第二百四十一話 託す、そういう選択
「――、で、です! ザバァアアンンンン! 皆で、力を合わせて、巨大な巨大な、そう、船の半分くらいの大きさの、尋常じゃないほど大きなカジキマグロを、私たちは釣り上げたのですよ」
ベットの淵に並んで座る二人。二人は話をしていた。大きくオトマトペと共に、手振り大きく水しぶきのジェスチャーをしながら話しているのが座曳で、それを微笑を浮かべながら穏やかに聞いているのが結・紫晶だった。
暗い話はもうしなかった。どうしようもない過去を引き摺り続けるだけの話はしなかった。しかし、それは過去の話だった。二人が共にいなかった間の話。彼女が彼に望んだ話。
「操舵によって、衝突しない程度に焦らしつつ、しかし逃さず、ついて来させ、弱らせ、とうとう、釣り上げたのです。三日ぶりの、食事でした。それも、モンスターフィッシュに匹敵する、突出して優れた、いや、実質モンスターフィッシュのような、貴重な個体です。モンスターフィッシュ」
「――ふふっ。私といない間に、随分、貴方の視野は広くなったのね。見識も深くなって、随分落ち着いた風になって、大人びて。それに、そうやって、楽しませるが為の話もできるようになった。それは座曳。貴方はこれから先、どうしたいのかしら? もう、決めているのでしょう? 聞かせて頂戴」
それは終わりを告げた。そう、結・紫晶が切り出したことで。
彼女は微笑んでいる。しかし、その目は真っ直ぐこちらを見据えてみる。瞳孔が閉まり、小さくなり、座曳を強く、見据えていた。
(そろそろ先の話をしましょう、ですか。いやはや、手厳しいですね。もう少しこうしていたかったのですが、確かに、やるべきことは積もっていますからね。時間は相応に経過したようですし)
「あらら。名残惜しいですが、ほら吹き話は終わりですね」
と、わざとらしく、両手を開いて突き出して、残念そうに少しばかり驚いたような振りをした。
「ふふ。そうよ。楽しかったけれど、流石にそろそろ、時間、でしょうから」
彼女もそれに乗る。すると、
「それはですね、と言う前にですね、先に答えて欲しいことがあります」
座曳は、真剣な面持ちで彼女にそうお願いする。彼女が質問を聞く前にこくりと頷いたので、後出しになりつつも、
「どうして私に決断を委ねました?」
それを口にした。
「……」
「……」
沈黙が流れる。辺りに物音はなく、他に人に気配もなく。だから、その沈黙は間延びするように長く感じられただろう。
互いに前を向く。そして時折、互いの方を向く。顔を向き合わせる。息の届く距離で。目の前に互いの顔がある。
「……」
「……」
キスをするでもない。抱きしめるでもない。赤面するでもない。気まずくなって顔を背けるでもない。沈黙が続く中、そうして、暫くして前を見て、また暫くしてほぼ同時に、
くるり。
くるり。
向き合う。
「……」
「……」
そんなことが二桁に届く回数行われようかというところでやっと、
「貴方はどう思う?」
くるり。
彼女が言った。彼の方へと向くときに。彼が彼女の方を向く動きをするほんの少し早くに。
くるり。
遅れて彼、こと、座曳が彼女、結・紫晶の方を向く。
「質問を質問で返すのは止めましょうよ。答えてくれないと、私も真剣に答えられないのですが……」
と、困り顔でぼりぼりと頭を掻きながら、座曳は言った。
「じゃあ、先に答えてあげる。けれど、貴方は納得できないかも知れない。けれど、言わせるのなら、最後まで言わせて頂戴ね。言いたいことは、その後で。それでいいかしら?」
(あぁ、なるほど。そう思うのも無理はない。けれど、もう少し、私の成長を信じて欲しかったものですが。けれど、)
こくり。
(構わない。きっと、最後には納得できるだろうから。だって、君の言うことなのだから。信じているとも)
「そう、身構える必要なんてないの。たった二言なのだから。今の貴方ならそれだけで殆ど全て、分かってくれるだろうって、私は信じてる」
ごくり。
座曳は生唾を飲み込み、待つ。
どくん、どくん、どくん、どくん、
(はは……、どうして私はこんなにこわばっているのでしょうか……)
そして、勿体ぶったその答えは、
「託す。自ら選んだのなら、それすらも選択なのだから。私は貴方になら託せると、共にその選択に殉じられると、心から思うの」
とてもシンプルで、真っ直ぐで、芯が通ったものだった。ふわっと風が吹いたような。そんな錯覚を覚えるような、しっかりとした言葉だった。そして彼女は、
「たった、それだけ。それが全て」
そう、締めくくって、真剣な面持ちから、眩しいくらいににぃっと笑った。
とうとうモンスターフィッシュ、累計300話目に到達しました。ひとえに、読んでくださっている方々のお陰です。本当にありがとうございます。




