第二百四十九話 王の存在条件 中編
ザァァ、ザァァ――
「話を戻しますね」
そう座曳は彼女、結・紫晶に言う。
「えぇ。お願い」
彼女は笑顔でそう返事して、こうやって並んで座って、繋いでいる手の繋ぎ目を見て、座曳ではなく、前を見た。だから、座曳も前を、見る。波が打ち寄せてくる。二人とも、波に正面を向けて、眺めるかのように座っている。
少しばかり、上から降り注ぐ光が弱くなり、その色に少しばかり茜色が混ざり始める。
ザァァ、ザァァ――
「王が存在するには、まずその王が君臨する為の国が必要です。そして、国が存在する為には、民と領土と主権が必要です。そして、私は、この都市で、王の権利を引き継ぎました」
そして、座曳は彼女の方を見る。彼女は遠くを見ている。しかし、聞いていない訳ではない。それくらい分かる。読める。しかし、座曳としては、彼女が薄皮一枚下に隠している何か。それを覗きたかった。だから、
「貴方は、私に、もう、この国に民がいないことを教えてくれましたよね? 船員たちは、民ではありませんよ? 領土はありますね。民と主権が一見何処にも見当たりませんねぇ。おかしいですねぇ」
そんなように揺さぶりながら彼女の顔を覗き込む。
それでも無反応な彼女。先ほどと同じように息の掛かる距離に互いの顔があるというのに、今度は全く反応しない。真顔で真っ直ぐ、座曳に目を合わせてくる。
互いが互いの瞳の奥を覗こうかとしているような構図。
未だ座曳は止めない。手を変えて、品を変えて、続ける。
「民はいるのです。そして、彼らには、総意があります。私を王と戴くという総意が。そして、私はそれを選択してもしなくてもいい。何故なら、私に与えられたのは義務ではなく、権利なのですから。そうでなければ、私は今こうやって、他ならぬ自分自身の自我を以て、貴方と話すことも貴方のもう一層心の内側を考えることも、できはしないのですから。王という機構になってしまっていれば、内から聞こえる他者の群体の声に、否応なく影響を受けます。そうなっていないということは、つまるところ」
彼女は何度も仄めかしている。まるで勿体ぶるかのように。こればかりは、可能性はいくつにも分かれていて、絞り切れない。だから、座曳は知りたかった。
「……」
「……」
無言で見つめる。
ザァァ、ザァァ――
ザァァ、ザァァ――
波の音が、何度も二人の沈黙の間を行き来する。
ザァァ、ザァァ――
ザァァ、ザァァ――
「つまり?」
そう、仕方無さそうにつまらなそうに彼女が口にしたところで、
「私は、正確には、未だ、王にはなっていない」
くるりと話を、戻した。
彼女が呆れるように、瞼を半ば閉じ、呆れ、据わった目で、彼を、見る。そして、
「はぁ……」
溜め息を吐きながら、彼の方を向くのをやめて、また、遠く、海を見て、仰ぐように、夕焼け色の光を、見た。
「……」
そんな結を見ながら、座曳も沈黙する。
(これで、絞れ、ましたかね……。二度目、三度目、です。あの、意志を放棄した大人たち、という目は枯れました。なら、外から来るのは無理なここであることを考えると、もう、答えは一つしかない)
そうやって、あのとき、自分と同じように子供であった彼らという目も同時に潰してしまったことに黄昏ながら、座曳も、彼女と同じように、夕焼けの光の空を、仰いだ。
(あるものしか、ありは、しないのですから……)
ザァァ、ザァァ――
全体がすっかり夕焼けに包まれた砂浜で、波の音だけが、変わらず、響いていた。
確かに存在する、自身を支持する、集団の正体。彼らが姿を見せないということの意味を、座曳は凡そ掴んでいた。
未だ、選択の途中。そして、その結果如何。彼らが姿を現すかどうかは、自信がどう決断するかで、決まるのだ、と。
もしもを考えていた。ありそうなもしもを。しかし、それは、受け入れがたいもしも。確かに絞った。確かに口にする答えは用意した。しかし、もし、仮定が何処か間違っていたら? 自身の紡ぐ論理が破綻していたら?
待っているのが、あの、目を瞑り続けてきた大人たちであるかも、知れないのだ。きっと、狡く、身勝手に、罪を未だ忘れているだろう彼ら。
なら、自身は、理屈も何もかも放り捨てて、感情だけで、その冠を、返すように王座に置くこともなく、踏み砕き、放棄する。嘗てなろうとした通りに、憎悪に燃え尽きる。今度は、彼女すら巻き込んで。そうなると、分かっているから。
その場合、嘗ての自分の仲間たちもきっと、そんな大人の一部に既になっている。
もし、答えが当たっていたとしても、展望は暗い。新たに生まれてきた、子供たち。あの苔から生き延びていた、優先的に生き延びらされた子供たち。しかし、そうやってどれだけたくさん生き残っていたとしても、既に、牙は須らく折られている。
良い意味で過程が外れているかも知れない。前王が外から移民でも招き入れたという線もあるかも知れない。都市の拡張の度合が彼女の言う通りのものだったのだとしたら、その可能性はゼロとは言い切れない。が、しかし。それでは結局、大して変わらない。そんな赤の他人の為に、責を背負うことは、できはしない程度に座曳という人間は、常人だった。
(はぁ……。偽りの自信でごまかせるのは、終わりの直前まで。結局最後の一歩は、真でなければ、意味を為さない。でも、怖い……。しかし、怖い……。これは、彼女と共の決断ではあるけれど、結果を背負うのは私自身です。結果如何では、彼女から手が離れて、もう、届かない……。何故、貴方は、そこまで分かっていて、それでも、私に委ねて、穏やかな表情で、いられるのですか……)
「……」
ちらり。
ほんの少しだけ。
ザァァ、ザァァァアア――
「……」
横目で見た彼女は無言だった。変わらず、穏やかに夕焼けの光を見上げていた。
(怖いけれど、信じているから。貴方の全てを、信じているから。それで終わるのならば、私はそれで、満足なのだから)
穏やかな目で、彼の言葉を、ただ、待っていた。




