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モンスターフィッシュ  作者: 鯣 肴
第二部 第四章 託すに足る相応しき者たち

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第二百五十七話 偽りの雨でも

「これのことは置いておいて、締めにしましょう」


 ブン、ブン。


 そう、座曳が右手親指と人差し指で掴んで、手首から先で左右に振るように彼らに向けて翳して見せたそれは、完全なる無色透明だった。座曳がそれを掴んだ瞬間、光は消え、それは透明になったからだ。


 そして、そのままそれをポケットへと仕舞う。ポケットはその形に膨らむ。特に何の変哲もない鍵のようだ。鍵穴に差す方に、ギザっと突き出た歯抜けな突起のような構造を持ち、握る側は、握りやすいように面積広めになっている。たったそれだけの月並みな鍵。登場の仕方と、透明であるということ以外。


 座曳があっさりポケットに入れることを選択したことから、それはそう脆くはできていないことが推測できる。


 しかし、周りから見ると分かったことはその程度だ。が、座曳は違う。座曳にだけは、それに関するメッセージのようなものがあった。


 敢えてそれに今は触れないということを言葉にしたのは実のところ自分自身の為でもあった。そうして話は進む。


「皆さん、如何でしょうか。非常に身勝手なことを言いました。そのことについて私は謝るつもりはありません。本心ですから。そして、皆さんなら、受け入れてくれる、と勝手ながら信じています」


 座曳はそんな風に恰好をつける。


「どうです? さぁ!」


 しかし、そんな座曳の煽りにも、彼らは真面目な表情で座曳を見るだけで何も言わない。


(……、どうして、です? 望んでいたのですよね? 私の本心を。大仰でありましたが、何一つ偽りはありません。だというのに、どうして……、どうして……)


 不安を何とか座曳は隠す。


 表情には出さない。しかし、汗が、冷たい汗が、流れ出す。その冷たさが肌を辿り、落ちてゆく感覚が、座曳を不安へと誘う。


 そのような冷たい汗を掻き始めて、仕切り直して彼らに返答を求めてから、ほんの数十秒だというのに、その待ち時間は間延びしてゆくかのように、どんどんどんどん、長く、重いものへとなっていっていた。


 ドクン、ドクン、

 はぁ、はぁ、はぁ、


 息の音まで、ゆっくりと間延びするように。波の音はどうしてか聞こえず、変わりに鼓動が大きく、響く。


 ポタッ、ポトッ。


 そこに汗の滴りの音までも加わってくる。


(……)


 心に言葉は浮かばない。浮かぶのは、迫り来る幻影。そこで次々浮かぶ言葉、抱いた言葉は、すぐさま散るように消えてゆく。意識としてしっかり認識する前に消えてゆくのだ。


 しかし確かに感じている。心が受けている負荷から逃れられはしない。それは確かに存在しているのだから。彼の心の中。彼の無意識が彼を責める。


 責め立てられる自分。豹変した態度で、この都市の嘗ての大人たちの、あの儀式の場のような状態になった彼らが、投げつけてくる、石。それは、自分にだけではない。傍の彼女の巻き込まれる。彼女は塞ぎ込んだような表情で今にも泣き出しそうで、それでもそれを必死にこらえて。それが、痛みによるものではないことが伝わってきて……。


 すぐさま、彼女を守るように、抱き、包むように、守る。石は絶え間なく飛んでくる。即座に死ぬほどのものではない。彼らは調整している。加減している。一思いに殺してなんてしまわないように。彼らは長年待ち続けた。捨てられても待ち続けた。なら、当然だ。そんな彼らをまた、いや、悉く、悉く裏切ったのだから。


 罪を、受け入れよ。彼女から離れ、義務を、取れ。然るべき行いを。それだけが、唯一赦される道。


 彼の前提を崩すような、自己矛盾孕んだ声。


 しかし、負けそうになる。彼女は今、命の危機では決してない。自分がいなくとも、彼女は生きていられるだろうと、確信している。たとえ呪いは解けなくとも。


(あぁ、なら、私は…―)


 ガシッ! グッ!


 掴まれ、引っ張られた、手。


 そう。彼女だ。


(っ! ……)


「……」


 彼女、結は、何も言わない。唯、彼を、真剣な面持ちで見てくる。至近距離。引き寄せた彼の顔の前で。見つめる。目を。覗き込むように。


(何……ですか……)


 バッ。


 急に手を放される。


 バランスを崩し、倒れそうになるのを何とか踏ん張ろうとする座曳。それを彼女は狙っていたのか、彼らの方を向いて、口を開く。


「私からもお願いするわ。彼を連れてゆくことを、許して頂戴」


 そして、何とか踏ん張っていた彼は、それを耳にして転ぶ。


 バサッ。


 すぐさま起き上が――れない。


 グググ……。


 足が震えて、立ち上がれない。埋もれた体を起こすところまではすぐできたのに。数歩の距離を空けてすぐの彼女に手は届かない。その言葉を止めることはできない。


 声も、当然、出ない。見ている、しかない……。心の負荷が大きすぎたから。未だその重さはのしかかっている。寧ろ、自身が言葉を口にしているときよりも、より、重く、より苦しく。


 だから、彼女に向けて、震える手を伸ばすが、届かない。


 それでも足掻くものだから、


 バサッ。


 空を切る。倒れ込む。その様子を見届けて、彼女は言葉の続きを口にする。


「貴方たちを足蹴に、この都市を押し付けて、旅立つことを、許して、頂戴……。お願い……。お願い……。どうか、お願い……します……」

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