどころか座曳の姿がない。
(……っ!)
受けた衝撃からか、慎重さなど投げ捨てるかのように、思ったことをそのまま、ガタイの良い少年は口にしてしまう。
「座曳はっ!」
咄嗟に出た言葉はそんなであって……、だから、
「はっ、……」
しまった、と目を見開いて口を紡ぐ。
「構わぬとも。こちらも誤解を与えてしまったところはある」
横たわる、何一つ隠しもしない、白い肌に、金色の毛をした男はそう言って、
フッ、フォン!
手も足も動かすことなく、まるで上から糸にでも引っ張られているかのようにフッと浮かび上がり、すっと着地した。
もう、ガタイの良い少年は驚かなかった。そんなことをしていてはきりがない。それよりも座曳は、と、男を視界に収めつつも、ちらり、ちらり。
(いない……)
汗が額を流れる。
ちらり。
結が反応している様子はない。未だ、踊っているままだ。
「? 何を探している? 私は別に、お前たちを壊すつもりなど微塵も無い」
そう言われて、相手の方を再び向く。
相手は全く検討違いなことを言ってくる。起き上がったその男は、ガタイの良い少年に、これまでの経緯なんて些細なことと言わんばかりなことを口にしながら、目に掛かった髪を払う。それは異様に長い髪だ。あの異常な肉体の成長に従って無駄に伸びたのだろう。
(……。何なんだ、こいつは……)
ガタイの良い少年は、自身の感情が玩ばれていることに気付いていない。
「ほう、理解が及ばぬと見える。しかし、構わぬ。それについては許そう。不足故、な。しかしその心境を行動に反映させるというのならば、無為だ。止めておけ。もし仮に私が戯れにお前たちを摘み取ろうと決めたとして、お前ではここに倒れている者たちを守り切るなど、私を妨げることなど、できはせぬよ。位階どころか力の総量すら及ばぬのだから。その程度弁える位の器はあるであろう? 小集団の長に自然に収まる程度の器ではあるのだから」
一瞬、意識が飛びそうになる。汗は一瞬、吹き出すように体の内から溢れてきた。それが一瞬で冷たくなって、ひんやりして、ぞくり、とする。
(くそ……)
自身が限りなく小さくなって、その相手の掌の上に乗っていて、どうしようもない状況が目に浮かんだから。
「信じるに値しないと確信し、構え続けるお前は正しい。が、気付けているか? その敵意は偽りだ。お前はそうやって頭を垂れていない振りをしつつも、ここで私を斃すつもりなど微塵もなく、私に刃届かせる手段一つ、想像だにできないのだから。なら、その刃は何だ? そう、虚仮脅しと言うのだよ。弱者が使うそれは、見透かされた後には、何の価値も残らない」
(何だって、いうんだ……)
いつの間にか強く強く握り、翳そうとしていた拳は、力なく、すとん、と落ちた。
コトッ、コトッ、コトッ、コトッ
「にしても、中々に不思議な精神構造をしているではないか、お前は。折れぬか。都合良くはゆかぬか。記録の道具としての精度を高めてやろうと思ったというのに。何がいけなかったのだろうか? さて? はて?」
その全裸の男は、そんなことを言いながら、顎に手を当てながら、頭を捻り、その場を行ったり来たりするように歩く。
(こいつは一体、何なんだ……。分からねぇ……。こんなもの、分かる筈が無ぇ……)
もう、ガタイの良い少年は、それに抵抗しようという気は一切無くなっていた。相手の見せる態度が奇しくも、こちらを一人の人間として、対応すべき相手として見て居ない、どこまでいっても道具としてのそれでしかないと結論が付いてしまったから。
敵意なんて最初から無かった。唯、都合の為に手折ろうとしてきただけ。
だからもう、ガタイの良い少年も、この相手についてまともに相手するのは止めたのだ。そのような決断ができただけ大したものである。自身の出した考えを道筋を、信じていられているということなのだから。そして、それは今のところ大きくは間違えていない。
だからこんな展開になっている。
それが分かってしまう位には有能なガタイのよい少年は有能ではあった。必死に手掛かりを求めて思考を巡らせていた。最も大きな疑問は、この男の今の中身であるが。どう見ても青年の域に満たない少年という恰好だったこの男が、何故かこのような姿になって、恐らく、以前とはまるっきり違う知性、品格、雰囲気、言葉を振るっているのだから。
そして、見当たらない座曳は何処に、と未だ諦めず、隙を見計うように時折探す。
(座曳……。お前が見当たらねぇからこそ、俺は未だ、折れる訳にはいかねぇんだ……。だって、お前を隠すってことは、あっちにも未だ、裏はあるってことなんだからよぉ……。俺だけだ。俺だけが、今動けるんだ……。だから、俺が、何とか…―)
「あぁ、なるほど。座曳か」
男はすっと何気なくそう言って、ガタイの良い少年の方を向いた。
「っ!」
びくり。一瞬、相手の口元が歪むように嗤ったような幻覚が一瞬見えた。
流れる汗。ぽとり。ぽとり。ぽとり。
歯を噛み締め、震えを必死に抑え込んで、それでもひくつき、びくつく瞳で、逸らさずに、相手から一瞬たりとも目を背けなかった。
にぃぃぃぃぃ。
相手の口元が、ここにきて初めて、引き攣るように不気味に嗤った。確かに。はっきりと。感じた圧が、先ほどのは唯の幻覚だと教えてくれた……。
相手の口が開く。
「無事だ」
スッ。
背中の後ろに手を回し、掲げたのは、座曳。背中を掴まれてぶら下げられるように持たれた、気を失ったままの座曳。へし折れた、黒変した右腕は、千切られることなく繋がっている。骨は折れたままであり、ぶらんぶらん、と千切れかけであるその右腕は確かに未だ繋がっている。
「引き千切らず丁寧に抜き取っておいた。肝心要の箇所は千切れてはおらぬ。なら、ここの設備からして、挿ぐことはそう難しいことでは無かろうよ。そんなにも大事であるなら、こんなにさせるような不甲斐無い事態にはせぬことだな」
含みを持たせたような言い方。それは、今後への指標。彼なりの、ガタイの良い少年へのある種の敬意。
ブゥオン!
飛んでくる座曳。まるでボールでも投げ渡すかのように気軽にそうされた座曳を、
「! ぅおっとぉおおおおっ!」
ガシッ。
両手で受け止め、踏ん張った。
『どうだ?』と、相手は目で言っている。それに気付き、ガタイの良い少年は、この埒外な存在の至って理性的な訴えと手段を認めることにした。
落とし所だ。こちらからそもそも、殺そうと攻めた。向こうはそれに対応した。最初から意思疎通するなんてことができなかったが故の、やりようによったら避けられたかも知れない事態。幸運にも、こちらを皆殺しにできるところを抑えてくれた相手。代わりにされた要求。遣り取りは屈辱を感じさせられるものであったが、こちらを害するところなど、結局は無かった。
(なら、そうだなぁ、座曳。お前ならきっと、こうやって、さらっとしれっと言うんだろうなぁ。俺はさらっともしれっとも言えねぇが、心からやろうとした通り言葉にするとするか。きな臭い時間はこれで終わりだ)
抱えた座曳を見て、そして、目線を上げ、相手の方を真っ直ぐ見て、もう震えも怒りもなく、
「忠告、感謝するぜ。それと、伝言、引き受けさせて貰うぜ。あんたはこいつもそこで踊っている子も俺たちも誰一人殺さずにいてくれたんだからよぉ」
そう、ガタイの良い少年は笑ってみせたのだった。




