第二百六十話 苔生す侵 続
ザァァ、ザァァ――
「座曳。船はこっちよ」
と結は言うが、座曳は動き出さない。
「どう……したの……?」
そう彼女が、不安そうに尋ねると、
「今ある札だけで、勝てる見込み……あると思います……?」
何やら、ひどく弱気な言葉が座曳から飛び出した。しかし、その表情は泣き出しそうな風に苦悩に満ちたものではなく、寧ろ、冷静で、俯瞰的で、何やら考えがあって、そう、落ち着いた少し暗く重い感じで尋ねた、という風だった。
「……。そんなこと、考えるよりも、早く動かないと」
彼女は、迷いつつも結局そう言ったが、彼は足を前に踏み出そうとしない。代わりに出したのは、手だた。ポケットに入れた、透明な鍵。それを出して、
スッ。
「これの使うべき場所。教えて頂けませんか? 貴方なら知っているでしょう? 結。これを彼らに渡す前である今なら、未だ、使える、と私は踏んでいるのですが」
翳して彼女に頼む。座曳は使えるものは何でも使うつもりだった。何故なら、
「タイミングが気になります。何故あれは、今、動き出したのでしょう? 何やら狙いがあって、あれは動き出したように私には思えます。それは単純に標的が現れたからなのか、何やらの準備が終わったからなのか。今の段階でははっきりしません。しかし、確実に、あの苔の脅威がまた私たちに牙を剥こうとしている。しかし、のこのこと出てきても、この都市にはあれに対する特効的な手段がある訳で。一旦なりを潜めたことから考えると、無策で突っ込んでくるとは思えない。だから、私は、こう判断します。もう、あれに、この都市の用意した特効は、効きません」
以前のそれとの対峙と、現在の状況から鑑みて、
「つまり、勝てない。このままでは。確実に負ける」
現状のままでは詰みだと理解していたから。
「なまじ、絶対的と思っている札を持っている以上、それに心は無意識に頼ってしまう。縋ってしまう。私の船の船員たちも、この都市の彼らも、共に、あれの恐ろしさを知っているのですから。手段が要ります。できる限りたくさん。効くという保証が欲しいところですが、検証の猶予はありません。効きそうなものを選ぶ他ない」
そう座曳は、何故か二人で抱え込み、裏で行動するかのような選択を提案する。
「なら、どうして、私たち二人だけで……?」
だから彼女のこの問い返しは至極当然だ。座曳も当然分かっている。彼女がそう尋ねてくることを。一見遠回りな遣り取り。しかし、実は必要なことだった。自分だけにでなく、彼女にも、考えることを担って貰わなくてはならない。自分と同程度には。そう座曳は考えていたから。
「どうもきな臭いんですよ。他にも何かあれが仕込んできているように思えてならない。その方向性も手段もまるで想像がつかない。ですが、あれが私たちにむけてやった、これまでのことのスケールを考えると、あまりにも今回のは小規模過ぎる」
「確かに、そうね」
彼女も納得する。
「しかし、それが何かは私には今のところ想像がつかない。方向性も予想がつかない。自分の分からないものなんて説明できないでしょう? 惑い動けなくなられるより、目の前の対処へ集中してもらう。だから彼らには言わなかった。それに、案外、私たちが向かう前に彼らが何とかしてくれてしまうかも知れない。それだけのことですよ」
座曳のそれが、彼らへの信頼という形をした結論でもあることに、結は安堵した。活力が沸く。きっと、何とかなる、と。
「なら、早く、行きましょう!」
そう彼女は口にし、座曳も賛同するが、
「ええ。まず、船からですよ。何か仕込まれている可能性が一番高いとしたら、あそこでしょうから。外から何か招き入れたとしたら、あの船と共に来た、と考えるのが最も自然です。杞憂であったらいいのですが。……あれ? 私のナイフなどは、何処、です?」
手持ちの武器の類がないことに気付き彼女に尋ねる。
「……。一旦、戻りましょうか?」
彼女はまずい、と冷たい汗を流しながら彼にそう尋ね、
「申し訳ありませんがそうしてください。船で何か出ないとは限りませんから」
彼は彼女の提案を受け入れた。そんな風に、何とも締まらない感じであった。
そうして、建物で座曳の荷物を回収し、二人は港へ向かっていた。船に何か仕込まれていないかと、使える装備を探すために。
スタタタタタ――
スタタタタタ――
二人は走る。彼女が先導し、座曳は後を追いかけるながら、【虚像付き通信機】を使って、通話をしていた。船長と。彼女によれば、船員たちが何度か通信を試みたらしいが、これまでは通じなかったらしい。だから、それでも駄目元でと座曳が通信機を使ってみて通信が繋がったとき、彼女は少しばかり驚いていた。
そうして、粗方の事情を説明し、座曳は船長に問い質す。
「船長。どうなんです? あれへの対処法、前の出来事の後、恐らくちゃんと、調べてますよね?」
敢えて、ケイトを出してくれ、代わってくれとはいわない。この前のようなことになるのは目に見えているから。それに、どうやら船長はケイトがすぐ傍にいないようにしてこうやって通信しているようだったから。
『あぁ。だが、あの水じゃぁ、駄目なのか? それで何とかなるだろう? 斃し切れはしなくても、追い払うには十分な筈だが』
都市の水のことを何故か知っていた船長。しかしそこに座曳は突っ込まない。そんな暇はないと分かっているから。
「多分効かなくなっていると推測しています。にしても、何なんですか、その、学習する、という特性は。『人のように学習するが如く、脅威に対して耐性を持ち、個体単位で習得したそれを集団として共有する性質を持つ』、だなんて。何ですかそれ……。そんなのどうしようもないではないですか……。きっと、彼らあれに色々してますよ。あれを黙らせる為に。貴方の言う通りだとするならば、黙らせる手段としては数々の新たな種類の刺激を、慣れてきたら変えを繰り返し、与え続けていく。確かに有効だったのでしょうが、後で始末する手段が同時に潰えていってしまっているとか……、何だか、悪意感じますよ……」
船長に聞かされた、それの持つまるで悪意染みた特性と、それに対して彼らがしたであろうことの予想と、現状の酷さの推測を聞き、がくりと肩を落とす。
『そういう風に作られた生物だからな。現生人類よりも、より何でもできた前人類への脅威として設計された生物な訳だからよぉ』
次々、そんなこと知ってもいいのかという情報、ひどく嘘っぽい情報、しかし、嘘にしては対処法や現状の予測が正確過ぎて、信じる他、なかった。船長自身が持つ情報の更新はなされている。なら問題ない、と。だから、座曳は、現在必要な情報以外は、頭の片隅に追いやっている。
「ころっと世界的に重要そうな情報吐かれても……」
それでも、ぽろりと皮肉を零さずにはいられなかったが、それで留めた。




