第二百四十六話 それは結局二人の選択
「座曳」
撫でる手を止めていた彼女は、そう、一言言い、俯き、穏やかに細めた目で、膝の上の座曳を見下ろしながら、優しく、抱えるようにその頭に片手を添えて、もう片手でさするように彼女は、撫でることを再開した。
さすり、さすり、
「……、はい……」
座曳はそう、大人に叱られる子供のように、罪悪を感じながら、弱々しく、返事、した。彼女は引いてはくれないのだと分かったのだから。しかし、未だ甘えるように目は瞑ったまま。それはさながら、子供の駄々だ。
さすり、さすり、
……。耐え切れなくなって、座曳はそろっと、薄く、目を、開く。
それに合わせるかのように、彼女は、目を、瞑る。ふさりと音を立てるように。閉じた瞼と、その間から出る長い紫の線。結晶質であるかのような針状の、睫毛。
さすり、さすり、
「貴方は、王になった。けれどそれは、結果でしかないわ」
彼女は気付いていた。つい今しがた、彼が目を開けていたことを。しかしそこには触れるつもりはなかった。
「どういう、ことです?」
座曳は目を見開き、そう、彼女を仰ぎ見るが、彼女の顔からは答えは伺えない。穏やかに、彼女は、目を瞑って、微かに口元をほころばせているばかり。
さすり、さすり
彼女の手が、再び座曳の頭を撫で始め、座曳はそれに合わせて目を瞑った。
「貴方がここに来た理由ではなかった。けれど貴方は受け入れた」
彼女は目を、開かない。目を瞑ったまま、穏やかに、同じように目を瞑った座曳に確認を取らせる。促す。決して強制ではない。耳を塞いでもいいのだ。乗らずともいいのだ。しかし、座曳はそうはできない。するようなら、ここにはいない。この結果は、手繰り寄せられていない。それは、変えられはしない、幼少期に定まってしまった、彼の本質だ。
だから、彼女が彼の背を押した時点で、既に、流れは、決している。だからこそ、座曳のそれは駄々な訳で、座曳自身の整理がつけば、踏ん切りがつけば、それまで。まどろみの終わりを先延ばしているだけなのだから。
「でも、その前に。貴方は決断した。巻き込むことを決めた。貴方は連れてきた船員たちは一部生き残っていて、だから貴方は彼らの船長でもあって」
彼女はそれに付き合っているだけ。彼の決断に寄り添い、最後まで見届けるために。彼がいないと叶わぬ願い。だからこそ、彼女は、強いない。これ以上、彼に、一方的に背負わせたくなんて、唯の枷になんて、なりたく、ないから。それでは、何の為の自分か、もう、分からないから。
「貴方たちがどれだけ特殊で、どれだけ濃い、しかし、矛盾なんてない信頼関係。犠牲にする、される互いの権利と責任。だから、貴方は、よぉく、考えて、選ばなければならない」
目を瞑ったまま、促すように、結・紫晶は言葉を投げ掛け続ける。事実の確認のようであって、そこには彼女の認識が混ざっている。整理された、情報。意識の向いていない、さも当然になってしまった、異質な前提。しかし矛盾していないそれを、放棄することに、そのまどろみに身を委ねるのなら、なってしまうと遠回しに口にしている。非難している訳ではない。彼の逃げを許す許さないというのとも違う。
「決断しないことすら、選択になってしまう。……。私は嘗て、……いや、今も、それだけはどうしようもなく、後悔しているわ。たとえ貴方と旅立って、全て叶えたとしても、それだけはどうしようもなく、変えられない。上書きもできない。ずっと、残り、続けるの……。どうするにしても、それだけは……憶えて、おいて……」
彼女は彼にそう突きつけた後、躊躇を挟みつつも、彼に、自身の重さを被せることを、選択、した。
強要するでもなく、否定するでもなく、甘やかすのでもなく。しかし、さらに、背負わせたて、しまった。それは、ただ、自身と彼との、先の為に。彼だけの為でなく、自分の為。しかし、回り回って彼の為。ずるい、願望。彼の決意に、そっと、混ぜ込む。
決断を前にして、欠けがあっては、決断の結果に傷がつく。それは、拭えない傷跡になる。彼女も、彼と同じように、後悔を、抱いているのだから。
背を押す彼女といえ、彼と同じように、過ちを、喪失を、恐れて……いる。しかし、それでも、彼女は彼の背を押すのだ。そうでないと、共に、そこで停滞してしまう。終わりだ。分かっているから。
そうしてそれは、そっと背を押すという行為を、確かなものへ、変えた。願う方向性を彼に見せた上で、決断を託す。そんな、言葉。
「ねぇ、座曳。貴方は、どう……、したい、の?」
だから、罪悪感からその声は、震え、澱んだ。彼女は、彼について進んだ末、最後に、幸せだったと終わりたいのだ。
座曳はそうして――意識した。
(結……。そう、ですか。そういう、こと、ですか。えぇ。これは、私と貴方。二人の選択。なら、私は――)




