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モンスターフィッシュ  作者: 鯣 肴
第二部 第四章 託すに足る相応しき者たち
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第二百五十三話 懐かしき彼方から 後編

 思い出した、記憶。取り戻した、記憶。そこに、彼らは存在していた。


 過去、自身が巻き込んだ、彼ら。危険を承知で協力してくれた彼ら。儀式の場に子供は、挑む者以外入れられることはないと知った上での、利用するが為に巻き込んだ、彼ら。


 そんな彼らが、


「……」


 嘗ての姿のまま、こちらへ、さぞ、嬉しそうに、涙を浮かべながら、走ってきて、いる。


(何故、です……。どうして、です……。姿も形も、あの頃と変わらない。しかし、間違えようも、ない……。甦った記憶には、彼らの姿が、焼きついていた。彼らこそ、私が捧げた、最初の、犠牲。私が破れた後、消えた、筈……なのです。消された……筈なのです。そうして私は彼らのことを永きに渡り、忘却していた、筈、なのです……。死者は甦らない。なら、紛い物、ですか……。何故、今更……、踏みにじるように……。問い質す意味あるとしたら……、一人だけ)


 眼下の彼女を、見た。


 ガシッ。


 握った。


 自身の顎を支えていた彼女の手。その手首を握り、引き剥がし、軋ませるように強く、握る。


 ギリリリリ。


 力込めて立ち上がり、見下すように、見下ろすように、笑わず、怒りすら乗せず、痛みすら微塵も感じていないような、冷たい顔をして見返してくる。


 ギリリリリリリ――


「どういう……つもり、ですか……」


 しかし、


「……」


 彼女から返事はない。その顔からは微笑みは消えていた。遠くを見るかのように悲しそうな、憂いを浮かべた目をしていた。座曳を見ては、いなかった……。


 ミシッ、ギギギギギギ、ミシミシッ! ミシミシミシッ、ギリリリリリリリ――


「言うんです! 結ぃいいいいいいいいっ!」


 怒りに顔を滲ませながら、彼女の顔目掛けて、その視界を覆い遮るように、自身の顔から目を背けられないように、座曳は、凄んだ。


 彼女の手首を握る力はどんどん強くなり、未だ半ば鉱物化しているその腕を、握り潰さん勢いだった。


 ギリリリリリリリ、メキメキッ、ギリリリリ――


 そんな座曳を、


 ギロリ。


 睨むでもなく、彼女は冷めた目で、座曳を、見据えた。


「はぁ……。いい加減に、しなさいな、座曳。それこそ、侮辱でしょう。()()()()。彼らはずっと、貴方を待っていたのだから。一度諦めた私なんかよりもずっと長い間、絶え間なく。唯、貴方に使われただけの彼らが、貴方を、待ち続けていたのだから」


 そう、荒げることすらなく、冷たい声で言い放って、目を瞑る。


 スッ!


 彼女は、自身の手を、座曳の握りからすっと引き抜いた。そして、


 キッ!


 見開いた彼女の目は、苛立ちと情けなさに混じった、潤んだ複雑なもので、座曳は、直前までの彼女の行動もあってか、あっけに取られてしまっていた。


 彼女は、その手と、もう片方の手で、座曳の両頬目掛けて、左右から両掌で挟むように、


 フゥオゥ、ビィッ!


 叩いた。潤んだ、これまでにない程の真剣な面持ちで彼を見て、


「ちゃんと、見て!」


 そう言った。






 スッ。


 両頬から掌を離されて、座曳の前から、後ろへと回った彼女は、座曳を前へ、突き出した。


 ドンッ!


「っっと」


 何が何か分からなかくなっていたが、こけず、前に数歩進んで耐えた座曳。そして、顔を上げて、振り返ろうと…―


 彼らが、いた。すぐ傍まで、来て、いた。


「やったなぁ」

「戻って、きたんだね」

「手助けした意味は、ちゃんと、あったんだなぁ」

「おか……えりぃぃ、ぐすん、ずるるる」

 ・

 ・

 ・

「しっく、しくしくっ、また、会える……とは、な"ぁ……」


 名前も知らぬ、あのときの彼らが、あのときの姿そのままに、涙に濡れて、彼の前に、立って、いた。


(はは……何が、偽物、だ……。紛れもなく、本物、じゃないですか……。私は大人になって、彼らは子供のままでも、紛れもなく、彼らは、本物、です。なら、)


「はい。帰って、きましたよ、皆さん。貴方たちのお蔭で、」


 と、そこで座曳は言葉を切った。そして、彼らに背を向ける。


 ザァッ。


 こちらを見ていた涙混じりの彼女がいた。目元を赤くして、先ほど握り痛めつけられた手首をもう片手で抑えながら、こちらを見ていた彼女がいた。痛みで泣いている訳ではない。彼女はこれを仕込んだのだから。


 理屈より、事実。事実と感じた目の前のそれ。取るべきものは明らかだった。自身の情けないほどの、迷走振りと鈍感振り。それにがっかりするのも後でいい。


 やるべきことは、分かっていた。そうしたいと思い描いた心の中の光景を、座曳はなぞることにした。そんな都合良い許しを受け入れて、現実にしてしまおうとした。それでいいのだ、そうするべきだ、そうしたい、と、心の底から納得できたから。


 ザッザッザッ、


 彼女の元へ歩いていく。そして、


 ガシッ。


 抱きしめた。そのまま、抱え持ち上げるように、


 スッ、


 彼女を抱いたまま、前を向いて、彼女を下ろす。彼女の両足を地面につけた。


 ザッ。彼女を抱く手の片方を離し、自身の顔に、目に、持ってゆく。色々な感情が混ざりあって、とうとう溢れてきた涙は、拭っても拭ってもとりとめなく流れる。


「この、通り、です。貴方たちのお蔭で、彼女を、生きて、生かして、取り戻すことが、できたの、です」


 涙零しながら彼らに向かってそう言って、膝から崩れ、地面に両手つくと共に、四つん這いの姿勢になったかと思うと、頭を上げて、


「ありが……と"う"、ぅぅ、……あぁ……あああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――」


 泣き崩れた。頭を下げるように頭を垂れて、心の感じるままに、激しく泣き始めた。


 子供たちも、その場で立ち尽くして、思い思いに泣いている。嬉しくて、とてもとても嬉しくて、堪らなくて、感動して、泣いている。


 彼女はその様子を彼の傍、一歩下がって後ろで見守っている。優しい目をして、目を潤ませて、見ている。


 主権と、領土と、そして人。揃っていたが故に、座曳は、王という座を継ぐことができた。王という座は存在し続けていられた。国がなければ、王はない。だからこそ、座曳が王を継ぐことができたということは、そう――民が、いる。


 彼を指名し、権を預けようとする民がいる。その中心。それが、彼ら。変わらぬ彼ら。かの彼の敗戦の後、王に掬われ、彼の命運を繋ぐために、来たる日まで記憶を消されるという交換条件を、抵抗する彼に焦がれた彼らにとって泥を啜るような行為であるそれを選択してまで、彼の為に、彼を信じて、待つ。


 そうと決めた、そこまでした彼らこそ、座曳という人間の、相応しき、王たる証そのものなのだから。その意志が、進む足取りが、魂の輝きが、焦がれるように人を魅了し、引きつける。届き得ぬ筈の不可能を、手繰り寄せる、率いる者の、支えられる者の、真たる、証。


(座曳。『自分なんかが幸せになっていい筈がない』。貴方は今も、無意識にそう、思っている。貴方が歩みを半ばで止めようと惑ったのも、それのせい。さっきは言わなかったけれど、昔の貴方ならそのような考えは選択肢にすら上らなかったでしょう。……。ねぇ、座曳。そんなことは、ないの。だって、ここにいるだけでも、貴方のおかげで救われた者たちが、こんなにもいるのだから。だから、どうか……)


 それは、前王の遺産。前王の保険。その一つ。それは、前王から託された彼女が、彼に、何より、形にして、形として、実在を見せたかったものの、一つ。そして、彼女が、心底、彼が為に現実にしたかった、夢のような赦しの光景の、一つ。


 そうして、座曳の呪いは、一つ、解ける。


(あぁ……、よかった。本当に……、よかった。()()()()()()()()()()()()()()())


 彼女の儚げなその祈りは、静かに、けれども確かに、届いたのだから。

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