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モンスターフィッシュ  作者: 鯣 肴
第一部 第一章 旅の始まり
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第二話 出会い

 少年がいたのは崖の下ではなく、海岸。夕日差す砂浜の上を、見知らぬ男に担がれて進んでいるところだった。先ほどまで降り注いでいた雨もすっかり止んでいた。

 少年は意識を取り戻し、焦点の合わない目で、自分を担いでいるその男に尋ねる。


「……俺は、死んでないんか?」


 まだ焦点の定まらない目で、弱々しい声で、少年はその見知らぬ男に尋ねる。


「ああ、お前は生きてるよ。それも、モンスターフィッシュ釣り上げてな。あんな釣竿ともいえない釣竿でよぉ。」


 優しく男は答え、ポンポンと、しかし優しく少年の頭を撫でる。


 モンスターフィッシュとは、氷河全融解後に現れた、新しい海生生物の総称である。これまでの生物とは隔絶した特性を持っていることが多い、危険な水生生物である。


 少年はこれを"大物"と呼んでおり、それは多くの釣り人が使用する俗称である。モンスターフィッシュを狙うことは、釣りというよりも狩りであると考える人々は多く、それは"大物狙い"とも呼ばれる。


(俺は生きているらしいな。)


 少年は安堵の溜め息を吐き、再びまぶたを閉じた。






「あいつ! あいつはどうしたんや?」


 目を覚ましたら自宅の前まで運ばれていた少年は、血走った目で男を問い正す。男は特に動揺もせずにそれに軽く答えた。


「ほらよ、ちゃんと持ってきているから安心しろ。」


 男の左手に白い太い紐を通して握られている奇妙な袋。その中に大物は入れられていた。蜘蛛の巣のような編み編みの白い模様に、それ以外の部分を透明な何かが覆っているように見える。大物が暴れても、伸びるだけで裂ける様子はない。


(見覚えあるで、間違いない。)


 少年は目を見開く。


(蜘蛛糸水槽くもいとすいそう。爺ちゃんと婆ちゃんも持っていた、大物を狙う狩人の証や。)


 蜘蛛糸水槽という名前は長く覚えにくいため、"(はち)"という俗称が専ら使われる。海水を入れる量によって伸び方が変わり、見掛けよりも大きなモンスターフィッシュを入れることができるのだ。

 モンスターフィッシュの一種である"ネバリトウメイマクシロイトグモ"の分泌物から作成されている。


 この時代では、モンスターフィッシュ由来の素材はその特性から盛んに利用されている。つまり、モンスターフィッシュは、資源としての側面を持つのだ。これこそが、釣りが娯楽としても仕事としても成立する最も大きな理由である。


「そっか、あんたモンスターフィッシャーやってたんやなぁ。道理であんなところにおったわけや。」


 モンスターフィッシャーというのは、一度でもモンスターフィッシュを釣り上げたことのある者に与えられる称号である。


 少年は笑顔を見せた。この村には少年以外の釣り人はいないため、同じ釣り人に出会えたことが嬉しかったのだ。それがモンスターフィッシャーだというのだからなおさらである。






「で、おっちゃんはどっから来たんや?」


 心の壁が自然と取っ払われた少年は、興味津々に、前のめりに顔を男に近づける。


「富士山島だ。阿蘇山島に行く途中だったんだが、天気が崩れそうだったから、近くにあったこの島で休むことにしたんだ。」


「ふーん、そうなんや。」


 少年は軽く合槌を打つ。


「で、上陸したはいいが、この島なんも見るものねえときた。暇潰そうと思っても何もやることないのな。」


「それちょっとひどない?」


 少年はそんなこと言うつもりは全くなかったのだが、自然と口を突いて言葉になってしまった。


「はは、悪りぃ、悪りぃ。はは。」


 男は笑ってごまかし、話を続けた。


「となると、もうやることなんて一つしかねえよな。そう、”釣り”だ。もうそれしかねえ。そう思ったのはいいんだが、長旅で他の奴らはすっかりバテてしまっててなあ。休むからって誰もついて来ないのよ。」


「ほんで~?」


 男の話が長いため、少年は少々飽きてきてしまっていた。


(そんなんどうでもええから、なんかおもろい話してくれへんかなあ。これまでに釣ったモンスターフィッシュとか、これまで旅したところとかの話をさあ。あ、なんかちょっとわくわくしてきた。)


「それでよ、お前の村の人に誰か釣り人いるか聞くとな、お前一人と言うし、今日も釣りに行ってるって言うし。だから合流することにしんだよ、お前に。」


(なるほど、道理で俺が奴と戦ってたとき、このおっちゃんは居たわけだ。あれ、じゃあなんでもっと早く出て来んかったんやろう?)


 気分が乗ってきていた男はどんどん饒舌になっていった。


「お前の姿見つけたからさっそく一緒に釣りやろうと思ったらよぉ、既に取り込み中だったわけだあ。邪魔すると悪いかなあと思って声掛けるのやめて後ろから見とくことにしたのさ。」


「おったんやら声掛けてくれたら良かったのに。」


「いや、な、お前なんか迫力凄かったから。『俺は今釣りやってるんやああ!』っていう声が今にも聞こえてきそうだったぜ。」


(俺、そんな空気出しとったんか。まあ本気やったし、まあそうなるかあ。)


「するとな、お前があのモンスターフィッシュ、ウイングエラガントユニコーンフィッシュを釣り上げるもんだから、ほんとたまげたぜ。」


 男は、本当にとんでもないものを見ていたような顔をしていた。少年のやったことは相当なものだったらしい。それに気づいた少年は少し誇らしげな顔をする。


「おい、お前。判ってるのか? 死ぬとこだったんだぞ!」


 男は怒りを露わにし、少年はびくつき、その表情を一気に暗くした。


「普通な、モンスターフィッシュってのは危険過ぎるから、一人じゃあ釣らないんだよ。絶対に二人以上で竿を持ち、釣り上げるもんなんだ。」


 男は少年が図に乗ったのを読み取り、真剣な顔で諭したのだ。それを少年は理解する。


(え、そうやったんかいな……。確かに、爺ちゃん婆ちゃん二人で一本の竿握ってた。俺捨て身の狩りやってたんやな。そりゃああなるわ。)


 少年は内心焦り反省しつつも、とりあえず続きを聞くことにした。


「にもかかわらず、お前はあの大物を釣り上げたわけだ。お前は、モンスターフィッシャーになったんだよ。とりあえずこいつのスケッチしとけ。俺が村の人にさっきあったことを説明してきてやるから、その内にな。」


 モンスターフィッシュは釣り上げると、それが未知、既知問わず、スケッチを残す義務が生じるのだ。少年はもちろんそのことは知っている。


 男は、笑顔に戻り、少年の肩を叩いてそのまま部屋から出て行った。


(俺のことを褒めつつ、間違ってたところもちゃんと言葉にしてくれるんやな。村の人たちとは全然違うで、このおっちゃん。親切なおっちゃんや。もしあのおっちゃんが、三年前や一年前におったら、俺こうなってなかったんかなあ。)


 少年は四つの遺影を拝み、涙を流す。


(生きていたことは嬉しかった。仇に雪辱は果たした、爺ちゃんと婆ちゃんの……。)


 少年は、鉢の中の大物のスケッチを始めた。スケッチにはコツがある。



①鉛筆を使い、丁寧に。


②特徴を捉える。


③色は塗らない。文字で色を書き込む。


④構造や特徴は余すところなく。


⑤上、下、左、右、前、後。


⑥六方向から見た姿をスケッチする。



 それらを意識しながら、少年は手馴れた様子でスケッチを書き上げる。そして、大きく息を吐いた。






「お、見事なもんだな。スケッチは初めてじゃねえようだな。」


 突然、男が少年に優しく話しかけてきた。用事は終わったようである。


「家族が教えてくれてたんや。爺ちゃん、婆ちゃんは、大物を釣ってきてくれてよくスケッチさせてくれたし、父ちゃん、母ちゃんは、なんか珍しい雑魚を持ってきてくれてスケッチさせて……。」


 最後まで言葉が出ない。少年はむせり泣き始めた。精神的に大人びていて、一人前以上のことをやってのけたとしても、まだ子供。泣きたいときはある。

 しかし、少年には泣きつきすがれる者がいなかった。だから、こうなってしまった。こうなれた。


「特徴掴んで詳しく書けてるじゃねえか。それよりも、お前、なんでこんな難しい言葉や漢字知ってんだ? そっちのほうがびっくりだな。」


 豪快に男は笑った。少年はそれを見て、聞いて、徐々に落ち着きを取り戻す。


「俺は昔からさ、魚の辞典とか、"モンスターフィッシュ大典"とか読みながら育ってきたから。あれ言い回しくどくて難しいからな。それに、爺ちゃんが難しい言葉をすんごいよく使ってたんや。」


 誇らしげに話す少年。しかし、次の言葉とともに一気に笑顔が曇る。


「でも、爺ちゃん婆ちゃんが死んで生活が厳しくなったときに、港に来ていた交易船に売ってもうたんや……。」


 モンスターフィッシュ大典は、この時代、最も値の張る書物の一つである。既知となったモンスターフィッシュについての四方向スケッチと考察が書いてある。

 当然印刷機など存在しないので全て手書き、写本である。次々と新しい種が発見されるため、バインダー方式になっている。


 少年はこの本を一番気に入っており、頻繁に読み返していたのだ。だからこそ、悲しみは大きかった。


 沈み込む少年。男は後悔した。この少年の過去は悲惨。にも関わらず過去を聞いてしまったのだ。男は自身の額を片手で鷲掴わしづかみにした。






 男は一瞬思い悩むような顔をし、

「お前……。よし、決めた! お前、俺と一緒に来い!」

と言い切ってガッツポーズした。


 急展開である。


(訳分からんで……。でも――!)


 少年は顔をしかめ首をかしげつつ、

「え、おっちゃん? 急に何言ってるんや。さっき会ったばかりのガキさ。」

冷静になった素振りを見せる。


 しかし、少年はまだまだ子供なのだ。どれだけ精神的に成熟していても。動揺した状態での演技はまだ拙いのだ。


「お前さ、今目が上を向いたんだよ。これはな、お前が、俺と海に出ることを想像したってことだ。おっちゃんの目は騙せないかんな。」


 男は誇らしげに少年の粗を衝く。村の誰にもばれなかった演技がばれた瞬間だった。


『このおっちゃんは……。』


 心の中の言葉も思わず止まる。


「お前は不幸だ。とことんついてない。村でお前のこと聞いたらびびったよ。お前の家の位牌も見たし、一人暮らしっぽかったし。」


 ひょうきんな顔でそう言う男に、少年は今にも飛び掛りそうな顔を向ける。しかし、男はその口を止めはしない。


「でな、俺はお前がスケッチしてる間に村人全員を説得してお前を連れ出す許可をもらってきた。」


 笑顔でそう言う男。


「え……。」


 呆然とする少年。訳が分からないからだ。なぜこの男はそこまで自分にしてくれるのか。


(同情してか、違う。やりすぎだ。となると――。)


「おっちゃん、俺を大物狩りのパートナーにしようっていうんやないのか?」


 胸を張り、自身を持って、少年は自身の出した結論をぶつける。


「お前、どうしてそんなにあっさり気づいた? 俺がお前をスカウトするつもりだったって。とりあえず口車に乗せて、船に乗せてそっからゆっくりその話しようと思ってたのよぉ。」


 口をぽかん、目をぽかんとさせ、びっくりする男。


(いや、その顔するの俺の方やろ……。)


 男の言葉を聞いて、額に皺を寄せる少年。


「おっちゃんさ、鉢持ってたやんか。ってことは、大物狩りしようと思っとったんちゃうか? でもさ、おっちゃんは言ってたよな。『絶対に二人以上で竿を持ち、』ってな。やけにそこに熱入ってたよな。じゃあもう、そうとしか考えられんやろ。」


 自分で言いながら動揺する少年。命の恩人にこんな口聞いていいのかと。

しかし、ここまで言ってしまうと最後まで言うしかないのだ。だから、言い切った。動揺を読み取られないように視線を動かさず、男を見据えて。


 そして畳み掛ける。


「村の人に釣り人いるか聞いて回ってた言うとったし、そうやろ?」


(最後のダメ押し。決まった。最後まで言えた。)


少年は得意な顔をしているが、それと同時に大量の冷や汗をかいていたのだが。


 少年は釣りの腕だけではない。それを身に着けたときの副産物として、自身で考え推理する頭、それを信じて動ける体、根気強い精神を持っていた。

 その完成度は、子供の域を優に超えている。熟練した釣り人の域に足を踏み入れているのだ。


 だが、男は少年の動揺を読み取り、少し安心することができた。目の前の少年は、どれだけ卓越していたとしても、まだ子供であること。化け物ではないのだ、決して。


「そうさ。その通りさ。おっちゃんはお前が欲しい。まだお互い名前も聞いてないけどな。」


 男は笑った。ここまで見通されればもう笑うしかないのだから。笑いながらも、その目は少年をしっかりと見据えていた。


 少年は考える。


(このおっちゃんの提案は魅力的や。俺はこれからも釣りを続けていきたい。ここにおったら俺もいつ事故で死ぬか、あのくそ共に殺されるか分からん。)


 少年は今の境遇に不満を抱いていた。そしてそれを押し殺していた。それが男によって表へと引き出されたのだ。


(釣りはここやなくてもできる、いや、ここじゃ満足にできんな。釣り人は俺しかおらんのや。)


 額の皺をより深くし、さらに考える。


(たまに『教えて!』いうやつおるけど、あれは仕事しごととして覚えたいってことやろう。"娯楽しごと"としてやない。楽しむ気ゼロやろ。)


 この時代では、娯楽ごらくという概念は存在しない。その代わりにあるのが、娯楽しごとである。遊びと仕事、それを両立できる職業、釣り。それを愛する者たちが好んで使う言葉である。


 少年はこの言葉を非常に真摯しんしに捉えている。だから、迷った末、男に自身の本音をぶつけることにした。


(あとはこれだけや。おっちゃん、どう答える?)


これまでにない真剣な顔をして、少年は言う。熱を込めて。


「おっちゃんがさ、俺を助けてくれて、モンスターフィッシャーやって聞かせてくれて、俺にやってくれたことはうれしいで。でも、俺はおっちゃんを信じてもええんか分からん。」


 この年でお礼から入ってきっちり自分の言いたいことを言ってくるのだ。男も本気でこの少年に向き合わなくてはならない。そうしなければ、このモンスターフィッシャールーキーと組むことはできない。


 男は作り笑いを止めた。


「パートナー組むなら言わないといけないこと、まだ言ってなかったな。なぜ俺にパートナーがいないのかを。」


 少年は黙って聞いている。その眼は男の心を見定めようとしているのか。


「俺のパートナーはな、二年前に死んだ。いや、俺が殺したようなもんだ。すんごい大物狙っててよ、けっこういいとこまでいってたんだ。だけどな、後一歩のところで、その大物が光の束のようなものを俺たちに向けて打ってきた。」


 今の時代でいうところのレーザービームである。モンスターフィッシュには常識は通用しない。


「で、俺たちは崖の上から竿垂らしてやってたもんだから、それで足元がおじゃんよ。相方は、俺をとっさに突き飛ばして、俺を残して落ちていった。」


 手を握り締め、血がにじむ男。地面にその思いが零れる。


「俺は幸か不幸か、竿を握っていたからそのまま大物を引き上げたのさ。光打って弱ってたみたいだった。」


 男のことがとても不幸そうに見えた。この男はそんなこと望んでいなかったのだろうから。少年は顔をしかめたくなる。しかし、そうする資格はない。尋ねたのは少年自身なのだから。


「それから俺は一人だ。大物狩りを辞め、釣りをただの仕事(しごと)にしてたのさ……。」


 諦念ていねん。男の顔にはそう書いてあった。頭を下げて、言葉を止める。死んだ目。男はこのとき一度死んだのだろう、きっと。


「でも結局、諦め切れなかった。あんなことがあってもまだ大物狩りを続けたい俺がいた。だから未練たらっしく鉢を持ってたのさ。」


 男は失意を、投げやりに、歯を食いしばり、投げやりに、歯を食いしばり、言葉にしていた。顔を上げて歯を食いしばり、次の瞬間にはがくんと頭と肩を落した。


「で、今日たまたまここを訪れた俺は、岩場から落ちそうなお前を助けた。俺はそれで救われた。あいつのときとは違って、助けられた。俺を救ってくれてありがとう……。」


 男はそう言い終え、涙を流していた。


(このおっちゃんは、信じてもいい。信じんとどうするんや。俺を助けてくれて、ここまで明かしてくれたんや。)


 大物狩りの世界では、パートナーを狩りで失って生き残るというのは烙印である。こいつは相方を捨てた裏切り者、ごみであると言うようなものなのだ。


(おっちゃんは生意気な俺に、命を助けてやった俺にここまで……。)


 少年は、決断する。


「おっちゃん、わかったわ。俺おっちゃんと一緒に行くで。俺は、釣一本つり・いっぽん、一本釣りを並び替えたって覚えたらええで。15歳や。」


 手を差し出す。心の奥底からの笑顔で。


(このおっちゃんを、俺は信じる。)


「俺は、島海人しま・かいと。~島の島に、海に人っていう名前だ。お前の倍の年さ。よろしくな。」


 男は涙を浮かべながら笑顔で答えた。そして二人は決意を新たにし、互いの手を取るのだった。


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